ハルヒマヒネマ 3−9

遠くて近い、近くて遠い。

 
やまだないと(「料理入門」連載中)
 
 
 
 

東京は遠いなあと有楽町から東銀座へ歩きながらハルヒは思ったのだった。
漫画家になってから東京に住みはじめたから、だいたい常に家の中にいる。机の前でぼんやりしてるか、ソファーに転がってうとうとうとしてる。
たまーに、見たい映画が銀座でやってるとかいって、よしでかけるかとぽやんと銀座が浮かんだときの距離が、東京に住む前、あーこんなみせがあるんだーへぇーそうーとテレビでやってる銀座をみてたときの距離とたいして変わっていないのだ。ハルヒの中じゃ。
距離ってのは、近づいたからってちぢまるもんでもないきがしてる。
遠くにいて遠いと思ったものは、近くにいても遠いのだ。
生まれた街にすんでた長さよりも長く東京にすんでいるけれど、ハルヒんちから東京はあいかわらず遠い。
また方向間違った。メルサ見えてびっくりした。

 
 

『インターミッション』 2013 日本
D:樋口尚文 W:樋口尚文/港岳彦 A:秋吉久美子/染谷将太/奥野瑛太

ハルヒが東京に距離を感じるのは、誰かと共有した思い出がそこにないからだ。と思う。通い慣れた場所に思い浮かべる顔がないからだ。学校、会社、遊び場、映画館…。
でも、共有するのも通い慣れるのも苦手だ。そういうのが上手に出来ないのは、東京に暮らしはじめてからのことってわけじゃなく、もう生まれついてのものなので、もし死んで幽霊になっても、ハルヒはどっかに取り憑いたりせずに、ふらふらひとりで散歩してるだろうと思う。
(というのが今までのハルヒだったので、ここんとこの舞台通いは明らかに調子が悪い)

