ハルヒマヒネマ 2-9

やまだないと
ヒネクレハルヒの映画感想帖。
[メルレポ] 2012年9月27日号(通巻第272号)


ほんとうは“描く仕事”をしてるはずなのに、
見てばかりのここんとこの日々。

おそくなりました。福岡行ってた。

先週末の深夜、
いとこのタイと珍しく一緒にオールナイトで映画を見たのだった。

いとこのタイは父方の末のおじさんちの娘で、
ハルヒとは7歳違い
(といってもハルヒは5歳だけど)
さすが親戚といった感じで大変マイペースなヤツで、
ちょっと前まではハルヒの方が
おりこうのおねえさんだったが、
いまではタイの方がしっかり社会人として
この東京で暮らしているのだった。

そして尊敬すべきは、一体どういう時間の使い方をしているのか知らないが、会社員でありながら、ほとんど毎日どこかしらの映画館で映画を見ている。それもロードショーじゃなくて、古い昭和のロマンポルノやヌーヴェルヴァアグ、ハルヒが全然知らない俳優や監督に夢中なシネフィルであることで。

そしていつのまにか、自分で服屋をはじめてしまったことで。

http://hati-hati.shop-pro.jp/

いっておくけど、うちはぜんぜんそのアパレルだの開業だののスキルのある親戚はいないし、タイもまたそんなスキル持ち合わせてなかったはずなのに、おかしなヤツである。

『僕達急行 A列車で行こう』2011 日本

D/W: 森田芳光 A: 松山ケンイチ/瑛太

深夜の新宿バルトナインはいつも来てるが、今夜は3本だてなのである。

“森田芳光 オールナイトで行こう!”見逃していた『僕達急行 A列車で行こう』と、『の・ようなもの』『ときめきに死す』の35mmプリント上映。『僕達急行』は、DVDが出るのだけど、何となくこういう機会に映画館でみたかった。

『僕達急行』は、モリタ監督の遺作となるのだろうけど、そんなことはとっくにハルヒは忘れていた。そもそも、モリタ監督にあったこともないわけだから、この世にいないひとというのがピンとこない。これが最後のつもりで撮ったわけでもないだろうから、映画もまったくそういう緊張がない。上映前のモリタ組の方々のお話を聞いても、楽しくなるばかりで、もういないひとというよりも、いつか会えそうなひと…そんな気分だった。

鉄道マニア、鉄道オタクのマツヤマケンイチとエイタくんが出会う。二人はその出会いがとてもうれしい。まるで、中学生の恋のような顔をする。

会いたくて会いたくてたまらなかったひと。そんな出会いが微笑ましい。

世界は恋愛で動かされている錯覚を持たされるが、こういう、友情に満ちあふれているのがこの世界だ。もちろん、それを恋愛としたっていいのだけど、恋愛に脅迫されることはない。

この二人とも、いちおう、男女の恋愛には興味をもっているし、そういう相手を求めてはいるけれど、ま、いっか、なところが、いい。

彼らはよっぽどの鉄道マニアだが、意外とこれじゃなきゃいけない!という一方的な愛情の注ぎ方はしていない。

ま、いっか、しあわせだものね。ま、いっか、たのしいものね、

ま、いっか、きみがいるものね。

ま、いっか、電車がはしっているものね。

彼らは注ぐ愛情より、ふりそそぐ愛をたのしんでいる。

この映画、いい加減すぎな程、すべてがうまくいく。

いや、うまくいかなくても、主人公二人が、登場人物が、ま、いっか、ってかんじで動じない。

しがらみというものもない。足かせもない。あっても、やっぱり誰もそれをそう思わない。動じない。

誰も動じないので、ひじょうに嘘くさく、おちょくってるのかと思えなくもない、ピースとラッキーあふれる世界だが、ヒネクレハルヒのこの脳がそれをまるで拒否しないのだ。

みてるうちに、なんだかうれしくて、幸せで泣きそうになる。

まるで、裏をかかない、皮肉もかくされない、ハルヒの心は、楽しむためにいたずらにそういうものを求めてしまうが、こんなになんにもないと、まるで生まれたてのような気持ちになる。

