しまぶく道場 第3回

しまぶく2013バックレ初め?

 
 
えのきどいちろう(第10号で「活字とラジオ(とテレビ)はこんなに違う」を執筆)
 
島袋寛之(第6号で「ホームレスの食卓」を執筆)
 
 
 
 賀正、しまぶく! いやぁ~、大晦日はえっらい心配したよ。で、原稿が届いてまた心配したよ。てか、読者がみんな心配してるぞ。「理解をゆだねる」も何もないよ。もう最後のくだり、読者全員が「おいっ!」ってツッコミ入れたよ。「読者に理解をゆだねる」も何も、あんたの書いてるのはもんのすごい臆病なひとり言みたいなもんだよ。リラックスリラックス、新年は元気にかっ飛ばそう!

 てか、しまぶくレベル低っ。これはプロの書き手のやりとりじゃんか。読者に理解なんてゆだねますよ。そりゃ読みの浅い人だっているだろうけど、驚くほど読める人だっている。文章を公にするって、その見知らぬ不特定多数相手に自分の芸を示すことだよ。特権的に自分だけでぎゅっと真意を握りしめてても先方に届かない。てか、しまぶくは純文?

 でもね、相手の理解っていうことは今回、僕もちょっと考えさせられた点ではあるんですよ。しまぶくに文章書く実感みたいな話しても通じないな。書いてりゃそのうちわかるだろう、としか言いようがない。求めてないことは言ってもムダだね。ま、「別にして」とわざわざ断って、例外として書いた「息が続かないタイプ読書家」の話に(そこがピンと来たらしくて)食いつく。本筋は「それを書く」の話なんだけどなぁ。書く仕事は(当たり前だが)仕上がりが問われるわけで、実作業で息継ぎしてようとしてまいと、肺活量の大きな文章はあるんだね。まぁ、これ説明しても意味ないと思うんでもういいや。好きに書いて下さい。

 話変わる。しまぶくは『モテキ』って見た? あ、僕はマンガぜんぜん読んでないんで、大根仁さんのドラマと映画のことなんだけど、僕ね、映画があまりにも「長澤まさみはかわいい」に振ってあってびっくりしたんだね。そりゃ長澤まさみはかわいいだろうけどさ、ドラマのときの「ほぼ童貞男が悶え、求め、疾走する」的なオーラがどっかへ行っちゃって、単線的な構造になっちゃった。それは「ドラマの1年後という設定」の成せる人間的成長に回収されることなのか。

 僕は長澤まさみが想像以上にかわいいんだと踏んだ。か、事務所の力なんだけど、それを言うとツヤ消しだから「かわいいパワー」に屈しざるをえなかった、と見たい。長澤まさみをかわいく撮ることに腐心した作品に転じてしまった。でね、しまぶくに聞きたいのは「長澤まさみがサブカル側」って設定にリアリティあるかってことなんだ。僕は到底そうは思えないんだなぁ。これは世代的なアレでしょうか? 僕から見ると「健康的な、屈折のない女優一般」なんですね。

 だから、あんたに聞きたいのは、1、あんたはサブカル側か? 2、世代的には森山未来演じた「藤本幸世」と大差ないと思うけど、あんたは「藤本幸世」が後生大事にしてる渋谷系的世界観とはどういうスタンスにある? 3、あんたの思う「サブカル」側の女ってどんなタイプ? 4、それは好物ですか? みたいなことなんだね。できるだけエピソードもまじえたりして、面白い原稿をこころがけて下さい。あと5、長澤まさみって人はどう身を振ったらいいだろう。僕の考えでは「役に振るのが難しいほどかわいい人」っているんだね。

 あ、その例ではないんだけど沢口靖子って何やってもらったらいいか困るでしょう。まぁ、一応「美人女優」の範疇だ。が、「美人女優」として立ってるだけで、リアリティがない。今のドラマのなかで沢口靖子がやったらいい役ってあんまりないね。だから医者やらせるかリッツのCMの「先輩」やらせるしかない。年齢もあって、もう「先輩」なのね。長澤まさみは沢口靖子と比べて圧倒的にかわいいんだけど、何やったらハマるのか難しいところだと思う。 (130101 榎)

