「食い物の恨み」は消えず 第3回

海老の天ぷらの尻尾って食べる?

 
 
下関マグロ(「新宿の穴」連載中)
 
 

いくらでも食べられるような軽い天ぷら。実に美味!

 
 
人生の中で食べる物が劇的に変わるのは、実家を出てからだろう。
大学受験に失敗した僕は予備校へ通うことになった。
予備校は広島市内にあって、通うことはできなかったので、
家を出て予備校の寮に入ることになったのだ。

新幹線を使えば広島まで約1時間。予備校への入学手続きは母親がいっしょに行ってくれた。
入学金や授業料を支払い、入寮の手続きなどを済ませるとすっかり日が暮れていた。
それで広島駅にある駅ビルで晩ご飯を食べて帰ろうということになった。

 
駅ビルの食堂というのは、今でもそうだけれど、なんでもある。
ラーメンからうどん、カレーライス、丼物から定食各種。
それらが、食品サンプルになって、紹介されているのだ。
「なんでも好きなものを食べなさい」
と母親。それで僕が選択したのは、天ぷら定食だった。
そのサンプルのなかでは、焼肉定食などをおさえ、値段的には一位だったと記憶している。
おずおずと「天ぷら定食」と言うと、「それじゃ、お母さんもそれにする」と言う。

家で食べる天ぷらは、サツマイモとかナスとかレンコンなど野菜が中心で、
衣がしっかりしていた。いや、しっかりというか、重いかんじだった。
ところが、こういった食堂で食べる天ぷらは海老とか白身魚がメインとなっており、
なんといっても衣が軽く、サクッとしていた。
さらに大きな違いは、家では醤油とかソースをかけて食べていた天ぷらだが、
食堂では天つゆがついてきて、それに天ぷらを浸して食べるのが、なんとも美味しかったのだ。

先に僕が食べ終わっると、まだ食事を続けていた母親は
「あら、あんた尻尾残すんかね、残すんなら頂戴」
と僕が残した海老の尻尾を箸でつまんで口に入れた。
そしてカリカリと音をさせおいしそうに海老の尻尾を食べているではないか。
なんだか、ちょっと損した気分になったが、いやいや待てよ、と思った。
家族がやっていることであって、それが社会的にはOKなのかどうかはよくわからなかった。
母親だけのことなのか。だったとしたら、社会からは笑われるようなことなのかもしれない。
でも、海老の尻尾はうまそうだったから食べてみたい。
まだ10代の僕はそんなおかしな葛藤があった。

予備校に入って、寮は2人部屋だった。テレビはなかったけれど、小型のラジオを持ち込んでいて、イヤホンで聞いていた。
土曜日の昼間だったか、広島のローカル番組を聞いていると、公開録音があるという。
しかも、ゲストが所ジョージだというので、出かけることにした。
いま、ウィキペディアで調べてみたら、
「1977年7月25日に『ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景』で、シンガーソングライターとしてデビュー」
とあった。ということは、僕はデビュー直後の所ジョージを見たのだ。
場所は、デパートのイベントルームのようなところで、さほど広くはなく、僕と同年代の男女がちらほらいる程度。
ここに所ジョージが生ギターを持って登場。まず話したのが、
「さっき、そこでマネージャーと天ぷら定食を食べたんですけどね、ウチのマネージャー、海老の尻尾まで食べちゃうんですよ」
と笑いながら言った。客の反応は薄く、つかみは失敗のようなかんじだったが、僕には響いた。
ああ、海老の天ぷらの尻尾を食べる人が他にもいるんだということがわかったからだ。
最初は緊張気味だった所ジョージ、歌い始めると、なかなかおもしろく、途中、
ギターのチューニングがうまくいかないという素振りを見せ、ラジオ局の女子アナウンサーに
「ペンチありますか」と聞いた。ラジオ関係のスタッフがざわつきはじめると、
「なわきゃないじゃないですか」と笑いながら、再び演奏をし、歌った。
これにはどっとうけていた。

その数日後、ちょっと忘れてしまったのだけれど、誰かのコラムを読んでいて、海老の尻尾は医者要らずと言われるくらいだから、
食べたほうがいいという記述があり、俄然僕は背中を押され、海老の尻尾を食べるようになった。
食べてみると、これがけっこう美味しい。海老の天ぷらもいいが、海老フライのしっぽもうまい。
茹でた海老のしっぽもまあいける。甘エビなど生はあまりおいしくはなかった。

時に、いっしょに食事をした人が海老の尻尾を残していると、もらうこともあった。
というわけで、あなたは海老の天ぷらの尻尾、食べる派? 食べない派?
 

僕がこれまで食べていちばんおいしかった若松河田町にある「高七」さん。

 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
-ヒビレポ 2013年1月19日号-

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