ハルヒマヒネマ 3−3


 

ふがいない僕は空、見た子とか。

 
やまだないと(「料理入門」連載中)
 
 
2013年になってもう18日もたっている。まったくなんにも仕事がすすんでいない。
仕事すすまないのに、脳を回転させてようと映画はなにかとみてる。
1月1日も映画を見てた。
暮れから食材はお正月価格で値があがってるのに、元旦、映画が1000円でみれる。去年は何を観たんだろうと思ったら『ワイルド7』をみてた。
http://mailrepo.tumblr.com/post/15749819376/2012-1-13-013
今年は、どうやったって好きな映画の予感しかしなかった『リトル・ミス・サンシャイン』の監督の新作を観にいった。渋谷シネクィントは大入りだった。

 
 
『ルビー・スパークス』2012 USA
D: ジョナサン・デイトン/ヴァレリー・ファリス W: ゾーイ・カザン A: ゾーイ・カザン/ポール・ダノ
 
ポスターをみたときから『(500)日のサマー』がハルヒの頭にあって、ポスターの色味だって構図だってぜんぜん違うけど、でも、その先入観がなにかじゃまをしたかというとそうでもない。まあ、そこここに、あの映画を好きな客層をよびこむサブリミナル的な何かが無かったとはいえなかろう。
それよりも、ハルヒ、この映画の始まりで、こう終わるしかないだろうなあという終わりかたが頭に浮かんで、だけどきっと!たぶん!映画としてはそう終わらないところがおもしろいんだろう、と、ずーーーっとさいごまで、その期待感でこの映画をみてしまったので、もったいないことにあんまりおもしろくなかったのだった。
つまり、こう終わるしか無い終わりかたでこの映画は終わったって事。
デビュー作を書いたきりスランプの新進小説家。彼の頭の中に生まれた理想の恋人ルビーが現実にあらわれ、彼の筆はすすんでいく…。
ハルヒのなかのファンタジーラインは、気まぐれと言えば気まぐれで、どんな大嘘でも信じられるときと、まるでのれずに冷めてるときがあって、どこがちがうのかと考えると、たぶん大嘘に悲しみを共感すると、ハルヒはそのファンタジーの世界につきあうことができるようなのだった。
余計なあれこれで、ハルヒはポール・ダノの悲しみ(がたぶんあったと思う)に共感しそびれたのかもしれない。
というかさ、彼氏がポール・ダノで、彼女があんまりかわいくない赤毛のあの子なら、空想なんだか奇跡なんだかのファンタジー風味より、ふつうにふたりの恋の話をみてたかったな。『ラース、とその彼女』みたいな、人の心に起こるファンタジーをみたかったなハルヒ。『リトル・ミス・サンシャイン』はハルヒの心にファンタジーを起こしたし。
そしてこの映画も、家族の描きかたは優しくて好きだ。
 
 
『ワンダーラスト』2008 イギリス
D: マドンナW:マドンナ/ダン・ケイダン A: ユージン・ハッツ/ホリー・ウェストン/ヴィッキー・マクルア
 
マドンナ!こんなかわいらしくてかっこよくてしあわせな映画をつくるなんて。
この映画をみてしばらく、ハルヒはマドンナになりたいと思った。
うまくいかない若者達。AKはウクライナからの移民でミュージシャンとしての成功を夢みつつの、いまはSM調教師。ホリーはロイヤル・バレエ団を目指すストイックなバレリーナなのに、チャンスも実力もおいつかず、生活の為にストリッパーのバイトをはじめ、ジュリエットは理想はアフリカの子供たちの救済と正義に充ち気高いけど現実は自己満足の募金活動くらいしか出来ない。別にサボってるわけでも怠けてるわけでもいいかげんなわけでもない。でも、うまくいかない。そんな3人が一緒に暮らしてる。
ハルヒが信じるファンタジーというのはこの映画のラストのことだ。まさに。すべての登場人物を愛が包む。奇跡ではなく、みんな泣いたり腐ったりしながらも、そこにむかって歩いてたって事。
原題は“FILTH AND WISDOM”で、だらしなさとかしこさみたいなかんじ?だけど、『ワンダーラスト』というこの邦題、すっごくいいと思う。夢見るはワンダーラスト。
AKを演じるユージン・ハッツというミュージシャン。マドンナが一目惚れしてストーカーのように彼のライブをおいつづけて口説き落としたんだって。マドンナは男の子の趣味がほんとうにいいとおもう。ハルヒも、AKのこと一瞬で好きになった。どちらかというと貧相で、ヒモ男風なのに、サディストで日夜求めるものの為に鞭をふるう、父性にも似た愛にあふれた男。
AKは語る。「人が抱える矛盾は、ある種の調和では?」「それはまだ未知の言語。学ぶべき言語。奪われた言語」「もし船が来たら、チャンスだ。なるべく大勢を乗せよう。俺たちは同じ船の乗客。もし沈没したら、一緒に沈む仲だ」
 
