ぜんざのはなし 第5回


新高円寺飲み会

 
 
島田十万(第9号で「『仕事辞めます』高野勝」を執筆)
 
 
 

 年末に公園での稽古風景を見学して、年が明けてから新年会をすることになりました。

「元旦の日本橋亭での初春寄席からずっと仕事が続いて、すごく忙しいんです」

 松が明けたある日の19時、新高円寺駅前での待ち合わせに早めにやってきた笑二さんは溌剌としていました。この日は師匠の独演会があり鶴見から帰ったところでした。

 2人で立ち話をしていると、もうすぐ19時というタイミングでボクの携帯にメールが着信しました。
 時計を見ると18時58分、「すみません、3分ほど遅れそうです」という内容。沖縄出身のフリーライター島袋君(34歳『季刊レポ』第6号で「ホームレスの食卓」を執筆)からでした。笑二さんと同郷でご近所、なので彼も誘っておいたのです。

 駅のすぐ近くと言っていたけれど約束の2分前に3分遅れるメールってのは律儀なんだか神経質なんだか(笑)。
 そのうちに、島袋君が金色の靴を履いて現れました!
 
 

 もうひとり、高円寺在住フリーライターのスズキ氏は仕事が終わり次第合流したいということだったので、とりあえず3人で青梅街道から路地にちょっと入ったところの焼き鳥屋に移動しました。

「すごい世界に足を踏み入れましたね」

ビールで乾杯する間もなく島袋君が口火をきりました。彼は那覇の出身で、上京してから2、3度新宿の末廣亭(*1)に行ったことがあるといいますが立川流は聴いたことがない(*2)。落語家と話すのも始めてです。

「方言なんかはどうしているんですか? 離島、コザもそうだし那覇、読谷村もだいぶ違いますよね。年寄りどうしなら話が通じない。うちのオフクロと親父は単語の違いニュアンスの違いでいまだに通じないことがありますよ。結婚して40年もたつのに」

「師匠からたまに指摘されますが、もう、さすがに方言は出ないですね。問題はイントネーションとアクセント。橋と箸と端とか、雨と飴とか二文字の言葉はむずかしいですね」

 年明けから17日連続で仕事が入っていると言ってましたけど、なんで前座がそんなに忙しいんですか?
 と聞いたのはボク。

「吉笑兄さんが二つ目にあがったので、兄さんの仕事が、そっくり私にまわってきた形ですね。去年の正月は本当にヒマだったんですけどね」

 二つ目にあがると雑用から解放されるのですが、その分仕事がガクンと減るらしいのです。二つ目からは落語家で、来る仕事は自分の一存でなんでも受けられますが、声がかからなければ仕事にならない。
 テレビやラジオに売り込んだり、自分で落語会を主催することなどが可能になるんですが、駆け出しで、知名度も実力もないわけですからなかなか客は集まらない。それで二つ目に成り立てが一番仕事が少ないし、苦しいということらしいのです。

 前座だと師匠のお供、落語会の手伝いやら楽屋仕事などさまざまな雑用があり、それなりに仕事になるんですね。とくに正月は落語会が多い。それに、師匠や兄弟子以外にもいろいろなところからお年玉やご祝儀がもらえるのでウハウハなんです。
 それも一月いっぱいで落ちつくんじゃないか、ってことではありましたが。

「言葉以外での大変なこととか失敗ってありますか?」

「いまはだいぶ慣れたのであまり問題はないんですが。前座になりたてのころは、なにやって良いのか分からなくて用もないのにウロウロしていましたね。古参の師匠に「こらっ、前座失せろ!」と1日に3回も怒られたこともあります」

 ヤキトリ盛り合わせとか馬刺、トリのたたきなど頼んだんですが話が弾んで誰もおつまみには手をつけない。出身地沖縄というのと関係があるのかないのか、2人はよく飲んで、よくしゃべります。

「クスリを飲むから白湯を持っきてと言われて熱湯を持ってっちゃったりしたのだから怒られて当然ですよね。やはり気を利かせて、水入れて温めてから持っていくべきでした」

 沖縄の人たちと付き合いも多いんですか?

 笑二さんは「小学校の同級生が4、5人、学生で東京にいるんですけれども、随分前に1回集まっただけですね」というし、島袋君も沖縄というのはそれほど意識しない、とのこと。

 あれやこれや話したあと、島袋君が「笑二さんは、田舎者の落ち着きがありますね」なんて、ニコニコしながら失礼なことを言ってトイレにいきました。

 2人ともなかなか良い具合に酔っぱらってきたようです。
 
 
 
(*1)新宿末廣亭 都内に4軒ある落語定席の一つ
 
(*2) 1978年の落語協会分裂騒動により、立川流は、基本的に定席には出演しない。詳しい顛末は各種書籍がでているのでご参照ください。
 
 
 
-ヒビレポ 2013年1月29日号-

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