ちょっとプアンなタイ散歩 第5回


ミミズ先輩

 
吉野 歩(第5号で「カラスを飼うという愛の行方」執筆)
 
 
 

ウチの近所に15階建てのマンションが建設中なのだが、まだ半分もできあがっていない。都心じゃ一般的な高さかもしれないが、埼玉県の非メジャーな駅周辺だとちょっとした注目を浴びることとなる。今までは日当たりのよい空き地だったので、これが完成したら、どれだけの日陰がこの平和な商店街を覆ってしまうのだろう。気になって仕方なく、視線そこに固定したまま歩き続けていたら――、股間に激痛が走った。車道と歩道の間ににょっきり生えていた、鉄のポールに身体ごと突っ込んでいたのだった。

幸い私の大事な部分は、外界に飛び出ていないタイプの物だが、それでも相当痛い。なんせ、鉄の棒に真っ向勝負を挑んだワケだから。5分ほど痺れがとれず、思わず駅のトイレでその部分の色を確認してしまった。色も大きさもいつもと変わらず、今後の使用にも充分耐えうるものでしたが、肉は金属に勝てません。散歩中のよそ見は、ほどほどに。

しかし、こんなものが道端にあったら、あなたは素通りできるだろうか。

 
 

 

バンコクのスクンビット通りの商店街、その店と店の隙間に置いてあったのだ。飲食店の脇にあるゴミ捨て場のような場所。もしかしたら、素通りできる方もいるのかもしれないが、私は33歳になろうとする今でもゴミ捨て場から物を拾う習性があるので、そこにきれいな色の物体が置いてあるというのはどうしても見逃せなかった。パッと見、「まぁ、カラフルなグラスですこと。中に入っているは、おゼリーかしらおキャンドルかしら?」としゃがんで覗き込んだところ、ご覧の通りのゴキブリ様だったのである。

原始的なゴキブリほいほいだろうか。だとしても謎だ。なぜ赤や、緑、黄色など複数の色を用意する必要があるのだろうか。害虫別に分けてあり、使用されている薬品が違うのか……。え、何? 芳香剤みたいに匂いが違うんじゃないかって? 私もその可能性を考えたのですが、さすがに鼻を近づけて匂いを嗅ぐ勇気はありませんでした。タイ人の友人や(別の)お店の人に写真を見せて解説を迫ったが、「何でこんなものに興味持つの?」と一笑に付され、誰もまともに取り合ってくれない。あるいは誰もこの正体を知らなかったのかもしれない。

悔しいが他に調べる術が思いつかなかったため、この案件は現状、迷宮入りとなっている。昨年の文学フリマでゴキブリのミニコミ誌『ゴキコミ』なるものを見かけたのだが、そこの編集部員さんならご存知だろうか? ともあれ、もし情報をお持ちの方は、メールください。(ysnoaymi@yahoo.co.jp)。お会いした際は、お礼として、タイのゴキブリのモノマネをさせていただきます。

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熱帯の地域に共通する傾向ではあるが、ここの虫たちも図体がデカくて、割と色が鮮やかだ。いちいち存在感がある。黙っていても饒舌なのだ。だからキモチワルイと思いながらも、なぜかひきつけられる。特に死んでいるとき。
 
 

 
轢死したムカデ。偶然だろうけど、周囲に美しい花びらがはらはら散っていた。ピンクの配置まで計算したんじゃないか。なんかキザだよね。ムカデの性格なんて知らないけど、自らの死を「もっとも注目されるべき晴れ舞台」として肯定してるような気にさえなった。埼玉の家の近所でもこのような光景は存在したのかもしれないが、見る側の状況が違うからかもしれない。言葉が通じない場所の旅には、感受性を無限に増幅させる効果がある。口を封じられてしまうおかげで、その他の視覚や聴覚、皮膚感覚、第六感みたいなものが敏感になるせいだと勝手に思っている。一人でいても「世界の意志」みたいなものと繋がっている感覚が常にある。時と場所によっては、神様なんて呼ばれるのかもしれないけど。

自分が死んだときに出迎えてくれるのがこの「世界の意志」なのであれば、結構リラックスして逝けるんだが、なんせ丹波哲郎以外に「死んで帰ってきた人」がいないので確かめようがない。あの大地震、原発事故以降、死ぬということがとても身近に思えるようになった。何もないのに、「明日死んじゃうかも」と怯えて、眠れなくなった時期もある。いつか必ず来る「死」という一大イベントを、先に迎えられたムカデ先輩。何を感じながら逝ったのだろう。

こんな感傷の気持ちは、本来、生き物としては不必要なのかもしれない。どうにもならないことをあーだこーだ考えることから哲学が生まれたとも言えるが、恐竜以前から地球に生きるゴキブリ先輩や、ムカデ先輩には「無駄なあがきだ」と鼻で笑われるんだろう。

考えすぎもよくない? 考えないのもよくない? うーん、分からん。

タイでは「人は死んでも、次に生まれ変われる」という考えがベースになっているせいか、死んだ身体を「抜け殻=ただのモノ」として扱う傾向があるようにみえる。国内で起きた交通事故の遺体映像もバンバン流すし、バンコクには死体のホルマリン漬け、ミイラ、三枚におろされた身体(本物)などを展示した「シリラート死体博物館」があり、レジャー感覚で見物に行く人もいるみたいだし。魂が抜けた肉体には特別な感傷や執着がないのかもしれぬ。

死んだらこの肉体、このステージは終わり。さぁ、次がある、次がある。タイの人が持つ「死生観」みたいなもの。私にはまだ全然理解できないけど、いつか、もしかしたらこんなチキン野郎の背中をドンと叩いてくれるのかもしれない。

あのクソ暑い国から直行する天国には、やはり太陽がさんさんと照っているのだろうか。遺言には「棺には“日焼け止めクリーム”を入れてください」と書いておいたほうがいいのかもしれない。ついでにシンハビールも加えておこうか。ムカデ先輩が一緒に飲んでくれるといいんだけど。
 
 
 
-ヒビレポ 2013年2月4日号-
 
 

【追記 2013年3月26日】
なんと、掲載1カ月後。たまたまこれを読んだ『ゴキコミ』制作メンバーの「ムシモアゼル ギリコ」氏から、直接メールをいただいた。例のゴキブリグラスについて、知人のゴキブリ屋さん(!)に聞いてくださったそうだ。
ゴキブリ屋さん曰く、「あれは誘因剤入りのゲルに入ったら、窒息死するか殺虫剤でやられる仕掛けだと思いますよ。色分けは、テキトーではないでしょうか。見た目だけの話で(笑)」とのこと。「真偽のほどはメーカーに聞かないと分かりませんが」と、さすがプロらしい前置き付きであったが、果たしてあのグラスにメーカーなんていうものが存在するのか……それはそれで謎である。

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