借りたら返す! 最終回

貸し借りじゃないんだよね

 
海江田哲朗
(第20号で「東京スポーツ番外地」執筆)
 
 
 
 6月19日、レポ終刊号の発送作業日。西荻窪の北尾トロ事務所には人が溢れかえっていた。14、5人、いやもっといたかな。人数が多く、身の置き場を探すのに苦労することを除けば、いつもの光景となんら変わらなかった。

 せっせと作業を進める人、楽しそうにおしゃべりをしている人、ちゃちゃを入れるのに熱心な人、ふらっと出かける人。なかには最近話題のお菓子を差し入れる人がいて、そっち方面に疎い僕のような人間はダンボール調達係を請け負う。

 仕事量の多い人が不公平感を募らせ、キーッとなったりもしない。最近、誰それ来ないねという話題になったとき、「元気にしてるかなあ」「また会いたいね」という感想はあっても、無沙汰を咎める言葉を聞いたことは一度もなかった。

 各々ができる範囲で、できることをやる。それがレポに流れる気風だ。

 月に一度の発送日、僕はわりかし足繁く通ったほうで、単にひまだったというのもあるが、行きたかったから行っていた。居心地がよかったのである。きっとほかの人もそうだったんじゃないかな。事務所に行く前、坂本屋に寄ってかつ丼を食べる楽しみもあった。

 これが、ノルマ制のように仕事を割り当てられていたらつらかったと思う。「今日は5人集まったんで、各自200冊発送ね」。そんで一心不乱に取り組み、2時間経って「ハイ、休憩時間です」。効率的かもしれないが、そんなところに好きこのんで行きたくないよ。


 
 いつだって、わちゃわちゃしながら発送作業を終わらせ、レポTVを収録し、みんなでシタルのカレーを食べに行った。5年間、こういった集まりを維持したのは、編集長のトロさんの場をつくる能力であり、副編集長の平野勝敏さんの接し方であり、また、えのきどいちろうさんの、技術の吉岡信洋さんや木村カナさんなど下支えする人たちに対する気遣いだったに違いない。
 
 つくづくそれを思ったのは、先日たまたま大崎善生の『赦す人』(新潮文庫)という団鬼六の評伝を読んだからだ。本にはこういうことがあるから面白い。そのとき読むべき本が向こうから見つけて、飛び込んできてくれる。

 SM界の巨人にして大の将棋好きの鬼六は、日本アマチュア将棋連盟が発行していた月刊誌『将棋ジャーナル』の救済を持ちかけられた。以下、本書から引用する。

〈「将棋ジャーナル」を買い取った鬼六は鬼六御殿の地階を編集室と雑誌の倉庫や発送場所に充てた。六十歳を目前にした初老の断筆作家は刷り上がったばかりの将棋雑誌を、一冊一冊袋詰めにして郵送する作業に追われていた。
「ジャーナル」は書店販売よりも読者の自宅へ郵送する定期購読者が主力で、発行部数が少ないとはいえ毎月二千冊近くは袋詰めしなければならず、その手間は大変なものがある。夜を徹しての作業を、安紀子が文句も言わずに手伝ってくれる。言葉もなく音楽もない倉庫の中で、ひたすら袋詰めを続けるその時間は鬼六を何ともいえない侘しい気持ちにさせた。暖かな季節ならまだいいが、冷え込む時期には雑誌や封筒が手に突き刺さるように感じ、手ががさがさに荒れていく。真冬の夜中にそんなことに家族まで巻き込んでいることに胸の痛みを感じないではないが、しかし学生アルバイトを雇う金も惜しいのだ〉

 これ、哀しすぎるでしょう。毎夜のごとく、どんちゃん騒ぎに興じていたスタッフや若い棋士は何をしていたのだろう。わかってなかったはずはないと思うなあ。

〈トントンならと思ってはじめた「ジャーナル」だったが、とんでもない金食い虫であることが発覚する。
 五年間で使った金は少なく見積もっても一億五千万はくだらないのではないだろうか。これによって鬼六は集めていたすべての刀剣と五千万円の普通預金を失い、やがて鬼六御殿まで手放す破目に陥る。
 鬼六が日本一将棋に金を使った将棋ファンといわれる所以である〉

 1994年、鬼六はとうとう力尽き、「将棋ジャーナル」は廃刊に至った。

 月刊と季刊の違いはあれど、規模からしたらレポと同じようなものだ。さまざまな人々が自由に出入りしていたのも似ている。奇遇なことに5年という期間まで一致する。それなのに、なんだこの差はと思わざるをえなかった。どうやって郵送料を安く上げるか一緒に考えたり、手伝うよと言ってくれる人はひとりもいなかったのだろうか。

 団鬼六がお人よしだった、人望がなかった、そういうことで切り捨てるつもりはない。むしろ、図抜けたカリスマ性の持ち主である。お金より情の結びつきが大事だとか、道徳を語りたいわけでもない。

 きっと場の共有の仕方によって、いかようにも変わるのだ。結局、雑誌が売れなくて廃刊の道を辿るのは変えられなくても、終わり方はずっと違ったものになっただろうと想像する。レポ終刊号の打ち上げは、じつにカラッと陽気なものだった。

 損得勘定などの計算が入り込むと、途端につまらなくなるのである。もしレポに、常連組を優遇するシステムだったり、少しでもそういう雰囲気があったら、僕は気持ち悪くて行かなかっただろう。

 そのへんレポはシビアだった。どれほど多く接点をつくっても、ライターは面白い原稿を書く、書こうとしないと相手にされない。せいぜい、みんなでカレーをシェアするとき、食べたいナンやルーを堂々と主張できるくらいのものである。それでも竜超さんがゴリゴリに仕切っていたから、お伺いを立てる格好にはなるのだけど。

 2012年の冬、僕が初めて編集部に出入りし始めてからおよそ2年半。レポがなかったらと思うと、ぞっとするね。収入にはほとんど貢献しなかったが、心のよりどころになっていた。たくさんのユニークな人たちに出会え、なかにはマジでくだらないことに血道を上げる人がいて、世の中広いなあと思い知った。本来、雑誌文化は豊かで、いろいろなやり方があるのだと励まされた気もする。

 その場所はもうなく、個々の繋がりはつづいていくと言ってもしょせんは強がりで、やはり自分はさみしいのだと気づく。発送作業という事務的な言葉に、感慨を覚えるのはレポ関係者くらいのものだろう。

 
 
 
-ヒビレポ 2015年6月29日号-

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