いきもの事件史 第11回

ライオンに気をつけろ

 

日高トモキチ(生きものなんとか紀行連載中)

 

「松島トモ子さん ケニアで撮影中ライオンに襲われる

【ナイロビ 二十九日―松本特派員】テレビ撮影のためケニアを訪れていた女優の松島トモ子さん(四〇)は二十八日夕、ナイロビの北東約二百五十キロにあるコラ動物保護区でライオンに襲われ頭三か所、背中、ももなどをつめで引き裂かれた。二十九日に救急飛行機でナイロビ市内の病院に運ばれ、手当てを受けているが、全治十日間のけが。
松島さんは、日本テレビ(NTV)の番組「タイム21」撮影のため、二十七日ケニア入り。「野生のエルザ」の故ジョイ・アダムソンさんの夫、ジョージ・アダムソンさんがいるコラ動物保護区に入り、動物番組の撮影を始めたばかりだった。」(1986年11月30日 朝日新聞朝刊)

一定年齢層以上なら「ミネラールむ・ぎ・ちゃ(ウーロン茶 煎茶)」のCMでご存じだろう、松島トモ子さん。もっと上の皆さんは子役時代をご存じかもしれないが。

 

松島トモ子さん(日本タレント名鑑より)

 

このニュースが報じられた際、目が怖くて襲っちゃったんじゃないかというライオンサイドに同情的なネタを描いてたマンガ家さんは誰だっけかな。
とまれ、命に別状はなくて何よりである。

彼女はケニアくんだりに出かけて野生のライオンと対峙しているが、日本国内でも百獣の王に襲撃されるケースはしばしば起きている。
古いところでは昭和37年のこの記事。

「ライオンに襲われサーカス団長重体 石巻 観衆は逃げ出し無事」(1962年11月24日 朝日新聞)
襲われたのは安藤猛獣サーカス団の安藤団長さん。猛獣サーカス団ってくらいだから団長自らライオンの調教飼育を行っていたのだが、芸の直後にガッと行かれちゃったらしい。団員によれば、
「ここ二、三日の寒さでライオンの気が立っていたのも原因では」
とのこと。寒いと気が立つんだライオン。アフリカ生まれが11月下旬の石巻に来ちゃ確かに寒かろうがな。

昭和51年には住宅街にも現れた。
「住宅街にライオン 八千代 突然襲われ、けが ペット二度目の逃亡事件」(1976年7月11日 朝日新聞)
こええ。ペットの猛獣や毒蛇の逃亡事件は少なくないが、実際に人を襲った例は決して多くない。めっちゃこええ。

同年末には宮崎で新婚さんが被害に遭っている。この事件はけっこうひどい。
「宮崎サファリのライオン 新婚さんを襲う つい車外に」(1976年12月19日 朝日新聞)
「つい車外に」じゃねえ。サファリパークで車から降りるやつがあるか。被害者の弁によれば、なんでも
「のんびりした風景で、ライオンがきれいだったので、車から外に出た」
そうだ。のんびりしてるのはあんたらの脳内だけだ。一方のサファリパーク側は
「車外に出ないようにとは再三注意している。監視員は置いているがルールを守っていただかないとどうしようもない。開園以来初の事故で大変残念だ」
と悲憤慷慨の体である。なんだかんだで警察の指導も入るだろうし、迷惑をかけられた”被害者”は明らかにこちらである。なお、この新婚さんたちは「新婦の興奮がひどく血圧も上昇している」ため、新婚旅行は中止して入院したらしい。なんか色々ツッコミどころが多くて困る。40年近く経っているがどうしているだろう。
ちなみに宮崎のサファリパークは1986年に閉園し、ゴルフコースになっちまいました。私の出身地なもので、子供の頃連れてってもらった記憶がおぼろげにあります。

サファリパークでの惨劇は続く。

「ライオン、観光バス襲う 群馬サファリ
ガイド嬢かまれ重症 ドア開け、ぬっと上半身 悲鳴、乗客ら追い払う」(1983年11月13日 朝日新聞)

二時間サスペンスのタイトル並の見出しでたいがい事件の概要は語りつくされているが、念のためもちょっと引用を続けよう。

「十二日午後一時五十分ごろ、群馬県富岡市岡本、群馬サファリワールド(秋元秀雄代表)のライオンゾーンで、東京都港区新橋二丁目、東日本観光の大型バスのドラに、ライオンが両足をあげてもたれかかったところ、そのはずみでドアが開いた。ライオンは体半分車内に入り込み、入り口にいたバスガイドの品川区南大井六丁目、峰松加代子さん(一九)が襲われ、背中などをかまれたり、ひっかかれたりして、一ヵ月の重傷を負った。ドアは手動式で、完全にロックされていなかった。」
「背中にツメを立てられ峰松さんは悲鳴をあげながらずるずるとドアの外に引きずり出されそうになった。バスの運転手や前部座席にいた乗客らが四、五人がかりで腕を取って引き揚げ、ライオンを足でけとばした。」
なかなかパニック映画なイメージである。皆で足でけとばすぐらいではライオンは諦めず、結局同園の職員が4WDをライオンにぶっつけて追い払っている。

ところで冒頭の松島VSライオンの話の中に出てくる「野生のエルザ」の著者、ジョイ・アダムソン女史はこの6年前、1980年の1月に物故しているが、その死因は当初ライオンによる襲撃であると発表された。
「ライオンに襲われ死ぬ 『野生のエルザ』のアダムソン夫人
野牛追う姿を見て接近 ケニアの動物保護区内」(1980年1月5日 朝日新聞)
ソースは現地の動物監視員からの無線報告だ。野生のライオンを愛し、ケニアに移住して保護活動を実践していた夫人の痛ましい最期に、ムツさん畑正憲氏の「本望かもしれない」との本気か冗談かわからないコメントがついたりしている。
だが、わずか2日後の第2報はがらりと趣を変えた。
「猛獣でなく犯人がいる? アダムソン夫人の死」(1980年1月7日 朝日新聞)
夫人の死体には猛獣によってくわえられたツメによるひっかき傷らしいものが見当たらず、出血もほとんどないとの報告があり、事件は別な意味で血なまぐさい様相を帯び始める。
この事件は結局、翌年に元使用人の現地人に有罪判決が下って収束をみた。だが、物語はそれで終わらない。

「『野生のエルザ』また悲劇 著者の夫も殺される ケニア保護区」(1989年8月22日 朝日新聞)

冒頭の記事で松島トモ子さんが会いに行き、そして結果的に彼女の窮地を救ったジョージ・アダムソン氏は夫人の三人目にして最後の旦那さんだったが、夫人の9年後にやはりケニアで帰らぬ人となった。武装集団3人組による射殺であったという。新聞は夫妻の自然保護活動が現地の人々との間に産んだ軋轢を伝えた。
しかし犯人とされた密猟者グループは後日無罪判決を受けており、真相はもはや闇の中だ。判ったのは、野生動物よりも人間の方が御し難いという事実だけである。

 

ジョイ・アダムソン女史 (Wikioediaより)

 

なお、ライオンに襲われた松島さんは現地にとどまってロケを続け、10日後に今度はヒョウに襲われて首を咬まれている。そして帰国後に取材を受け、「それでも動物が好き」と言い放った。
素直に彼女の姿勢を是としたい。多少目が怖くても。

-ヒビレポ 2012年12月15日号-

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