ハルヒマヒネマ 3−2

陽は昇り陽は沈む。違うよ、地球が回っているだけなのさ。

 
やまだないと(「料理入門」連載中)
 
 
カラックスの『汚れた血』で勇敢なオートバイ少女としてハルヒの前に現れたジュリー・デルピー。小さなドニ・ラヴァンが、お父さんのように大切に大切に彼女を愛してた。アレックスとリーズはハルヒの永遠の恋人だ。
ミルクが詰まってそうにまっしろで柔らかい、だけど、いばらや炎に阻まれた道も果敢に突き進む勇ましい戦士のようなハルヒの中のロリータ。
『天使の接吻』『キリングゾーイ』『トリコロール白の愛』と彼女をみていたが、ハルヒのフランスへの憧れに反して、彼女はアメリカに渡ってしまった。で、『恋人までの距離(ディスタンス)』っていうなんともふつーのラブコメディにでたもんで、がっかりした。裏切られた気分。
ところが! そのがっかりが間違ってたことが、大きく思い込みと偏見であったことがつい最近わかった。まったくハルヒはいつもこのきめつけでどれだけ人生を損しているか。

 
 
『パリ、恋人たちの2日間』2007 フランス/ドイツ
すべてジュリー・デルピー A:ジュリー・デルピー/アダム・ゴールドバーグ

ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』がすごくたのしくて、しばらくパリに行っていない、あーパリに旅行に行きたいなあ、って思いで借りた『パリ、ジュテーム』
http://mailrepo.tumblr.com/post/29597036445/2012-8-17-231
映画の中のパリを見てると自分もパリを歩いている気分になる。外国に知ってる道があるって、楽しいけど、あー淋しいなあ。遠いなあ。
これも、そんなパリ散歩のつもりで借りた映画。ジュリー・デルピーの(ハルヒに対してのみの)裏切りも、もう昔の話。わだかまりはない。
それに、これ、すべてジュリー・デルピーがやってるとクレジットされてる。すべてというのは主演はもちろん、監督・脚本・製作・音楽・編集まで!アメリカの大学で映画を学んだらしいけど、まあなんて、なんというか、勇ましい。冒険心あふれる女の子なのは変わりないんだな。
そして、これがまったく愉快な映画で。
アメリカで暮らすフランス人のアーティストジュリーと、その恋人のインテリアデザイナーのアメリカ人アダム・ゴールドバーグのカップルが、ジュリーの実家、パリに遊びに来た二日間の話なのだけど、会話がまったく飽きない。パリでジュリーに紹介される人たちとの(彼女の両親も両親役で出てる)言葉もかみあわない、ノリもあわない、彼の居心地の悪さ。彼女もあいかわらずのパリに、うんざりはしてるふうだが、それでもここは彼女の街。なんだか早く帰りたいパリってのがおもしろい。たしかに、旅行中、絶対ハルヒが入ることはないだろう、暮らす人たちの輪がうらやましくなる。憧れの街を普段使いにしてる人たち。ここにあるものはどれもすべて、ハルヒのものじゃないと思うと、淋しくなる。パリは暮らすより思い出す街だハルヒには。
それでも彼は英語でコミュニケーションとれるわけで、ハルヒみたいにまったく言葉が通じない理解できない余所者は、どうやってパリを映画にしよう?(そういえば、『新しい靴を買わなくちゃ』先週かき忘れたけど、アレは全編パリで撮影されたパリの話だったが、日本人同士だったので、パリは程よく背景だった)今年こそ、突然変異で英語喋れるようにならないかな、ハルヒ。
しかし、ジュリー・デルピーの人を楽しませる才能。彼女のあのすべて見透かすような小さな奥まった目、ハルヒは、もっと理屈っぽく攻撃的な人なのかと思っていたようだ。お金なかったからすべてじぶんでやったのよーと、大きな口で明るく陽気にインタビューにこたえていた彼女の笑顔がほんとうにまぶしく、お陽様みたいだと思った。
いまさらながら、すっかりジュリー・デルピーのイメージが変わった。
 
 
『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』1995 USA
D/W: リチャード・リンクレイター A:ジュリー・デルピー/イーサン・ホーク

