いきもの事件史 第7回

象が踏んだら壊れます

日高トモキチ(生きものなんとか紀行連載中)

 
今回サブタイトルの元ネタ、一定年齢以上の方々はご記憶であろう。「象が踏んでも壊れない」をキャッチフレーズに、(株)サンスター文具が『アーム筆入』を売り出したのは昭和40年のことである。
むろん筆入の強度を誇っているわけなのだが、子供の時分の私の印象としてはむしろ「あんなちゃちな筆入も踏み壊せない象やべえ超非力」だった。

とんでもない誤解である。

「象の花子さん大怒り 外交員、踏殺さる ―井之頭公園に忍び込み―

【武蔵野】十四日午前七時半ごろ都下武蔵野市井之頭自然文化園の飼育係桑原隆技師(四〇)が象小屋を見回りにいったところ、深さニメートル三〇のミゾの中に男がペチャンコにされて死んでいた。武蔵野署の調べによると同文化園横の同市吉祥寺二七六一、外交員伊吾沢忠次さん(四五)で、同五時過ぎ同文化園に侵入、鶏小屋を荒したうえ象小屋の錠を破って忍び込み、寝ていた花子さん(インド産九才)をからかったので怒った花子さんに右足で頭、顔、胸を踏みつぶされたうえミゾにけ落とされたらしい。」(1956年6月14日 毎日新聞夕刊)

この外交員なる肩書は最近保険屋さん以外にあまり聞かないが、セールスマンのちょっと硬い表現くらいに思えばよろしい。要は井の頭動物園に忍び込んだおじさんが寝ていた花子さん(インド産九才)をからかって怒らせた結果、あえなく踏み殺されてしまったという事件である。
記事にはくだんの殺人象花子の写真も掲載されており、
「忍び込んだ外交員を踏み殺した花子さん =けさ井之頭で」
とのキャプションがある。むろん花子さんにとくに反省の色はなく、すこぶる元気そうでなによりだ。

朝日新聞はもうちょっと不必要に詳しい。

「胸に象の足跡がはっきり残っており、胸骨もメチャメチャに折れているところから、象の花子さんに踏み殺されたものとわかった」(6月14日 朝日新聞夕刊)

見取図も掲載されている。推理小説でよく見るアレで、ちゃんと溝のところに×があり「死体」と記されていてたいそうなまなましい。朝日はさらに伊吾沢氏の素顔にも迫る。
「同人はこれまでも度々動物の小屋にしのびこみいたずらをして捕まったことがあり、こんどの事件も閉園中のことで文化園側に落度はないとみている」
困ったね常習犯だよ。夜中の動物園に忍び込んで悪さするとかよくない趣味ですよ。

詳細はともかく、象が本気で怒ると中年男性をペチャンコに踏み潰せるくらいのパワーはあることがわかる。そういえば宮沢賢治『オツベルと象』でもオツベルは象の大群によってむざんに圧死を遂げてるし。
象の種類はアフリカゾウとアジアゾウに大きく分けられ、一般には前者の方が気が荒いとされている。比較的温和な性質だとされるアジアゾウの花子さんですらこうなのだから、象をあなどってはならない。
東アジアでは紀元前1000年頃から軍用として象が飼いならされ、戦象(せんぞう)と呼ばれるこれらの重兵器にアレキサンダー大王やローマ共和国が苦しめられた記録が残っている。

なお、「象の花子さん」というフレーズになんとなく気づいた方もおられよう。この名前は戦時中に物資の不足ゆえ餓死を強いられた上野動物園の「かわいそうなぞう」花子さんから受け継いだものである。
1947年に生まれ、49年に上野に来園して二代目花子さんを襲名している。その後54年に井之頭に引っ越し、56年に人を踏み殺してしまった次第。実はこの4年後の60年にも、どういう経緯だったかわからないが今度は飼育係を踏み殺している。花子さんこええ。

ところで冒頭に触れた筆入だが、発売後47年を経て現在も「NEWアーム筆入」の名で現役である。今年8月にはテレビ番組でさらに強化対策を施した同筆入を象に踏ませるという実証実験が行われたと聞く。結果はまったくびくともせず無事だったそうだ。
確かに筆入も丈夫なのだろうが、象の側に多少の手心がなかったとは言えまいなあ、と思う。

そしてアーム筆入同様、花子さんも現役である。65歳、日本国内で飼育されている最長寿の象だ。

※象さんの名前は正しくは「はな子」ですが、当時の新聞記事に従って花子に統一しています。

-ヒビレポ 2012年11月17日-

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