イメージの詩 第26回

働けフリーライター

 
 
えのきどいちろう
(第10号で「活字とラジオ(とテレビ)はこんなに違う」を執筆)
 
 
 
 以前、下関マグロさんと話してたとき、「80年代のえのきどさんはアイドルっていうかスターみたいな感じで、僕は文章を真似しようと思ったことがありますよ。こういうことを書かないと売れないんだなって」と言われたことがある。あざーす、なんだけどね。そこにはちょっと誤解があって、「でも、僕、風呂つきのワンルームマンションに初めて住んだの27歳ですよ」と言ったら、「えぇっ、それはこっちのほうが早いですね」とびっくりしていた。しかも、27歳のその時点で部屋のベッドは酒屋さんでもらったビールケース何個も並べたやつだったからね。

 だから「(売れてない自覚のあった、下関マグロ名義になる前の)増田剛己」と「(売れてると増田剛己に見えていた)えのきどいちろう」という2人のフリーライターには大して収入の差がなかったことになる。ましてまだ仕事が軌道にのってない80年代半ばの時点では、「増田>えのきど」だと思うんですよ。たぶん87年か88年くらいにようやく逆転することになるけど、それでもどっこいどっこいじゃないですか。出版社も景気がよくなってきてたし、フリーライターはそれなりに小銭が入った。

 
 
 んと、おそらく今の若いライターは仰天すると思うけど、当時、集英社とか小学館とか、大手で6ページくらいの特集やると、ひと晩で10万くらいになったんだ。特集記事のアンカーだからもちろん無署名。講談社も同じくらい。僕はあまり縁がなかったけど、マガジンハウスはもっと原稿料がいいという噂だった。「ひと晩で」っていうのは文字通りひと晩の話で、当時はメールもFAXもないから出版社行って、会議室で原稿書くんだね。大体、夜8時くらいに行って、直しもふくめて上がるのが夜中の3時とか。「ひと晩で10万」ってわかんないけど風俗くらいの収益でしょ。問題は月になんべんくらいお座敷がかかるか。あ、アンカーに渡すデータ原稿っていうのがあって、最初はこれをやるんだけど、データ原稿はもっと安いかな。それでも何万とかになる。量こなせばけっこうお金になる。

 で、20代の中頃、僕は連載は『シンプジャーナル』の2ページだけ。あとは集英社、小学館でときどき特集のアンカーやデータマンやらせてもらって、それ以外だと三和出版で「字のとこ」担当(これはストリップコメディアンみたいな感じで、ドリフターズについて8ページとか好きなこと書かせてもらう。が、稿料は安い)。ほぼそんなとこだね。編プロ「シュワッチ」は基本、ライター集団だったから大手男性誌に食い込むのが大方針だった。これが相当うまく行くんだ。『週刊プレイボーイ』、『GORO』、『ホットドッグプレス』、『スコラ』あたりが主戦場になる。

 だけど、再三書いたように僕はフリーライター業があんまり上手じゃない。小学館『GORO』はけっこうやったけど、板橋雅弘があんなに食い込んでた集英社『週刊プレイボーイ』はたまにしかお呼びがかからなかった。集英社でよくやったのは『サムアップ』っていうマイナー隔週誌だったな。聞いたら北尾トロさんも(まだ伊藤名義時代)、同誌で仕事してたらしい。

 さて、状況を打開するきっかけになったのはどこの仕事か。『シンプジャーナル』だったんだ。これはぜんぜん大手じゃないし、稿料も安かったけど、意地になってごんごん続けてるうちに2つの展開が生まれた。ひとつは「それをやってるんだったら」とまわってきた『週刊プレイボーイ』の井上陽水インタビュー記事、もうひとつは「『シンプ』に面白い若手がいるって音楽ライターに聞いて」と発注が来た『ミュージックマガジン』の連載だった。

 井上陽水インタビューに関しては沢木耕太郎さんの『深夜特急』の文庫版巻末対談(沢木×陽水)に載ってる。記事はすごく面白く書けて、社内でそれを見た『週刊セブンティーン』(誌名は当時)の編集者から問い合わせが来て、僕は『週刊セブンティーン』という意外な雑誌で仕事をすることになる。これは最初は特集記事だったけど、そのうち「桑田佳祐の有言不実行日記」という連載になる。最高の仕事だ。作業としてはゴーストライトだけど、とにかくレコーディングしてようがツアー中だろうが、2週にいっぺん桑田さんに会いにいってインタビューをとり、そのテープをまとめる。

 取材は最初、緊張したけど、途中から「こっちのネタを桑田さんにぶつけて、反応からネタを引き出す」になった。だから、2週にいっぺん桑田さんを爆笑させるネタを心血そそいで準備する。この仕事で桑田さんから学んだことはめちゃでかいなぁ。桑田さんは自分の言葉を持ってる人だった。ちょうど『KAMAKURA』って2枚組のアルバムを作ってた頃だね。

 『ミュージックマガジン』は「音楽あかさたな」っていうサブカルチャー時評みたいな連載だった。てか、あんまりサブカルチャー時評になってなかったけど。ま、自分のネタを思う存分って感じ。僕はね、このブレークスルーの経験は一生ものだったと思っている。実感としてわかった。場所はどこでもいいんだ。とにかくゴンゴン徹底的にやる。と、マイナーな場所であっても誰か見てる。誰かに届く。で、戦線が拡大するんだ。仕事が仕事を呼ぶ。行ったら行った先でまたゴンゴンやる。と、またそれが新しい仕事を連れてくる。

 酒が飲めなくて人づきあいが悪い、営業が極端に苦手な自分としてはそこに賭けるしかなかった。精魂こめてゴンゴンやる。誰かに仕事を見てもらう。だから僕のひとつのモノサシは「ひとつの仕事を終えたとき、それが何を連れてきたか」だなぁ。何か連れてきたらそれは成功した仕事なんだよ。何も生まれなかったらゴンゴンが足りなかった。今に至るもずっとそうだね。僕はもらった場所がメジャーだろうがマイナーだろうが、小洒落てようがパッとしなかろうが関係ない。その場所を起点にしてゴンゴン始める。

 
 
 

-ヒビレポ 2013年2月17日号-

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