月に吠える的日記@新宿ゴールデン街 第12回

ゴールデン街で一番の美女

 

コエヌマカズユキ(第4号で「デスマッチ・ブルース」執筆)

 新宿ゴールデン街にはのんべえが多いが、魅力的な女性も多い。「月に吠える」にも、これまでにたくさんの美女が来店してくださった。女優さん、タレントさん、ストリッパー、トリンドル玲奈そっくりの人妻、人形のようなイギリス人、清純派美人ライターなど、思い出すだけで口角が上がる。中でも一番魅力的なのはMさんだ。御年67歳、自分のことを「俺」と呼び、口ぐせは「てめえ」「バカ野郎」「死んじまえ」。ゴールデン街で、いや、生涯を思い返しても、僕は彼女ほど魅力的な女性を知らない。

「月に吠える」がオープンしたばかりの頃。最初の一週間くらいは知り合いが来てくれて盛況だったものの、そこからがさっぱりだった。全くお客さんが来てくれないのだ。「プチ文壇バー」と看板を掲げたお店の前を、興味ありげに眺めるお客さんは多いのだが、結局ほかのお店に行ってしまう。ひどいときは、一人も来てくれないときもあった。ゴールデン街が賑わっている中、ポツンと一人でお店に座っているのは、本当に辛かった(今でも辛いが)。

 Mさんが立ち寄ってくれたのは、いつものようにお客さんがほとんど来ず、何とか深夜まで店を開けて粘っていた日のことだった。午前2時頃にふらりと入ってきた、杖を突いた小柄な老婆。それがMさんだった。
「ここはいつできたんだい?」
 席に着いたMさんは笑顔で言う。
「もうすぐ一ヶ月経ちます」
「そうか、そうか」
 Mさんはそう言って、おつまみのあられをバリバリと齧った。豪快な人だ、というのが第一印象だった。Mさんは焼酎のウーロン茶割りを飲みながら、ゴールデン街の歴史や様々な出来事を話してくれた。
「そこのお店は昔は寿司屋で、店の前に水槽があったんだ。その向こうには美味い焼き鳥屋があったんだけど、オーナーが詐欺で逮捕されて閉店しちまったんだ。その向こうの店はホストがやってる店でな……」
「●●のオーナーはとんだ女ったらしでよう。本妻と2号が鉢合わせて、店で揉めたことがあったんだけど、オーナーはおろおろしちゃって。可笑しくて仕方なかったな……」
「△△のマスターは男前でいい奴なんだけど、とにかく酒グセが悪いんだ。よく店の前でぶっ倒れて寝てるよ。■■は北海道出身のマスターで、料理がとにかく美味いんだ。お通しはこんな小皿にいつも三品出て……」
 何十年も前から、毎日のようにゴールデン街に来ているというMさんは、まるで生き字引のように何でも知っていた。なぜ毎日来るのか尋ねると、Mさんはカラカラと笑った。
「だって何日か行かないと、死んだと思われるんだ。前に一週間来なかったことがあったら、『幽霊じゃないよね? ちゃんと足はあるよね?』って行く店行く店で言われちゃってさ!」
 約2時間飲んで、Mさんは席を立った。店を出たところで振り返り、笑顔を見せる。
「この店はうまくいくよ。あんた、マジメだもの。俺が保証する」

 それからというもの、Mさんは毎日のように「月に吠える」に来てくれた。雨の日も風の日も、休まずに来た。一日のお客様がMさんだけという日もあった。会話をする中で、Mさんは少しずつ自分の生い立ちを話してくれた。継母にいじめられた幼少時代。不良になり、14歳で背中に羽衣天女の刺青を入れたこと。ケンカで女子少年院に入所して脱走したこと。その筋の人と結婚し、離婚したことなど。その波乱万丈な人生ドラマに、僕はいつも引き込まれるように聞き入っていた。だがそれ以上に、僕は彼女自身の魅力に引かれていた。裏表がなく、思ったことをズバズバ言う潔さ。口は悪いが、その言葉の奥には必ず愛情があり、思いやりがある。そして何より、老婆とは思えない豪快な飲みっぷりと、可愛らしい笑顔。僕は毎晩彼女と会うのを心待ちにするようになった。
「昨日はカレシとデートしてきたよ」
 あるとき、Mさんがそう言った。
「ええっ、Mさん彼氏がいるんですか? どんな人?」
「30歳で、音楽をやっている男なんだ。背が高くて男前だよ。みんなから好かれてる、本当にいい奴なんだ」
 Mさんは少しだけ照れながら言った。
「今度紹介してくださいよ!」
「いいよ」
 少女のような笑顔が弾けた。

 約3ヶ月間、Mさんは毎日「月に吠える」に来てくれた。その間に、少しずつだが常連客が増え、入れ替わるように、Mさんが来店する頻度は減っていった。ゴールデン街には来ているようで、時折顔を合わせて立ち話はしたが、やがて「月に吠える」には来なくなった。寂しかったが、いつまでもMさんに頼るわけにもいかない。これでいいんだ、と自分に言い聞かせた。
 あるとき、営業中にカクテル用のライムが足りなくなり、僕がダッシュで買い出しに行った帰り、店の近くでばったりMさんに会った。
「あっ、Mさん! 久しぶりです!」
「おう、元気か?」
「はい、元気です!」
 立ち止まってゆっくり話したかった。けれど、店ではお客さんが待っているため、簡単な挨拶をしただけで店に戻った。それが、Mさんと会った最後だった。

 今、彼女はとある事情でゴールデン街から離れている。詳細は書くことができない。ただ一つ言えるのは、彼女は必ずゴールデン街に戻ってくるだろう、ということだ。そのときに、「お店、うまくいってるじゃないか。俺の言った通りだろ?」と言ってもらえるよう、僕は最高の空間を作って待ち続ける。Mさんと彼氏、2人分の席を用意して。

-ヒビレポ 2012年12月21日号-

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