「食い物の恨み」は消えず 第10回

「素うどん」と「かけそば」どっち?

 
下関マグロ(「新宿の穴」連載中)
 
 
 

小学校5年生になったとき、ボーイスカウトに入団した。
母は僕が入りたいと言ったから、入団させたというようなことを言うが、
自発的というよりは、母親に聞かれ、
「うん、やってみたい」と言って入団したんだと思う。

5年生になる前の春休み、母は他に入団するという同級生3人とその母親で、
山口市までバスに乗り、ボーイスカウトに必要なものを買いに行った。
僕が住んでいる防府市では売っていなかったからだ。
制服ひとそろえに、キャンプの道具いろいろ購入した。
当時のボクにはわけのわからないものだらけだった。
たとえば、ポンチョという雨ガッパ。ただの平らなビニールシートに大きな頭部分があるものだった。
キスリング(リュックのこと)を背負ったまま着用するため、
こんな形状になっていることに気がつくのは、もっとあとのこと。

 
 

 
 

そして、カーキ色の制服も変だった。
初めて見る形の帽子に半ズボン、ハイソックは、上の部分をガーターで止めるのだ。
またネッカチーフもつける。チーフリングというものを使って、絞めるのだ。
このチーフの先は最初は、結んでおき、善行をすると解いていいということを
知るのももっとあとだ。
とはいえ、ボーイスカウトの活動は制服を着ない活動もずいぶんあった。

小学校5年生の1月7日、母と弟と僕で昼ご飯を食べようとしていた。
その日は、安倍川餅だった。
昔、安倍川餅は本当においしかった。
その理由は、七輪を使って餅を焼いていたからだ。
七輪で炭をおこして、餅を焼くと、いい具合に餅が焦げる。
この焦げた部分にきな粉が付くのが美味しかった。
磯辺焼きも同じである。いつからか七輪を使わなくなり、
ガスコンロで焼く餅はおいしくなかった。

ひとつ目の安倍川餅が出来たところで、
玄関のベルがなった。玄関のドアを開けると、
ボーイスカウトの先輩である田中さんがいた。
といっても、制服ではなく私服姿だった。
僕は出来たばかりの安倍川餅をほおばって家を出た。
母親は田中さんに待ってもらって、もっとゆっくり食べて行けと言ったが、
いやいや、大丈夫と僕は田中さんと出かけた。
今から考えると少し変なのだが、ボーイスカウトの活動といいながら、
僕は田中さんが親から頼まれた仕事を手伝わされていた。
まずは、田中さんの家でサンドイッチ作りをした。
ゆでたまごの殻を剥けと言われ、剥いたら5、6個まとめて
すり鉢に入れて、すりこぎでつぶした。
そこにマヨネーズ、塩、胡椒で味を整えたら、
サンドイッチ用のパンに挟んでいく。
そうか、卵サンドってこうして作るんだと思った。
しかし、作ったサンドイッチは食べさせてもらえなかったので、
どんな味かはわからない。これも食い物の恨みのひとつだろう。

そのあと、田中さんの家の倉庫の掃除。なにか重いものを動かさなくてはならず、
2人では動かせなかった。それで、もうひとり呼ぼうと、
僕は原田くんの家に行った。幸い原田君は家にいて、
僕たちは3人で作業をした。やっと終わったのは、もう陽がくれてからだった。

その後、田中さんは、僕と原田くんを近所の食堂に誘った。
仕事を手伝ってくれたお礼ということだったのだろう。
テーブルにつくと田中さんは
「素(す)うどんでええ?」
と、僕たちに聞いた。僕は、上の空で頷いた。
ずいぶん遅くなってしまった。もう家では晩ご飯の時間だ。
外でなにかを食べて帰ると、母親に叱られた。
だから言わないでいることが多かったが、母親はそれをいつも見破った。
きょうもうどんを食べたら、怒られちゃうな、
あれこれ悩んでいるうちに、素うどんが3つ運ばれてきた。
そのルックスはいまも覚えている。
薄切りにされたちくわ、カマボコに少量のネギととろろ昆布が乗っかっていた。
しかし、それを見た僕は思わず立ち上がり、「帰ります」と言って、
そのまま店を出て、必死に自転車を漕いで帰った。
家に帰ると、ちょうど晩ご飯を食べるところだった。
母親は、「何か食べてきたん?」と聞く。
「なにも食べちょらんよ」と言う僕。
すると母親は、意外なことを言った。
「お昼もろくに食べんで出かけたんじゃから、なんか食べてくればよかったのに」
これまで外食はいけないと言われえていたのだが、それが変わった瞬間だった。
僕は少しだけ大人になった気がした。

次の日は、3学期の始業式だった。
原田くんは僕を見つけて、駆け寄ってきた。
「昨日のうどん、うまかったよぉ」
と言った。
「へえぇ、そりゃよかった」
と言ったきり、何も言えなかった。
この素うどんは、食べていないから、
そのとき、恨みは残っていたのかもしれない。
ただ、その後、中学生や高校生のとき、僕は何度も素うどんを食べた。
だからもう恨みはなくなっている。
煮干でとった出汁に箸で切れる細いうどんが入っていた。

「素うどん」の「素」は多用された。
高校の近くにあった「七福」という、夏はかき氷、冬は回転焼きを売る店があった。
友人たちとかき氷を食べに行くと、注文するときに
「素氷(すごおり)ください」と言う奴がいた。店のおばちゃんは、お約束のように
「すごおりちゃ、酢をかけるんかね」
と言い、僕らを笑わせた。

その後、大阪の大学に進学したのだけれど、
大阪にも素うどんは、あった。
僕が最初に遭遇した大阪の素うどんは、
「なんば花月」という吉本興業がやっている劇場の前にあったカウンターだけのうどん屋だった。
そこの「素うどん」には具がのっていなかった。
しかし、カウンターには天かす(揚げ玉)とネギが置いてあって、どちらも入れ放題だった。
大阪はすごいところだなぁと思った。
山盛りのネギに天かすを入れて食べた。

そして、就職のため東京にやってきたのだが、
東京に素うどんはなかった。
東京は「素」ではなく「かけ」だった。
「かけうどん」「かけそば」に具はなかった。
そして、僕が最初に行った立ち食いそば屋の
カウンターにはネギも天かすもなかった。
これが東京なんだと思った。

上京したばかりの頃、会社の人と飲んでいるときに
「蕎麦の嫌いな奴はいないだろ」というような話になった。
自分は蕎麦が嫌いだと言ったら、ものすごく驚かれた。
これまで食べてきた西日本の蕎麦が美味しくないから嫌いだっただけだということは、あとになってわかった。
東京は蕎麦がおいしいのだ。
しばらくすると、「一杯のかけそば」という、
なんとも嫌な話が流行った。ちょうどバブルの頃で、おかしな時代だった。
この話と共に「かけそば」が嫌いになった。
蕎麦は冷たいものに限ると思ったのだ。

そして、この原稿を書くために近所で食べられる「素うどん」を探した。
大久保に「伊予路」というお店があった。
伊予というからには、愛媛県だろう。
素うどんがあるかもしれない。
メニューにはたしかに「すうどん」があった。
650円。素うどんにしては少し高いかな。
とりあえず、注文。出てきたのは、とろろ昆布だけがのった「すうどん」だった。
ネギもついていた。自分で入れる方式。入れてみると、
なかなかのルックス。食べてみよう。
さすがに四国だけにコシがある。
おいしいけど、やっぱり自分が思い描く素うどんとは違っていた。
 
 

 
 
 
-ヒビレポ 2013年3月9日号-

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