 という原稿を元日未明に送ったのだが、7日17時現在、しまぶく分が来ない。いやー、ちょっとでも時間的余裕をやりたくて、年があらたまって近所のお不動さんにお参りした後、すぐ書いたんだよ。で、メールには「賀正! 平日の間に上げなよ」って添え書きした。今、クレジットを見たら元日の3時14分だ。で、しまぶくから3時17分返信が来る。「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。すぐに取りかかります!」。おお、すぐに取りかかるのか。今回はネタを振って、書きやすくしたから大丈夫かな。長澤まさみのこと書けばいいじゃん。

 そしたら、やっぱり4日は過ぎて、5、6の土日になっちゃった。こっちは三ッ沢に高校サッカー見に行ったりして、慌しかった。そしたら6日18時4分、メールが来て「島袋です。原稿が遅くなってしまいすみません。もう少しだけ時間をもらえないでしょうか。明日の朝までには必ず送ります。どうかよろしくお願いします」。まぁ、正月行事があったかもしれないし、週明けの仕事を抱えてるかもしれない。「まぁ、がんばれ」と返す。「はい、申し訳ありません」と再メール。

 それが7日17時現在、来ないんだなぁ。今日の「朝までには必ず」じゃなかったのか? めんどくさいなぁ。まぁ、編集者にそういうことを言ってメーワクをかけた覚えが僕にもあるけれど、しかし、しまぶくは何でそんなに時間がかかってるのだろう。前回の分なんて「30分くらいで推敲もしないで書きっぱなし」みたいな文だったけどなぁ。「期末テストで時間来ちゃったからとりあえず書けてるとこまで提出」って感じだよなぁ。何が大変なのだろう。

 念のため、しまぶくのツィッターを見てみたら22時間前に「わけあってモテキ劇場版を見直して、そりゃ長澤まさみさんはとんでもなくかわいいんだけど、やっぱりあの映画の中でのサブカルっつー概念の扱いってよくわかんないなー。比較論の中に置いてしまうのもそうだけど、カウンターとして立ち上がってきたものを、固定化することは出来るんだろうか」「つーかサブカルってなんだろうって疑問はしばらくある」「便宜的に単語としては使うけどねー。でも語義的には違和感を持ちながらだったりする」と、おそらくは関連のつぶやきが上がっている。このバカ、つぶやいてる場合か。それをさっさと書けよ。この感覚はどういうものなんだろう。原稿は仕上げないで関連ツィートはするという感性。どうもしまぶくはツィートによると、この原稿書けないでいる期間、チョ・ソンミン元投手の自殺と萬鐵五郎の画集が気になってるらしい (笑)。

 しょうがないなぁということで17時半に電話、「一体、何がそんなに難しいの? いやー、ヒラカツさんから月曜締切って言われてるしさー、コンビで仕事するって相方になるべく余裕もたせるために早めに渡すでしょ。ちょっとこの連載考え直したいよー。とりあえず19時までに何か送ってちょ。週刊とか新聞とかの仕事はデッドがはっきりあるから、守れない人は仕事できないよー」と言う。そんなに難しいこと要求してないんだけどなぁ。そしたら蚊の鳴くような声で「すいません…、何とかもう数回様子をみていただけたらと…」。バカか、こいつは。一生、ツィートして「自分を発信」しとけ。いや、結局ツィッターは筋力なくてもやれるんだよな。それっぽい、意味ありげな短文。それを平らにして、読める文章にして、読者を楽しませる工夫をしてって「頭の筋力」いるんだなぁ。などと思う。

 で、只今18時56分、もうすぐしまぶくの後半パートが届くだろう。届き次第、以下に貼ります。で、ここからが読者へのプレゼンだ。この連載、このまま続ける意味あるだろうか。しまぶくパートを見てから、ご意見、ご提言をお寄せ下さい。何なら「自分が後を引き継ぐ」でもいいですよ。もしかすると来週から「(下関)マグロ道場」になるかもしれない。あるいは単なる一読者と「ぴょし道場」やってるかも。 (130107 榎)
 
 
 
