「食い物の恨み」は消えず 第6回

あなたはバッテラ派? それとも鯖棒寿司派?

 
下関マグロ(「新宿の穴」連載中)
 
 
 
バッテラは相変わらず安いね。360円でした。
 
 

初めて食べたときのことを覚えているシリーズで、どうしても書いておきたいのが、バッテラだ。
これはもう明快に初めて食べた時のことを覚えている。
1977年の秋だった。この年、僕は広島の予備校、英数学館の寮で暮らしていた。
英数学館の寮は市内にいくつかあった。僕が入寮したのは旭町という場所にあった寮だ。
同じ高校の卒業生である高橋くんは、比治山町にあった寮にいた。
どちらもけっこう古い建物だった。

 
 
高橋くんの部屋を訪れたのは、夏休みが終わってからだ。
顔見知りだし、予備校で言葉を交わしたことはあるけれど、
さほど仲は良くはなかった。それが次第に言葉を交わすようになり、
部屋を訪問することになった。
ちなみに高橋くんにはある噂があった。

同じ高校の卒業生から聞いたのだが、
「あいつ、新聞紙食うて金貯めて、トルコ風呂に行っとるらしい」
というものだった。トルコ風呂というのは、今のソープランドのことだ。
さすがにその真偽は予備校では聞けない。彼の部屋を訪れたとき、まっ先にそのことを
声をひそめて訊ねた。
「ありゃあ、本当の話なん?」
すると、そういう話はすでに知っているようで、笑いながら、
「ははーん、その話か。そりゃまあ新聞は食ったことはある」
高橋くんは笑いながら続ける。
「あるけど、まずかった。それにトルコ風呂も行ったことはある」
「へえ、すごいのぉ」
 僕は驚いた。
「じゃけどのぉ、トルコ風呂に行くために新聞紙食うて金貯めちょるちゅうんはウソじゃ」
 と豪快に笑った。このあと、僕は彼のソープ体験をくわしく訊いた。
 それにしても噂というものはおもしろいものだ。

そういえば、僕についての噂もあった。
「増田(僕の本名)は大学受験に失敗していまは魚屋で働いちょるらしい」
というものだった。
なんで、こういう噂が出たのかさっぱりわからないのだが、
浪人時代、昔の友人にバッタリ道で会うと、当然のように
「いま、魚屋やりよんじゃろ」
と言われたりした。

話が脱線してしまったが、
その高橋くんの部屋へうかがったのは、土曜日。
お昼をいっしょに食べようということだったのだ。
寮は、土日の食事は出なかった。それまでたいていひとりで近所のお好み焼き屋などですませていたのだが、
この頃から、すこしずついろいろな人たちと食事に出かけるようになっていた。
高橋くんは「小僧寿しにしようか」と提案した。
ちょうど高橋くんの寮の近くに「小僧寿し」はあった。
テイクアウト専門の小僧寿しは山口県にもあり、
実家でも母親がよく買ってきてくれたのでなじみはあった。

僕は握り寿しのセットを買い、高橋君もあれこれ買っていた。
部屋に戻り、高橋くんは電気ポットでお湯をわかし、
お茶を入れてくれた。で、さっそく二人で食べることにした。
高橋くんは、ひとつは、いなり寿しと太巻がはいっているパック。
そして、もうひとつは見慣れない寿しだった。
「それりゃは、なんかね?」
と聞けば、
「こりゃ、バッテラちゅうんよ、食べてみる」
と、僕にひと切れくれた。僕は、いちばん苦手なマグロの寿しを高橋くんに渡す。
「ええの?」と高橋くん。僕はどうぞ、どうぞと言う。
さて、目の前のバッテラのひと切れを見て僕は質問した。
「この上に乗っちょるのは剥がしたほうがええん?」
透明の物体が上にのっていたのだ。
「いや、いや。それも食べれるんじゃ、昆布じゃけぇ」
というので、そのまま口に入れてみた。
酢の香りと鯖の香りがする。
噛むと固く圧縮された米と鯖と昆布が口の中で一体となる。
思わず、
「なにこれ? おいしいねぇ」
「じゃから、バッテラっていうんじゃ」
「ほう。ほんで、これなんぼ?」
「130円」
「このひと切れで?」
「な、わきゃないでしょ、これ一本で130円」
 僕はその安さに驚いた。それから僕は、バッテラのヘビーユーザーとなる。
バッテラと金ちゃんヌードルあるいはどん兵衛をいっしょに食べた。
安上がりでお腹いっぱいになる。ちなみに金ちゃんヌードルというのは、
西日本では普通にあったカップ麺だ。

それから僕は大阪にあった桃山学院大学に入学する。
大阪は堺市にある北野田という駅近くの下宿に住んだ。
その町にも小僧寿しはあったのかもしれないけど、
駅前商店街には、持ち帰りずしのお店があって、
そこのバッテラはとてもおいしかった。
この店に限らず、大阪には、あちらこちらで持ち帰りの寿しを売っていた。
このころ、バッテラと同じような鯖棒寿しというのがあるのを知った。
鯖の身も大きかったし、ご飯もギュッと圧縮はされてない。
もちろんバッテラよりも値段は高かった。
だから僕はずっと安いバッテラだった。

東京にきても、バッテラはけっこう好きで食べている。
この原稿を書くため、バッテラを買おうと思った。
今は、スーパーでも売っていたりする。
今回は近所にあった京樽で買った。
さらに、コンビニで金ちゃんヌードルを探すも見つからなかった。
仕方なくどん兵衛にする。
久しぶりにどん兵衛を買ったが、粉末スープが液体スープになっていて驚いた。
若いときはバッテラとどん兵衛を食べてもへっちゃらだったが、
さすがに今は少し胸焼けがした。
お味噌汁ぐらいにしときゃよかったかな。
で、気がついたのは、自分はこのところバッテラはあまり食べていないということ。
この圧縮したごはんを食べるのは久しぶりだと気がついた。
僕はもっぱら鯖棒寿司派になっていたのだ。
 
 
どん兵衛もおいしくなっていた。
 
 
-ヒビレポ 2013年2月9日号-

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