ちょっとプアンなタイ散歩 第1回

高飛車ネコの製造過程

 

吉野 歩(第5号で「カラスを飼うという愛の行方」執筆)
 

80年代に大流行した「なめ猫」の正式名称が
「全日本暴猫連合 なめんなよ」であったことを
さっき知りました。吉野です。
ボービョーって読むのでしょうか? なんか植物にわく害虫みたい。

でもいいわ、日本の猫ったら野良ですら怖くないもの。
温室育ちというか、なんだかんだで愛されているというか。

タイの猫は違う。

 

 

バンコクで見つけた民家の「猫避け」。
ビール瓶を叩き割って、塀のコンクリにあしらうだけで、あら不思議。
白い猫がここを渡ると真っ赤な猫に……って、ギャーッ!!

この地へは、通い始めて10年になる。
だいたい滞在するのは、慢性的な渋滞で名をはせる「スクンビット」という大通り、その周辺。外国人向けのホテルやバー、夜のサービス店が密集するこのエリアは、六本木と上野を足して北斗百裂拳で粉砕したかのような猥雑さにあふれている。

そして、この界隈はいつ訪れても朝から深夜まで工事の音が鳴り響いている。
東京以上にビルが建設されては壊されて、壊されたら壊されっぱなしの廃墟やコンクリートの空き地 ―――。

そこで猫たちはしのぎを削る。
で、こんな顔にできあがる。
 

 
眼がカタギじゃない……。

彼らは決して人間に媚びない。
腹が減っているだろうに擦り寄りもしなければ、声の一つもあげない。
タイといえば「シャム猫」。“シャム”とはこの国の古い呼称であり、王族にしか飼うことが許されなかった高貴な種だ。
それらしき風貌の野良は見かけないけど、気高さだけはお国柄なんだろうか……。

人間側も、彼らを「ネコかわいがり」しない。
手持ち無沙汰な街の人や道端の行商人たちは、思いつきで動物に食べ物を放り投げる。「かわいいから心が動く」のではなく「ほしいならやるよ」という素っ気なさで。当然、猫サイドも「じゃ、もらうけど」と、しれっと咥えてどこかへ消える。

頭を下げたら、そこで試合終了ですよ。

その脇で小銭をせびる“職業物乞い”よりも、自尊心は高いに違いない。バンコクの物乞いの中には、働ける体力があるにも関わらず、他人に物を乞うことしかしなくなった輩もいるように見えるから。

寺院であれば、きちんとした施しも存在する。
 

 
しかしあくまでお勤め。餌を挙げている女性は寺の職員だ。淡々と残飯を容器に盛り、階段の上においていく。片言の英語とタイ語を使って、彼女メインの撮影をお願いしたが「別に偉くないですから」という感じのリアクション。私が地面に座り込んで写真を撮り始めてから、初めて彼女は笑顔を見せてくれたのだが、顔の前で手を振り、やがて照れくさそうに去っていってしまった。

実際、タイの寺院は猫たちにとって、ある種の安全地帯となっている。

だからその善意に甘えて、寺に猫を捨てていく人は後を絶たない。2008年に猫ジステンバーが流行ったときは、自分たちに感染すると勘違いした飼い主らにより、大量の犬猫が寺に捨てられたそうだ。僧侶たちはその世話で寝不足になったほどだと言われている。

彼らは、人間たちの様々な行動やその結果の間に漂っている。
彼らは、街の空気だ。
街の空気は、排気ガスとすえた匂いと喧騒で、有機的にダイナミックに汚れている。
 

 
(オマエニハ マダ ワカルマイ ……)

寺の縁の下で息を潜めていた白髪混じりの長老猫がそう言った、気がした。
やはり分からん。
汚いくせに高貴だ。飯もらってるくせに偉そうだ。

長老――。あと何度通えば、その理由を教えていただけますかね。

 
※この連載では、私がタイを散歩する中で見つけた「プアン」(=タイ語で「友だち」。まぁ、親しみを感じたり心ひかれるということで)なモノや場面をお届けしようと思います。決して「不安」ではありませんのであしからず。確かにバンコクのカオスでは、そんな気分にもなりますが。
 

-ヒビレポ 2013年1月7日号-

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