しまぶく道場 第1回

吉野歩さんの不器用さに何を学ぶか?
山下陽光さんの直感力に何を学ぶか?

 
 
えのきどいちろう(第10号で「活字とラジオ(とテレビ)はこんなに違う」を執筆)
 
島袋寛之(第6号で「ホームレスの食卓」を執筆)
 
 
 OK、しまぶく! 先日は「季刊レポ」の忘年会、おつかれでした。しまぶくは調子のいい入り方で、あらかた送本作業が終わった頃やってきて、飲み会参加だったね(笑)。あんたの個性は面白いね。「いやいや、すいません」みたいなニュアンスでするっと入ってくる。あ、これは文句言ってるんじゃないからね。そういう持ち味だという話。僕は「季刊レポ」の集まりはすごく好きで、何というのかな、鎌ケ谷でフリーバッティング見てるみたいなんだよね。鎌ケ谷って日ハムの練習場なんだけど、のんびりね、あぁ、この人はこういう感じか、この人はタイミングはこう取るんだな、うわ、内角のさばき巧いじゃん、とかね。人を見て、その後、原稿読むと、あぁ、こうやってんだなぁ、とか考えたりする。

 しまぶくはマジメそうでテキトーで、いいねぇー。「悶々としてます」が顔に出てるけど、テキトーだからなぁ。そこがしまぶくがしまぶくたる由縁で、「ろ」がまだつかないところなんだけどね。
 俺もえのきから「ど」をつけるまで、血のにじむような努力をしたよ。やっと「ど」がついたと思ったら「どいちろう」と名前のほうについちゃったり。いや、うそなんだけど(笑)、それぐらいのもんだってことを言ってるわけだね。

 こないだの忘年会で圧倒的に「やりおった」のは吉野さんだね。僕はあの人、気になるんだね。酔っぱらって(若者でもないのに)でろでろだったんだけど、ずっと「書きたい」って話をするんだ。あの人は書きたいことがあって、今はうまく書けないでいる。いっぺん草稿を送ってくれたんだけど、うまくいってなかった。で、また書いてる。あの日、酔っぱらって言ってたのは「わたしはそれを書いて、それを届けられたらそれでいい」って話。泣いて何度もそれを言うんだね。えらくなりたい、生活を成り立たせたい、売れたい、もないわけじゃないけど「わたしはそれでいい」って言う。で、大酔っぱらいして、帰り、なぜか中央線の逆向きに乗って立川だか八王子だかで一泊するんだけどね(笑)。

 女の人じゃん。どう見ても本もそんな読んでなくて、引き出しもないじゃん。僕は世代も性別も環境も違う人のこと、わかるわけないんだけど、書けたらいいのになぁと思って見てる。タイプとしては山下陽光さんのほうが自分に近いよ。パッとつかまえて、そこへ走る。走って、あとで考える。ま、山田本とかそういうエネルギーの使い方じゃん。

 だけど、僕は吉野さんが帰りに店の前で言ってた言葉が残ってるな。たぶん本人は覚えてないと思うけど。「それじゃ地上の皆さんは地上でがんばってください。わたしは地下でがんばります!」。おめーは地底人かっ。いや、地底人のつもりなんだと思う。僕は自分の20代の記憶がよみがえったな。自分は何にもできてない。何もない。そういう感情や意識。(121216 榎)

 
 
 
 
 朝の5時半です。どういう入り方で書き始めればいいか、いや、そもそも何を書こうか、あれこれ考えているうちにいつの間にかこんな時間になっています。「いや、とにかく書いてみろよ」という声が聞こえてきそうですが、なんせ相手はあの「えのきどいちろう」なので。自然に気負ってしまいます。今回「しまぶく道場」をやろうと言ってもらえて、もちろんそれを断る理由なんてひとつもなくて、僕にとってはいい事ずくめでしかないのだけれど、もちろん恐さはあるわけですね。じゃあその恐さがなんなのかと言うと、「面白く書けるのかどうか」の一点に尽きるわけですが。しかもえのきどさんの「上の句」を受けて、なんてどうしたらいいのか。だけど当然それも見抜かれて、見透かされてるはずですけど。「うまく書けるわけがないんだから! ヘタなんだから!」というのは、前回のメルレポで「やらかした」僕に対するレポTVの中でのえのきどさんの言葉でした。それは重々分かっているんですけれど・・・。でもせっかくの道場だし、思いっきりやりきらせてもらいます。

