月に吠える的日記@新宿ゴールデン街 第6回

若くないウェルテルの悩み

コエヌマカズユキ(第4号で「デスマッチ・ブルース」執筆)

 僕はワーカホリックだと思う。2009年にフリーの物書きになって以来、まともに休んだ日は数えるくらいしかない。寝る間も遊ぶ暇も惜しんで、昼夜問わず仕事に明け暮れてきた。たまに旅行に行っても、結局宿泊先で仕事をしているのが常だ。そんな生活パターンに慣れきってしまうと、恋人がいる生活が想像できなくなってきた。たまに色恋めいた出来事があっても、仕事が気になってのめり込むことができず、相手の存在を負担に感じてしまう。そんなこんなで、僕はここ数年まともに恋愛などしていなかった。

 ヒロコさんと出会ったのは、昨年の初めだった。出版関連の仲間と飲んだ席に、彼女も参加していたのだ。連絡先を交換し、時折二人で食事に行くようになった。竹を割ったような性格の彼女は、裏表がなく、初対面のときから信頼感と好感が持てた。また一緒にいて楽しく、僕は次第に引かれていった。ちなみに僕は、仕事面ではかなり肉食系だが、恋愛では完全に草食系だ。気になる子ができても、情けないことになかなか自分の思いを伝えられない。それでもヒロコさんに限っては、伝えないとダメだと思っていた。そのくらい惹かれていたのだ。
 そしてある夜電話をして、本当に本当に思い切って思いを伝えた。が、彼氏がいるとのことで撃沈された。多くの人が失恋をしたときに陥るように、僕も例外でなく悲しみと苦しみのどん底に突き落とされ、放心状態で数日間を過ごし、友人を捕まえて酒につきあわせ、そして徐々に立ち直っていった。ヒロコさんとは少々ギクシャクしてしまったが、その後も友人としてたまにメールのやり取りをしたり、ランチに行ったりと、ごく普通の友人関係に戻っていった。二人とも腫れ物に触るように、あの夜のことは話題に出さなかった。「時をかける少女」さながらに、告白する以前にタイムスリップしたかのようだった。そして数カ月が過ぎ、僕は「月に吠える」をオープンした。

「すごい、本当にお店オープンしたんだね! さすが有言実行」
 ヒロコさんが店にやって来たのは、オープンして2ヶ月ほどが経った頃だった。平日の早い時間で、他に客はいなかった。ヒロコさんは店内を見渡し、子どものようにはしゃいだ。
「きれいなお店だね! オープンしたばっかりって感じがするよ。ね、コエヌマさんのことこれから何て呼べばいいの? マスター?」
「マスターは何か照れくさいから、これまで通りでいいよ。それより、来てくれてありがとう」
「ううん! 本当はもっと早く来たかったんだけどね。」
 僕たちが会うのは実に半年ぶりだった。お互い仕事が忙しく、近々またランチに行こうとメールでやり取りはしていたものの、なかなか行けない日々が続いていたのだ。久しぶりに会うヒロコさんは、少し髪が伸びていた。カウンターを挟んで、すぐ目の前に彼女がいる。これまでになかった距離感とシチュエーションに、僕はいつの間にか緊張していた。
「仕事帰りだったんだの?」
「うん。ちょっとマッサージに寄ってから来た」
「お店、すぐに分かった?」
「分かったよ。前にゴールデン街は何回か来たことあるんだよね、友達と」
「どこのお店?」
「どこだったっけな~、もう何年も前だから忘れちゃった。確か、二階にあったお店だったと思う」
「そう」
 僕の口から出るのは、表面的な話題ばかりだった。あの夜の話題を本当は出したかった。でも、どうしても出せなかった。会話をしながら、僕は多分うまく笑えていなかった。そして、彼女もそれを感じていたと思う。そんな不思議な雰囲気の中、30分ほどが過ぎ、中年の男性客が入ってきた。
「おや、キレイな方がいらっしゃいますね。どうです、おごるので一杯飲みませんか?」
 かなり酔った様子の男性客は、ニヤニヤしながらヒロコさんに話しかけた。オヤジは宝くじで6000万円当たったことがあるそうで、仕事を辞めてそのお金で毎日飲み歩いていると、酒の匂いを発散させながら延々と豪語した。かなり眉唾物のその話を、最初は大人の対応で聞き流していたヒロコさんだったが、ふと顔をそむけた瞬間、オヤジの顔色が変わった。
「おい、お前、聞き流しただろ? 俺の話聞いてるふりしてるだろう?」
「えっ?」
「ふざけんじゃねえ! それは卑怯じゃねえか、お前……」
 なおも絡もうとするのを、見かねて僕が口をはさむ。
「お客さん、止めてください」
「いいか、お前は人の話を……」
 オヤジがさらに言葉を続けようとした瞬間、僕の中で何かがキレた。
「初対面の人に向かってお前とか言うんじゃねぇよ、失礼でしょうが!」
 一瞬、オヤジがひるむ。
「だってこの女が……」
「もういいじゃないですか。ここは楽しく飲む場なんで、楽しく飲みましょうよ、ねぇ」
 僕は畳み掛けた。オヤジはそれ以上何も言わず、グラスに残った酒を空にして帰っていった。安堵する暇もなく、僕はヒロコさんに向き直った。
「ごめんね! 本当にごめん」
 せっかく来てくれたのに、嫌な気分にさせてしまったことが申し訳なく、僕は必死に謝った。ヒロコさんは首を振り、笑顔を浮かべた。
「ううん。よくいるよね、あんな酔っ払い。全然大丈夫だし、楽しかったよ。それに、コエヌマさんがちゃんと言ってくれたから、安心だった」
 少しの間、視線が交錯した。後であのオヤジにバイト代渡しとかなきゃ。そんなジョークを言う余裕さえなく、僕はすぐに視線をそむけてうつむいた。彼女は財布を取り出して立ち上がった。
「また、ご飯行こうよ」
 僕は頷いた。
「うん!」

 今回の話はここで終わる。何かしらの進展があればいいオチがついたのかもしれないが、実は何もない。そして、僕は相変わらずワーカホリックである。いいのか、それで? せっかく酔っ払いオヤジがチャンスをくれたんだぞ? 店の本棚にある「若きウェルテルの悩み」のウェルテル君が、時折そう聞いてくる。婚約者がいるロッテに惚れてしまい、報われない恋に悩んだウェルテルは、人の恋にも真剣になる。そんなに急かさないでくれよ。それよりさ……と僕は話題を変えようとする。お前はいつもそうだな、とウェルテルは呆れる。聞こえないふりをしていたが、反論できない自分が悔しかった。そして、残り少ない歯磨き粉のように、勇気を絞り出して彼女を食事に誘った。<終わり>

 

<先週の売り上げ>
10月22日(月)1,100円
10月23日(火)10,500円
10月24日(水)7,500円
10月25日(木)6,900円
10月26日(金)17,500円
10 月27日(土)27,800円

合計71,300円

 

-ヒビレポ 2012年11月9日号-

Share on Facebook