ちょっとプアンなタイ散歩 第10回


あの2週間(3)

 
吉野 歩(第5号で「カラスを飼うという愛の行方」執筆)
 
 
 

(前回までのあらすじ)

バンコクへ2週間の一人旅をはじめた私は、初日から孤独に打ちひしがれていたが、タイ人の女の子“ヌイ”と出会い、思わぬ交流を持つこととなる。上昇気流がやってきた、のか?

■ オフィスにお邪魔します ■

いやー、ドラクエとかのロール・プレイング・ゲームで“最初の仲間”が加わったときの心境ですよ。「ストーリー展開が変わって、一気に面白くなる」っていうか。“戦闘”だって連携プレーが可能になるし。それにやっぱ、画面の中を一人でちょこまか動き回ったって、楽しくないですよ。後ろにぞろぞろついてもらわなきゃ。旅は道連れ、世は情け。人は一人では生きられない。人生って、RPGみたいなものなんですね。うん、よくできている。

本来は、RPGこそが人生を模して作られているのだろうが、そのへんはさておき。ヌイがホテルに来てからの私の心境は、まさに“初仲間”を経験したばかりの勇者であった。新しい予感に胸がワクワクしっぱなしだ。この日は、ヌイの働く「バンコク科学博物館」関連の事務所に招待してもらった。

 
 

 

自らの「オフィスレディー」っぷりをアピールするヌイ。ここは日本の会社や事務所と似ているが、よく見るとやはり違う。壁面や棚のいたるところに飾られているのは、国王・ラーマ9世の写真。この事務所の人たちに、特に偏った思想があるわけではない。定食屋だろうが高級ブティックだろうが、タイでは一般のお店でもやっているごくごく普通の習慣。「国王を尊敬する」という感情に私は同化することができなかったが、インテリ風めがねのその人は、「賢い」とか「人間的に大きな人なんだ」とか「僕らの“お父さん”なんだ」みたいなニュアンスでかなりの人気者だった。あと、パソコンのディスプレイがまだ球面だった。そのせいか少し昔にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。

新たな出会いもあった。

 

 

左端にいるのは「ピ・モー」。どうやら「豚さん」というような意味のニックネームであるらしいのだが、別に彼女が「実はものすごい内臓脂肪の持ち主である」とか、会社ぐるみのいじめにあっているというわけではない。彼女はギャグのセンスも持ち合わせた、気のいいヤツだった。聞けばタイでは、動物の名前をあだ名として用いることが多いのだそう。豚とて、うさぎやリスと同じ尊重されるべき動物。生き物に貴賎はない。そして中央にいるのが、このオフィスのボス。カナダ人だ。

 

 

みんな、ものすごくかまってくれる。犬好きの家庭に新しい犬が来たみたいに。何度もコーヒーを淹れてくれる。オフィスメイトを紹介してくれる。仕事しなくていいんですか? 仕事しろよ。何もお返しするものがなかったので、苦し紛れにタイで今流行っている(と思われる)ラブコメのテーマソングを披露した。夜にテレビを見ていて覚えてしまったのだ。じゃじゃ馬なタイ娘が、友情に恋愛に全力投球するみたいなやつ。暇すぎると、どうでもいいことに身が入るね、しかし。

「あら、そんなにすぐ歌を覚えられるなんて、あなたはとても耳がいいのね。それは、語学を覚えるのにはとても大事な才能なのよ。」
そう言うと、カナダ人のボスはたくさんのタイ語と英語を教えてくれた。

 

 

そんなほめられ方をされたことは、かつて一度もなかった。ちょっとだけ誇らしい気分になる。まじっすかー、じゃあこれからタイ語覚えてじゃんじゃん使いますよ。おだてられて、木に登りはじめる豚。彼女には、「人のいいところを見つけて伸ばす」という才能があるのだろう。そういえばこのボスは、オフィスのみんなから「先生」と呼ばれていたのであった。

■ 夜の国際試合、勃発?

飛ぶ鳥を落とす勢いだ。誰もそんなこと言ってないけど、勝手に。昼の時間は充実してきたし、3日目ぐらいにしてそろそろ夜の世界も“制覇”したくなってきた。まったく単純だ。どうやら調子に乗るヤツってもんは、場所や状況を問わず調子に乗るものらしい。

自分の場合「夜に行きたいところ」といえば、クラブでも露店でもなくジャズバーだった。それも生で演ってるとこ。高校時代はブラスバンド部のテナーサックス、1年間の半分は、メタルのマウスピースで4ビートを刻んでいるような生活だったのだ。不思議と奏者や曲名は覚えられなかったのだが、あの独特の呼吸の合わせ方が好きだ。メロディーとリズム体、アドリブバトルの駆け引きが好きだ。だが、日本のバーは高くていけない。タクシーも割高だから終電を気にしないといけないしね。その点、バンコクならお酒を飲んで長居しても、300~500バーツ(約1000円~1700円)ぐらいで楽しめる。タクシーだって初乗り35バーツ(約120円)。こんなに素敵なことはない。

一番私が気に入っていたのは、サラシン通りにある老舗「ブラウン・シュガー」だった。こじんまりとしているが感じのよいステージがあり、2階席からも見下ろせる。プレイヤーの質もかなりよかった。(1996年にはニューズウイーク誌で「世界のベスト・バー」に選ばれたらしい)。彼らに手が届くぐらいの至近距離に座って、指使いや表情まで舐めるように見ていたもんだ。当然、行きますよ。今回も。