 
『ブロークン・イングリッシュ』2007 USA/フランス/日本
D/W: ゾーイ・カサヴェテス A: パーカー・ポージー/メルヴィル・プポー

不思議。筋を語ろうとするとどうでもいいような都合いいラブコメになる。なのにそういうラブコメを見た気がしないんだ。
かといって、なにか深いものがあったかというと、これ、一連のテレビ局制作の日本映画だったらやっぱりハルヒ、どうでもいい映画だと思っちゃうのかもしれない。
主人公のノラは、30半ばで独身ではあるが、美人な部類だし、仕事もしっかりしてるし、男の人受けもいい。どっちかというとモテる。なのに、本人がどうも男の人が得意じゃない。すごくもとめているのだ、恋人を。男の人を。でもうまくやれない。“ほかのひとはみんなうまくやってるのに”彼女はうまくやれない。
一生恋人なんか、結婚なんか、家族なんか持てないんじゃないかという不安。自分が自信を持てなきゃ他人からの評価なんて意味がない。
細やかだなあ。ほんとにその辺に転がってそうな女の人の孤独だ。女優さんもそんな孤独がとってつけたみたいにならない程度に、イヤミじゃない程度に、目にもうれしい。キャスティングもセリフも描写も、とても丁寧だ。
だけど、つくりは雑!いや嫌いな雑さじゃないんだけど。タイトルである“ブロークン・イングリッシュ”が生きるのは後半も後半だと思うのに、その部分、まあ、つまり彼女は奇跡を胸にパリへ行くんだけど、そこからが雑で雑で。
でも、後味はいい。
そりゃそうよ。メルヴィル・プポーと見つめあえば悪い後味なんか残りようもない。
 
 
『ふがいない僕は空を見た』2012 日本
D: タナダユキ W:向井康介 A: 永山絢斗/田畑智子/窪田正孝
 
途中から、あれ、おもしろいなあと、思ったのは話の筋では無く、この映画、その筋も、エピソードも、抑圧、怒り、悲しみ、そのセリフも、何一つ、個性的な新鮮なものはどこにも無く、聞いたことのある、聞いたこと無くても聞いたことのある、見た事のある、そういったもので出来ている気がしたからだ。
なんにも抵抗していない。主張もしていない。全身ユニクロみたいなかんじ。
なのに、うんざりするところがない。ユニクロだって着る人によるってことなんだろう。だれが着るかって映画だったのかもしれない。俳優がみんないい。
とくにクボタマサタカ。彼の演じる福田の暮らす底辺団地の生活描写は、環境そのものよりも、クボタマサタカの、絶望におしつぶされそうな淀んだ目がなによりも痛々しく物語る。
彼がいなかったら、ハルヒにはちょっとギリギリな映画だった。でも、そのギリギリな感じが職人技のようにも思えた。
 
ふがいない僕を観にいった映画館でやってた予告『ロンドンゾンビ紀行』

これみにいこ。
 
 
 
ハルヒマヒネマ
http://blog.livedoor.jp/nuitlog/
 
最近のハルヒの頭の中、日々をささげる王子様観劇日記
http://www.bookman.co.jp/rensai/esp.php?_page=boyslife
 
 
-ヒビレポ 2013年1月18日号-

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