 明けましておめでとうございます。とは言えこれが載る頃は1月中旬、もうすっかり世間は日常に戻っているんでしょうか。僕はまだなんとなく正月のしっぽみたいなのを感じながら原稿を書いてます。

 僕は、今自分がどう書けてるかはさておいて、読む側としては完全に純文が好きです。書き手としてもその領域にいたい、辿り着きたいなあとは思ってます。だからというわけでもないんですが、、特権的に真意を握りしめる事はしないまでも、意識的に隠す事は手法のひとつとして持っていたいなと考えたりします。なんと言いますか、形容詞的表現じゃなく、目に映る情報なりを連ねることで文章にしたとき、「読者にゆだねる理解」というのはでもそれをどこまでやろうかな、やっていいのかなっていう線引きにその都度迷うんですね。読者との距離感と言いますか、単純に「この文章で伝わるのかな」という迷い。もちろん書く内容、テーマだったり媒体だったりで変わってくるんでしょうけど。その感覚ってふとつかめるようなものなんでしょうか?いや、また、ちょっとずれてきそうなので、少し考えてみたいです。間を置いて、いずれどこかのタイミングで蒸し返せたらな、と。

 『モテキ』、久しぶりに劇場版のほうを見直したんですけど、驚きました。なにがって長澤まさみのあまりのかわいさに。前回見たときも同じ驚き方をしたんですが。映画の成り立ちがどうだったのかはよくわかりませんが、確か大根監督も「長澤まさみをいかにかわいく撮るかがこの映画のテーマ」みたいなことを言ってましたね。そういう意味では「かわいいパワーに屈した」のかもしれないです。いや、でも、それでいいやって思えるくらいの爆発的なかわいさだな、とは思いました。今回も。

 それで、彼女が「サブカル側か」ってことですが、正直ちょっと悩んでしましました。結論を言うと、僕は長澤まさみの設定に違和感はありませんでした。ただ、あの映画の中での「サブカル」の扱い方に対して腑に落ちない部分があって、「そういえば、『サブカル』ってなんだっけなあ」と考え込んでしまったんです。もしかするとえのきどさんが言う世代間の断絶というのは、その言葉のとらえ方にあるかもしれません。少なくとも僕より下の世代、「藤本幸世」より下の世代は、この映画の中で描かれてるサブカル的世界観も含めて、長澤まさみの設定に違和感を感じない気がします。

 ただ、僕は「前時代的」(決して否定ではなく言葉の使われ方の変遷という意味で)なサブカルの世界のなごりのようなものも何となく感じてきた世代ではあるんですね。えのきどさんの言葉を借りれば、「健康的な屈折のある人種」がサブカルワールドを形作ってた時代を何となく感じていた。いや、今でもその文脈でサブカルが語られることはあるんだと思います。ただ、少し前の世代よりはかなり健康的になってる気はします。えのきどさんの「サブカル観」って極端に言えば、「病んだ部分を抱えている、屈折した」ってことですか?一応そうだと仮定して考えてみます。

 その世界観を前提にすると、サブカル≒アングラだった時代(僕もや体験していないんですが)の不健康な感じは今はだいぶ薄れていて、少なくとも『モテキ』は「現代的サブカル」を下敷きにして設定されてますよね。もしかするとこれはどの世代でも共通することかもしれないんですが、「サブカル=癖のあるもの、アヴァンギャルドな価値世界」だとすれば、カウンターカルチャーとして生まれてきたサブカルは、今かなりメインカルチャーに近いところにあると思います。いや、言うまでもないと思うんですが。20年前と今の「マンガ」の扱われ方が端的かなと。映画の中でも割と象徴的な感じで出てきましたが、現在使われてる「サブカルチャー」という言葉は、『ヴィレッジバンガード』が思いっきり体現してると思います。

 なので、少しさかのぼりますが、長澤まさみの設定自体にはリアリティを感じるんだけど、それは現在という地点での使われ方をしているサブカルという言葉を前提に考えた場合で、その言葉の使われ方には多少違和感がある。というのが最初の答えになる、かと思います。

ただ、「あたし幸世君じゃ成長出来ない」。あれはサブカルっぽいなと思いました。(130107 島/書きかけのまま掲載)
 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
-ヒビレポ 2013年1月20日号-

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