MAKE A NOISE! 最終回

メリル・ストリープのお言葉(第1回をご参照下さい)に従い、まだ知れ渡っていない面白い映画をロンドンからMake a noise!
 

幻のマイク・リー監督作

 

山口ゆかり
(第20号で「日本に帰って考えた」を執筆)
 
 
 
 
 Mr. Turnerとして第51回に書いた『ターナー、光に愛を求めて』が現在公開中。プログラムのマイク・リー監督インタビューを担当したので、よかったら、そちらもどうぞ。今回は、そのインタビュー中に話が出た『トプシー・ターヴィー』です。インタビュー冒頭に『ターナー、光に愛を求めて』製作のきっかけとしてあげ、インタビューが終わった後、またその話に戻りました。

 リー監督は『トプシー・ターヴィー』の何にそれほどこだわったのか? それが、日本での劇場未公開なのです。喜歌劇『ミカド』を大成功させたギルバート&サリヴァンが主人公で、脇役とはいえ日本人の俳優も出ていて、日本語の台詞もあって、日本からのスポンサーさえついたのに、日本では公開されなかった。リー監督は当時「ひどく怒った」そうです。1999年にヴェネチア国際映画祭でお披露目された後、日本では2004年にNHK衛星第2で放映されたきり。今だに劇場公開はおろかDVD発売もされない、幻の映画となっています。
 

 
 
 
 どうして、公開されないのか? 駄作であったら、話は簡単ですが、そうではない。15の賞を獲得、23のノミネートを受けた秀作。

 まずは、どんな映画かといえば、リー監督が初めてヴィクトリア期を描いたもので、リー作品中では最もお金がかかっている大作。ショービズ界の人気コンビ、劇作家ウィリアム・シュベンク・ギルバートと作曲家アーサー・サリヴァンの物語なので、その作品もたくさん出てきます。当時の舞台メイクの材料が何であったかまで探し出し、劇中劇で使うほど徹底して再現、第72回アカデミー賞でメイクアップ賞、衣装デザイン賞を獲得しています。

 その一方で、部屋に飾ってあった日本刀が、たまたまギルバートの頭上に落ちてきて、『ミカド』誕生につながったという、信憑性は薄いとされるエピソードも、少し変更を加えつつ使っています。劇を成功させなくてはいけない作家自身の悲喜劇を見せたギルバート役のジム・ブロードベントは、第56回ヴェネチア国際映画祭男優賞を受賞しました。

 こういうリー監督のアプローチは、ヴィクトリア期を描いた2作目、そして2番目にお金がかかった大作『ターナー、光に愛を求めて』でも同様です。画家ターナーの技法を正確に再現しながら、ターナーが船のマストに体を縛りつけて嵐の海をスケッチしたという、真偽のほどはわからないとされるエピソードも入れています。眉唾と言われようと、その人を表す面白い話は採用し、メイクアップの材料や画材のような、映画を観る人にはわからないであろう細部では正確を期す。リー監督ドラマ術の一端がわかります。

 私が一番好きなのは両作とも女性で終わらせているところ。紆余曲折や浮き沈みはあっても社会的には成功者となったギルバート&サリヴァンとターナー、でも、そこでは終わらせない。ギルバートに「成功にはガッカリな部分がある」という台詞を吐かせ、ターナーの盛大な公葬は「ターナーのエッセンスとは思えない」と語ったリー監督は、主人公の身近にいた悲しい女性の姿で締めています。沁みてくるような女性の姿を通し、成功者としてだけではない主人公もより深く刻まれます。 

 共通点の多い両作なのに、『ターナー、光に愛を求めて』はこうして公開され、『トプシー・ターヴィー』はそうではない。『ミカド』を天皇侮辱と勘違いした、または勘違いされることを怖れた? 当時の人の間違った日本の認識が差別的? でも、『ミカド』自体は日本でも上演されていました。わけがわかりません。

 そして、リー監督がそのことにこだわったのが、私にはショックでした。リー監督の言い方をまねて、多くの傑作を生み出した巨匠であることではなく、『トプシー・ターヴィー』日本未公開を今だ悲しんでいることが、リー監督のエッセンスとでも言いましょうか。『トプシー・ターヴィー』公開には、『ターナー、光に愛を求めて』公開中の今が好機と思います。配給さん、いかがでしょう?
 
 
 一昨年の年明けがファースト・シーズンだったこの連載も、5シーズン目でほんとのほんとに最終回となりました。これまで読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
 
 
 
 
 
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-ヒビレポ 2015年6月25日号-

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