「食い物の恨み」は消えず 第12回

ソーメンやひやむぎに入っている色つきの麺が食いたかった

 
下関マグロ(「池袋の穴」連載中)
 
 
 

スーパーで色つきのひやむぎを買ってきた
 
 

ご飯を炊いた時にお焦げができる時代というのがあった。
実家では、僕が4歳くらいまでは、ご飯を炊くたびにお焦げができていた。
鉄の鍋でご飯を炊いていたからだ。
ほぼ毎日お焦げができた。しかし、そのコンディションはまちまちである。
パリッと硬いものは、塩をかけて僕たちのオヤツとなった。
焦げすぎて真っ黒のものは、捨てられたのか、とにかく食べることはなかった。
薄茶色の柔らかめのものは、オニギリにして、焼き、お昼ご飯などになった。
いいお焦げができるとうれしかった。僕はお焦げを頬張りながら母親に
「ご飯が全部お焦げならいいのに」
と言った記憶がある。母親がどう答えたかは覚えていない。

 
 
お焦げがなくなったのは、ガスの炊飯器を買ったからだ。
ガス炊飯器は、着火するときにボンという爆発音がして怖かった。
母親は朝起きて、このボンという音で着火させ、二度寝していた。
便利にはなったけれど、お焦げはできなくなった。
ガス炊飯器の時代は短く1年か2年後には電気炊飯器になっていた。
しかし、しばらく「おひつ」は使っていた。

そのおひつも僕が小学生になったころ、炊き上がったご飯はジャーに入れられ、
保存された。

ご飯のお焦げは、なくなったけれど、それ以外のお焦げはまたあった。
たとえば、炒り卵を作ったあと、卵が鍋に焦げ付いた。

炒り卵の味付けは砂糖と醤油で、茶色の炒り卵だった。
当時はまだテフロン加工のフライパンになどなくて、鉄製の片手鍋で作っていた。
鉄の鍋だから、卵は焦げ付く。ここにほんの少しのご飯を入れ、
スプーンで焦げ付いた卵をこそげ落とし、ごはんと混ぜる。
卵のおこげが米粒に付着し、鍋の掃除をしてくれるというわけだ。
茶碗にほんの少しだけれど、これを食べるのが楽しみだった。
弟と僕はどちらが食べるかでよく喧嘩になっていた。
じゃんけんすることもあれば、
「前回はあっちゃん(弟の呼び名)だったから、今回はおにいちゃんね」
ということもあった。今から考えれば、毎回半分にして兄弟で分ければいいじゃないかと思うだが、
母親はそうはしなかった。

どちらが、その食い物を食べるかで、兄弟で喧嘩になることはしばしばだった。
たとえば、みつ豆の缶詰を開けると、さくらんぼは1つしか入っていない。
クリスマスケーキの上にのっているサンタクロースもそうだ。
ソーメンやひやむぎに入っている赤い麺をどっちが食べるかもめた。

 
 
父と弟とともに。4歳か5歳くらい。
 
 

しかし、小学校高学年になると、
さくらんぼはそんなに美味しいとも思わなくなり、
クリスマスケーキはサンタクロースの砂糖菓子よりも、
チョコレートのプレートのほうが美味しかったりした。
ソーメン、ひやむぎに入っている色つきの麺は、他の麺と味が違うわけでもないことに気がつく。

色がハデだったりするだけで、おいしいわけではないものは、
次第にお互い、ほしがらなくなった。

とはいえ、あの炒り卵の鍋をこそげたごはんだけは食べたかった。
でも、食べることはなかった。
炒り卵を作る機会が少なくなったし、
たとえ作ったとしても
テフロン加工のフライパンやホーローの鍋になって、
焦げ付くことはなくなったからだ。

久しぶりに、ひやむぎを作ってみた。
スーパーで色つきのを購入。
いまはけっこう何本も入っているんだねぇ。
改めて食べてみて、やはり白い麺と比べ、
味は何も変わらない。
なぜあのころあんなに欲しがったのだろうか。

 
 
色つきの麺。味は白と変わらない。
 
 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2013年3月23日号-

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