これは価値観の映画なんだとハルヒはおもった。

でてくるひとみんな、自分基準の価値を持っている。

エイタくんの(名前が短いのでくんをつけてみる)お見合い相手のあやめさんは(よく知らない女優さんで、あんまりかわいくもきれいでもなんでもないのだが、ハルヒはこの映画の中でいちばん好きな子)エイタくんのとうさんの幼なじみで、とうさんにいまだに片思いをしてる女性が息子さんにと連れてきた。まあ、お母さんの方は、それよりお父さんと自分の恋をなんとかしたいのが本音。で、あやめさんはいきなり見合いの席でキャバクラで勤めてたとケロリと告げ、彼の趣味にも興味を示し、くったくなくピクニックに誘い、“電車べんとう”でエイタくんを感動させ、女の子がまったくダメだったエイタくんも、いいひとに出会えたと幸せをかみしめていたら、でも、自分の流儀として、いまさらまっさらなあなたと幸せにはなれないと、見合いをことわってしまう。なぜ?ことわったのに、その後もわざわざ彼が失恋の傷をいやしに訪れた福岡に偶然あらわれ、屈託なく博多弁を喋る。なんだか存在がすがすがしい。

あやめさんだけじゃない、彼女の母親はエイタくんのとうさんに、娘の縁談をことわったその口で自らプロポーズをするのだが、やもめのとうさんは、それをことわる。とうさんには、再びの連れ合いとの人生より、キャバクラの若い女の子とふざけあう人生の方が魅力的だ。

マツヤマケンイチは電車そのものよりも、走る風景に自分の好きな音楽を会わせて、自分だけの楽しみに浸る。自分のリズムで体をゆらす。

理解されないこと、しあえないことはたくさんあるけれど、まあ、いいじゃないか。

理解しあえないひとたちがであえるから世界はおもしろいんだし。

北千住までいけば、世界中どこへでもいけるのだし。

『ときめきに死す』1984 日本

D/W: 森田芳光 A: 沢田研二/樋口可南子

大人になってこの映画をみるのを楽しみにしていた。といっても、監督がなくなるまですっかり忘れていたのだが。

シネパトスの上映を逃したので、大変幸運。

なんで大人になってみるのを楽しみにしていたかというと、当時、19とかそこらのハルヒには、この映画がどうにもものたりなく、もっさく、ちょっとイモクサく思えたからだった。

それは、やっぱり、ジュリーという存在がハルヒに過剰な少女漫画フィルターをかけてしまってたからだろう。

頭では、ちゃんと、これは少女漫画の世界じゃないのだと。ジュリーがおっさんで悪いわけはないんだと、理解していたんだけど、どうしても『太陽を盗んだ男』のころのジュリーを頭がなぞってしまう。『炎の肖像』のジュリーを求めてしまう。同じ理由で『魔界転生』の天草四郎も、ハルヒにはものたりなかった。『カポネ大いに泣く』なんか、ショーケンとの共演だ。

どうも、このころの中年なりたてのジュリーが、どうもなんだか、ハルヒは受け入れ難かったのだった。(今は割といい)

そのうち、この映画がモリタファンにはかなり評価が高いこと、熱心な支持者がいること、モリタヨシミツの最高傑作と言ってもいいなんて評を耳にしだすと、なんてくだらない見方をしてたんだろうと、ハルヒは、もうぜったいつぎにみた時は、あの小熊のようなジュリーをきちんと人物としてみれるはずだから、そう思っていたのだ。

当時のスタイリッシュな色調、美術。あのころ何となく流行ってたきがする“戦メリ以降”とハルヒといとこが呼んでいる音楽、ヒグチカナコ、どれもが、なんだか、どうももっさりしてる。19かそこらのハルヒの価値観じゃ、イモなかんじがしたのだが、今見たらやっぱりイモくさかった。

ジュリーは、少年おとなみたいな気味の悪さがいいなとはおもえるけど、やっぱりどうしても、いまだに、少女漫画フィルターが邪魔をした。

映画祭の翌日。タイから、おばあちゃんが亡くなったと連絡をもらった。

ハルヒたちは、福岡でまた顔を合わせた。

ハルヒたちのおばあちゃんは福岡の二日市という温泉街に住んでいた。

親戚がほとんど集まって、昔の思い出話等した。

新宿と二日市がこんなに近いだなんて当時のハルヒは知らなかった。

『家族ゲーム』をみたのは、ハルヒがおばあちゃんの家に下宿していた頃だった。

今日から青山のスパイラルホールで東京国際レズビアン&ゲイ映画愛をやっている。http://tokyo-lgff.org/2012/

ハルヒは14日と15日にやる『夕立ちのみち』という映画をすごく楽しみにしてる。15日と16日にやる『ウィークエンド』、17日のクロージング『ノース・シー 初恋の海辺』いろいろ予感のある映画たち。

ハルヒマヒネマ http://blog.livedoor.jp/nuitlog/

最近のハルヒの頭の中、日々をささげる王子様観劇日記

http://www.bookman.co.jp/rensai/esp.php?_page=boyslife

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