この先何が起こるのかなんて、つゆ知らず。

夜も深まった「ブラウン・シュガー」にて。気が付くと私は、“フィリピン人の誕生日パーティー”に加わっていた。右も左もフィリピン人。当然、誰とも面識はない。もともとカウンターで飲んでいた私に、そのうちの一人が声をかけてきたのがきっかけだったように記憶している。「今日は僕らの友人の誕生日なんだ。ほら、あそこで歌っている女性がいるだろ。みんな彼女のために集まったんだよ」

 

 

彼らのテーブルに移動すると、次々と押し寄せる「チアーズ(乾杯)!」の嵐。簡単な自己紹介で私の国籍が判明すると、一同は色めき立ち「ここへ座れ!」と、ある男の子の横を指差した。彼の名は「エリ」といった。漆黒の短髪と、知的な感じの笑顔が印象的である。小柄だったから同い年ぐらいかと思ったけど、確か5つ上の27歳だった。ボーダフォンのアンテナを立てる仕事をしていて、近々日本に3ヶ月間の出張をするらしい。出発の日を訪ねると、なんと私が帰国する1日前だった。
Oh, ニアミース! チアーズ!! 飛躍的に増える我らの飲酒量。

本日の主役である姉さんは、そんな仲間たちをうれしそうに眺めながら、歌い、体をくねらせ、ブレイクタイムにはこちらにやってきて酒を飲んだ。まったく賑やかすぎて、会話はすべて怒鳴り声のよう。「いやー、海外で仕事するってカッチョイイですね」。エリに話を振ると、目をとろんとさせながら「俺たちなんか国から国へ出張ばっかりだもんな」と、隣の男子と顔を見合わせて笑った。彼もフィリピン人、「ダン」といってエリの同僚だった。二人とも独身で、恋人もいないらしい。だからなんだろうか、この人たちの間にはどこか家族とか親戚みたいな雰囲気が漂っている。異国の地で身を寄せ合うファミリー。

――で終われば「いい話」として処理されたのだろうが、何がどうなったのか、深夜にホテルに帰った際にはエリがもれなく付いていた。一応、何度か断ったのだが、「タクシーで送ってあげる」と言って聞かなかったのである。エレベーターでの濃厚なスキンシップに「もしや」とは思ったが、どうやら「そういうこと」らしい。

う~ん、少し考えた。

「つまりこれって、要約するとこういうことですよね」
“脳内良心会議”の議長が整理する。
「失恋した女が一人旅に出て、海外で出会った異性とその日のうちに――」
「それじゃただの尻軽ではないか! “自粛”という言葉の意味を知れ!!」
議長の発言が終わらないうちに、保守派が叫ぶ。
「でもねぇ」と、切り返したのは革新派。
「外国人のソレがいったいどのようになっているのか、皆さんはご存知ですか? 風の噂では相当巨大だと。技術に国の差があるかどうかの疑問も残っています。」
おお、革新派が押しているぞ。
「そして、それを確認する機会は、今日が最初で最後かもしれないのですよ!」
静まり返る場内。
「――なるほど、分かりました」
議長は沈黙を破ると、ズボンのベルトに手をかけた。
「日本 VS フィリピン。その試合、受けて立ちましょう」

かくして、ベッドの上で交流試合が始まったのだった。結果は、うすうす予感はしていたが、まぁ普通。同じアジア人だし体格もそんなに違わないからな。特筆すべき“技”もなかったし。思えば日本人だって、あの最中に「猫だまし!」とか「水芸!」とかやらないのだから、お互い様といえばお互い様である。

試合は引き分けに終わるかと思いきや……

ただひとつ、見逃せなかったことがある。それはブリーフ、しかも「白の」ブリーフ! 現代の日本では、“金のエンゼルマーク”にも匹敵する希少価値だ。エリはわりと洗練されている方だと思う。なのになぜ、白ブリーフ。ギャップ狙いか、天然か。こうなれば、試合は1点リードでフィリピンの勝ちだろう。甘く美しくあるはずのピロートークは、勝者へのエロインタビューと化した。「フィリピンの男は、皆ブリーフなのか」や「あの最中に発したあの言葉は、どういう隠語か」などと興味は尽きない。だがエリは、面倒くさがりもせず、いちいち率直に答えてくれたのだった。ブリーフ問題に関しては「フィリピンの男はだいたいそうである」との回答が得られた。よく考えてみれば、ブリーフってあの部分がきちんと守られているような感じで、見ていて安心感がありますよね。それに男にとっての“ファーストパンツ”を成人になっても履き続けているって、すれてない……というか「健やかに育ちました」という風情を醸し出している。いいんじゃないか、男は黙って白ブリーフ。

試合中よりも、このときの会話のほうが数倍楽しく、久々にくつろいだ時間だった。エリの声は、少し高くてハスキー。α波を発しているかのように心地よいトーンだ。そして彼はさまざまな国で暮らしてきたせいか、○○すべきとか△△はダメだといった決めつけをしない人だった。そういうことを、あの時の私はいちいち好ましく思ったのだった。

次にまた会う約束をして、エリは帰っていった。そして翌朝目覚めたとき、私の心の中でエリは、めいっぱい大きな存在になってしまっていたのだった。まさかこんなことになろうとは。革新派、大誤算。

(続く)

 
 
 
-ヒビレポ 2013年3月11日号-

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