銀座の先にシネパトスって古い映画館があって、場所はすごく説明しやすいんだけど、これが謎の映画館で。ハルヒはつい最近まで、いっぱつで映画館にはいったことがなかった。最寄り駅は東銀座で三原橋から2分くらい。銀座からは三越から2分くらい。晴海通り沿いにある…はずなのだけど、これがなぜか通り過ぎてしまう。看板が出てないかというと出てないどころか、大きな時計塔に青い文字で「シーネーパートースー1.2.3」と、描かれており(最近は上映中の映画の看板になってる気がする)真っ赤なでかい矢印が「ここ!!」と指し示してくれているのに、通り過ぎてしまう不思議。夜んなったらネオンもともる。でも、通り過ぎる。通い慣れた人にはなに言ってるんだって感じだろうけど、もし、はじめてシネパトスに行く人がいたら、ハルヒのこの不思議はぜったい共感してもらえると思う。
まあ、ゆってもハルヒはこの映画館に映画を観にいくのは年に1度も無く、ということは何年かに1度くらいなもんで、その謎が判明してもついついわすれてあれ?っとなってしまうのだ。
入り口は三越から来て青い看板文字をくるっと左にはいったところにある。映画館だからっておっきなビルを想像してちゃいけない。そこにあるのは、脇道との間に出来た三角州みたいな場所に建った小さな商店ビルで、どう考えてもその幅に映画館なんか入らない。入り口にまわったところで、やっぱり映画館の入り口をイメージするものは無いが、たしかに「シネパトス1.2.3」の横長の看板はあって、その下にぼっかりと口をあけた地下道が見え、傾いたようなコンクリの階段をおりてくと、そこは昭和のむかしの、ぼろっちい飲み屋街なのだった。シネパトスはそこにあった古い名画座を改装して営業してる映画館だ。いくら昔の名画座のあととはいえ、やっぱりこんな地下街にある映画館は変だ。ご丁寧に真下を地下鉄が走ってるから、ガードしたならぬトンネル上。映画を見てるとゴゴゴーっと電車の音がするけれど、それが興ざめにならない、それも不思議な映画館。
さて、こんなに親切に映画館の話をして、映画の話はどうなった?ってわけだけど、この映画樋口尚文監督の『インターミッション』は、このシネパトスが主役なのだった。そしてその映画も今このシネパトスで上映されているという、入れ子構造。
実は今月の31日でシネパトスは閉館してしまうのだった。映画の中のシネパトスも閉館が決まっている。映画館が自ら映画になって最終上映を飾るなんて、映画館としては幸せな人生なんじゃないだろうか。
映画の中に映っているのは、今まさに映画を見ている映画館。ただしスクリーンの映画は映らない。これは、今までハルヒたちが見つめつづけたスクリーンが見つめつづけたもの。シネパトスの椅子がこんなに真っ赤で美しいとは座ってるときはわからなかった。スクリーンはこの真っ赤な椅子がガラガラなのも、たまにいっぱいなのも、みてきたんだな。
物語は次の映画までの客電がついた「インターミッション」にそれぞれおこる。映画の予告編をみると、よくあるおかしなひとたちのグランドホテル気取った映画を見せられるのかってきがするんだけど(だいたいそういう邦画は退屈だ)(はっきりいえばミタニコウキの映画だ)「意外と」予告編のさわがしさはない。別れを惜しむかのように名を連ねる(いや惜しんでるんだと思う)大女優やなつかしい俳優たちの登場は、劇場映画としては初監督だが、樋口監督の経歴や活躍をしっていれば、その交友関係によるものだろうと察することは出来るけど、それがご祝儀とかお祭りとかって感じでもない。
きがつくと、この映画館、観客やスタッフとして登場する俳優たちは日本映画とテレビのオールスター、つまり映画自体があのハリウッドスターが映画館の観客になってる有名な壁画みたいになってるのだ。
溝口監督、小津監督、黒澤監督の時代から、にっかつロマンポルノにATG、現代のインディーズシーンまで、そこで輝いた俳優たちが同じ映画の中にいる。その愛情こもったキャスティングに、おおさわぎじゃなく、静かな日本映画バンザイの声がきこえてくるようだった。
そんな俳優たちが、あかりがつくたびになにかを喋り始める。まあ何本立てかの名画座の映画と映画の合間の休憩時間がひとつのコントみたいになってるんだけれど、おもしろいのが、そのコントのタイトルが次の上映映画のタイトルになっているところで、あ、そうくるの!みたいなオチになっている。ハルヒはほとんどみたことないしらない映画ばかりだったが、それがまたなんだか楽しかった。映画ファンのおしゃべりみたいで。
(ハルヒひとつだけわかったのは、ソメヤショウタがモリシタクルミの悪夢にうなされるやつ!もう、白いゴムまりみたとたんあの映画がよみがえった!!)
それぞれの人物像も、ありきたりのこんなもんだろうってものが「意外と」ない。アキヨシクミコとソメヤショウタの夫婦にはじまり、いったいどういう経緯で?と、想像する遊びが道具がさりげなくおいてある。
映画を見ていて、大笑いするわけでもないけど、気がつくと、ハルヒ、コーヒー片手ににやにやしていた。自分が座ってる映画館がスクリーンの中にあるって状況がなんともうれしくおもしろいのもあったけど、カツノマナエの映画館の幽霊の話をみていて、このうれしさ、幸せがなぜなのかがわかった。
スクリーンの中にいるあの女優も、あの俳優も、監督も、みんないなくなってしまったけど、映画がはじまると、こうしてみんな生き返る。
そうか、映画館ってそういう場所だ、そういえば。
この映画館はなくなってしまうけど、映画がどこかで上映されれば生き返る。
そして、こないだみた、ウェス・アンダーソンの方舟の映画をおもいだした。
『インターミッション』は樋口監督の方舟だ。監督の大切なものと、未来への希望をのっけた方舟だ。
大地震がきても、大洪水がきても、途絶えることがないように。
そういえば、シネパトス1のこの劇場、なんかに似てるってずっと思ってたんだけど、で、ハルヒかまぼこに似てるって思ってたんだけど、そうだノアの方舟ににてる。船底にいるみたいだ。

樋口監督は、映画評論家として日本映画に関する本をいろいろ書かれてるし、この映画館の特集企画で壇上にも立たれてたから、映画ファンにはなじみの人だと思う。
ハルヒにはあまりなじみはなかったのだが、樋口監督はハルヒが生まれた九州の唐津という街の人なのだった。Facebookでであってびっくりだ。年もほとんど同じで、聞けば家も近所だった。でも監督はハルヒが家でとうさんのキネ旬を読んでた小学生の頃に、そのキネ旬にのってる映画をもっといっぱいみたい!とひとりで東京の中学に通いはじめたんだそうで、あーハルヒには遠い東京が、樋口監督には近い東京だったんだな。
樋口監督には東京にも映画にもたくさんの思い出があるのがうらやましい。
ハルヒはこのシネパトスにさえ、なんの思い出もないのだから。
この地下街を通り抜けたことさえない。みんなの淋しさを共有できない。

映画の中でタケナカナオト演じる映画監督が昔撮って日本映画界を騒がせたらしい『笑う原発』という映画のタイトルは長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』の元のタイトル『笑う原爆』のジョークだけど、ちょうど今日から日曜までこのシネパトスの名画座で上映されてる。こんな映画館でジュリーをみれるなんてすごい気分ある!ちょっとないから、今日は寝坊したけど、明日かあさって観にいこう。そんで、こんどこそ地下街通り抜けよう。

インターミッション
http://pathos-lastmovie.com/

ハルヒマヒネマ
http://blog.livedoor.jp/nuitlog/
最近のハルヒの頭の中、日々をささげる王子様観劇日記
http://www.bookman.co.jp/rensai/esp.php?_page=boyslife
 
 
 
-ヒビレポ 2013年3月8日号-

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