公開時にはなかった“ビフォア・サンライズ”という原題がくっついたのは、約10年後に公開された続編と対になっているからで、この映画は公開後、日本でも映画ファンに支持された。ハルヒはタイトルにはじかれてしまったけど。“恋人たちの”系のタイトルをどっか小馬鹿にした、そういうお年頃だったんだ。
ヨーロッパの旅の途中の列車の中で出会うふたり。導入部にまったく無駄がない。まるで自然な流れで2人は会話をはじめ、初対面とは思えない程弾む会話にみているこっちも、そんな相手に出会った気になる。だからイーサン・ホークが唐突に、いやねらってたんだろうけど、次のウィーンで僕は降りるが君も降りないかと彼女をくどき、ジュリー・デルピーがそれにのっかるのに、ハルヒの気持ちもくっついてる。歩き出してからふたりはとにかく喋りっぱなしだ。ふたりにくっついてその会話を聞いてるのが楽しい。アメリカ人の彼と、フランス人の彼女。この途中下車で恋がはじまるとしても、そう簡単に恋人同士にはなれない距離がふたりの間にはあるというわけ。翌朝のパリ行きの列車が出るまで、貧乏旅行だからホテルは無し、ずっとウィーンの街を歩こう。夏で良かった。
途中、すれ違ったり大げんかしたりとなにか事件が起こるかと思えば、ふたりの会話はあっちへこっちへ、とぎれることもなく、時々彼女の生真面目さに、彼の調子よさにおたがいちくちくしながらも、すぐに大笑いでリセットできる。
こんなに気の合うふたりを見続ける映画ってそうないんじゃない?
お互いの気持ちはわかっているけど、1日限りの出会いだといい思い出にしよう。え?ほんとに?なんとかならないの?
駅のホーム、別れの数分。早口の約束。
こんなに素敵な映画を!ハルヒはみないまま死んでいくとこだった!
 
 
『ビフォア・サンセット』2004 USA
D: リチャード・リンクレイター W:リチャード・リンクレイター/ジュリー・デルピー/イーサン・ホーク A: ジュリー・デルピー/イーサン・ホーク

あの日、ウィーンの街で朝まで一緒にいたセリーヌとジェシー。遅ればせて見たハルヒにはほんの数時間後だが、映画は9年後に公開された。物語の中のふたりにも9年の時間が流れている。
が、実は、その間にリンクレイター監督の『ウェイキング・ライフ』という、なんともみょうちきりんな不思議なアニメに、この二人は出ているのだ。ハルヒ、このアニメはみていたんだけど、これが『恋人までの距離』のふたりだなんて当然知らなかった。セリーヌとジェシーはこのアニメでも持ち時間延々会話し続ける。えんじてるのはもちろんジュリーとイーサン。これはサンライズとサンセットの間を埋めるものではないが、俳優2人と監督はずっとセリーヌとジェシーとその物語を語る映画監督としてそれこそ、時間をわすれて語り合っていたんだろうなあ。
今回は脚本も3人の名前でクレジットされている。
「でもどうせ私たちは老婆の夢の中の登場人物だもの、死に際の夢ね。再開できて当然よ」すごい好きなセリフ!奇跡のように嬉しいことがおこったらそう思おう。
パリで久しぶりにあったふたり。これが9年ぶりなのか、それとも。
が、ふたりは歩き出すやまたしても喋りっぱなしだ。
彼らの会話は、何か着地点に導く為に意図を含めたセリフを与えられてるというよりも、ほんとうにただ、とりとめもなく次から次に話題を変えお互いの考えをまくしたてるのだけど、そのふたりのかけあいのテンポで、彼らと同じような気持ちがハルヒの中でもうごくのがおもしろい。つまり、ちょっといらついたり、うんざりしたり、心から楽しかったり、もっと話していたい。わかれがたい。わかれがたい。わかれがたい。
彼がアメリカへ帰る為に、空港へむかうまでの、つまり夕暮れまでの85分は、この映画の中で流れる時間と同じなのだった。彼らの歩く速度も、立ち止まるベンチも、彼らの再び別れまでの時間を刻んでいる。
ぎりぎりまで、ぎりぎりまで、寄り道を、お茶を。
最後の十数分、これを恋って言うんでしょ?ずいぶん老けちゃったふたりなのに(イーサン・ホークはたった10年であの輝かんばかりの若さをすっかり失っていて驚く)初々しい。
ハルヒはジェシーがもう一度恋に落ちた瞬間を見逃さなかったよ。
 
 
 
ハルヒマヒネマ
http://blog.livedoor.jp/nuitlog/
 
最近のハルヒの頭の中、日々をささげる王子様観劇日記
http://www.bookman.co.jp/rensai/esp.php?_page=boyslife
 
 
 
-ヒビレポ 2013年1月11日号-

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