 吉野さんや山下さんというのは僕にとって「驚異的な人たち」で、先日のレポTV、僕が飲み会参加になってしまった日ですが・・・、の収録中にえのきどさんが言っていた「肺活量」という言葉。その時の文脈では、川内有緒さんの書く文章の表現の豊かさ、ひとつの情景から受け取る情報を文章に起こす時の饒舌さ、という意味だったと思うのですが(僕はそう理解したのですがどうでしょうか?)。あの2人には違う文脈での肺活量の大きさを感じるんですね。自分のアンテナに引っかかった事に対しての「思い込みの強さ」と言いかえられるかもしれないんですけど。つかまえた事を握りしめ続けている筋力の強さもあれば、長くそこにとどまっていられる持続力もある。なんと言うか、小手先じゃない芯のようなものがすごく見える気がします。もちろんレポにはそんな人たちばかりが集まってて、それがあの雑誌の面白さというか、成り立っている強みの部分なのかもしれないですけど。ああそうかこれは、「レポ賞(仮)」の「トロ、えのきど、新保鼎談」で話されていた事に通じるんですね!「バカバカしい事を真剣にやる」から生まれてくる面白さ。

 山下さんなんて、特に書く事をナリワイとしているわけでもなくて、「思い込み」で突っ走ってみて、そこに生まれた「磁場」で見事に周りの人たちを巻き込んで、なんだか「ムーブメント」みたいなものまで作ってしまう。そしてそれを記事にしてみるとまた、すごく面白い。いやあ、ホント驚異的だなと。吉野さんにしても、僕はそこまで自分がやってる事に没入したり、信じる事が出来るんだろうか。ある意味で、「別に間違っててもいいや」というブレなさ、と言って良いんですかね? その「不器用」さが、うらやましいんです。バランスなんて考えてない振りきり方はいいなあ。「届けられたらそれでいい」なんて、言えないです、僕。

 で、そんなある種「暴走する力」みたいなのを自分にの中にさがし始めると、途端に不安になります。いや、おそらく無いのは分かってるんです。それはもう子供の頃からずっと引きずっている飽きっぽさに由来する部分だったりもして、いいかげん嫌気がさすんですけど、まさにテキトー、なんですよね・・・。「やりたいなあ」とか「書きたいなあ」と考えてる事はもちろんあって、売れたいし、生活も成り立たせたいし、えらくなりたいかは、よく分からないですけど。ライターとしての野望なんかはわりと強烈に抱えてたりするんですが、「これは後でいいかな」って思ってしまいがちで。「あ、これだ、今ここを掘り続けていこう」と、思うには思うんだけれど、それを持続する事がなかなか出来ない。すぐに他の「何かありそうなところ」目がいってしまって。そこが本当に自分の弱いところで、たぶんいちばんダメな部分なんだろうなあと。大分グチっぽくなってきましたが、どうにかしなきゃなと、今日も悶々としています。でも、その「調子のよさ」でうまく渡っていけないかなとも、すこし、考えてはいるんですけど。

 僕はえのきどさんの、その辺りに浮かんでいる空気の中のエッセンス、うーん、エキスのようなものをうまくとらえてしぼり出す感覚がすごく好きで、どうにかそこにたどり着きたいなあ、といつも思ってます。木村カナ全権はそれを「詩人のような批評の仕方」と言ってたんですが、まさに、そうだなと。皮膚感覚でつかまえたその場の雰囲気とか、もしかしたら自分たちのいる時代を大きく見たような時でも、その中から自分に必要そうなニュアンスを取り出して言葉や文章に具体化するあの「えのきど文法」。

 そもそも僕が「季刊レポ」に関わらせてもらうようになったのは、ライターオーディションなるイベントで「えのきど賞」をもらったのがきっかけで、あのとき副賞だったバナナは、お台場からの帰り道、新宿で電車の乗り換え待ちをしている時にしばらく眺めた後で食べました。(121222 島)
 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2013年1月6日号-

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