ちょっとプアンなタイ散歩 最終回


あの2週間(最終回)

吉野 歩
(第11号で「チューハイ350円で悩む、ウェブ・ライターの告白」執筆)
 
 
 

(前回までのあらすじ)

自分を見つめ直すためのバンコク一人旅。そこではタイ人の「ヌイ」、フィリピン人男性「エリ」などとの出会いがあり、エリとは恋に落ちた。だが、旅の終盤で発覚したエリ“元恋人”の存在。取り乱した感情の中で見えてきたのは、他でもない、自分自身のふさがらない傷であった。しかしエリは言う。「君は人生のドライバーなんだ。望めばどこへでも行ける」。それは私に希望の光を見せてくれたのだった。。

 

■ 空港へ ■

旅の終わりは寂しいもんだ。出発は明日の午前2時。ほぼ今日の夜じゃん。「14日目」とは名ばかりのファックなフライト時間だが、格安旅行にはありがちな設定である。おそらくは一人でもぞもぞと部屋を後にし、静まり返ったロビーでチェックアウトを済ませ、眠い目をこすってタクシーを待つ。そして空港に着けば、きわめて事務的な手続きを淡々と行い、流れ作業のように日本へ着いてしまうのだろう。

ヌイやその友人には一通りお別れもした。明日から、彼女たちは彼女たちの日常に戻る。私がいようといまいと関係なく。そんなことにいちいちジェラシーを感じても仕方ないのだが、これが「旅の終わり」ってもんだろう。きっとこれを含めての醍醐味なのだ。まぁ、孤独だったはずの2週間を素晴らしいヤツらと共にできただけでも、十分感謝せねばなるまい。

さよならバンコク。さよなら、みんな。
そして、待っててね。エリ。

 
 
そんなことを考えながら行う荷物整理は、異常に時間がかかる。洋服をたたみ、下着をたたみ、旅のメモ帳をしまい、買いすぎたコンドームをいじくりながらまた感慨にふけっていると、突然部屋の電話が鳴った。エリだった。
「おお、エリ〜!! 何、もう日本に着いたんでしょ? どうよ?」
「あ……。実はね、まだこっちにいるんだ」
なんという番狂わせ。どうやら会社の手続きやら仕事が終わらなかったとかで、彼のフライトは3日ほど延びたそうだ。
「だからね、今夜はアユミのこと空港まで送ってあげるよ」

エリは日本にはいないのか……。パラシュートで目指した着地点が、突然消失したかのような軽い困惑に陥ったが、それでも彼に会えると思うとうれしかった。

しかし数時間後、ロビーに現れたのはエリの同僚のダンだった。番狂わせ2号の到来!? 少し身構えたが、エリは残業が長引いたため空港に直行することになっただけだった。「俺の車で送ってあげるから乗りなよ」とダン。あんただって明日も早くから仕事だろうに——。エリはともかく、ダンにここまでしてくれる義理はないはずなのに、どんだけ親切なんだよ。そんな私の思いをよそに、ダンは私のリュックを持って歩き始める。どうやら旅の最後は、知らないタクシーで“輸送”されるのではなく、私を知った人の手で“送り届けて”もらえるらしい。浅黒いし団子鼻だし番狂わせ2号だし、どう見てもそんな柄じゃないけど、私をエスコートしてくれるダンはそのときばかりは頼もしい王子様に映った。入り口で待っているのはカボチャの馬車。そんじゃ私はシンデレラ? 実際は「よれよれのパーカーをまとった“こけし顔”の」という注釈付きなんだが、そこは目をつぶるとして。

深夜だけあって高速道路は空いている。旅の初日にタクシーから眺めた風景、それを今度は逆にたどっているのだった。時間まで遡っていくようだけど、私はもう2週間前の自分には戻らない。ごみごみしたビル街の眺めが、すっきりしたホテルや工場などに変わってくると、ドライブももうじき終わる。私は車を降りた。

■ 「面倒くせぇ」の中にあるもの ■

閑散とした空港。お腹はへってないかい?と、ダンが飲み物とナゲットを買ってきてくれた。

今さらながら、彼と二人きりで話すのはこれが初めてだった。いつもは間に必ずエリがいたからな。会話は続かなかったが、黙っていても彼が私を気遣ってくれるのが分かる。それはそれで意味のある時間だった。

しばらく経って、現れたエリ。だいぶ急いでくれたようだった。おお、やっぱ「生エリ」はテンション上がるぜ。最後にあともう1回だけイチャイチャしたい! しかしここは公衆の面前。会えただけでもよしとしなきゃ。3人で近くのソファに座る。せっかく残された時間なのに、ぱらぱらと、とりとめもない世間話をすることしかできなかった。もう明日の話をしても仕方がないし、かといってこの十数日間の思い出話をする勇気もない。だってそれは、一緒の時間が終わるのを認めるようなものだから。エリのいない日本になんて、帰りたくないよぉ。
「You should go.」
エリが幼い子どもに教え諭すように言った。もう3度目ぐらいだった。仕方なくのろのろと出発ロビーに向かって歩く。エリとダンも後に続く。もういよいよなんだなぁ。と、そのときだった。

「アユミ!」

向かい側から声——。ヌイだった。1度遊んだことのある「オイ」も一緒だ。フライトの時間を覚えていて、ずっとここで待っていてくれたのだ。ヌイ組とエリ組は初対面。彼らは顔の前で合掌をし、よそ行きの顔で正式なタイの挨拶を交わした。私の中のバンコクの昼と夜とがひとつになっていく。それはちょっと不思議で新鮮な光景だった。

さぁ、目の前に4人がそろった。そろったといっても、もちろん彼らはこれからバンドをやろうぜというメンバーではない。みんな私の恩人だ。一人ひとりの顔をまじまじと眺める。もしこれが青春ドラマの最終回なら、ミスチルかカーペンターズの曲でも流れてくる頃だろう。だが、この状況を目の前にしても私の心に感動——は沸き起こらなかった。それどころか自分でも理解し難く非常に罰当たりなことなのだが、どういうワケか、どっとした疲れと共に「面倒くせぇ」という感情がじわじわと染み出てきたのだった。

面倒くせぇ〜〜〜。

そしてそれは、波しぶきから急接近してくる「東映のマーク」のように威風堂々と、無視できないまでに大きくなる。なぜか? 「面倒くせぇ」をかみ締めてみる。
まずエリとのことだ。あたしゃいったい何が楽しくて、傷心旅行で渡ったタイでタイ人じゃなくフィリピン人とねんごろになり、日本に(ほぼ)一緒に帰ろうとしているんだ? 他人に説明するのも面倒だぞ、ギャクか。友達でもただのセックスフレンドでもない、そしておそらく恋人とも違う。
ヌイのことだって! あまり言葉も通じないのに、たくさんの時間を一緒に過ごしてきた。正直、おせっかいを焼きすぎる彼女に「うっとうしいなぁ」と感じたことも何度もあった。私は本来、うっとうしいのは大嫌いだ。他人と行動することもないし、干渉だって避けてきた。自分の引いた一線を土足で踏み越えてくるヤツは、無言で切り捨ててきた。なのに——

なんでこんなに胸が苦しいんだ!?

もう意味不明で笑えてきた。軽く眩暈さえした。ややこしい人間関係から逃れるためにわざわざ海外まで来たというのに、私ときたら、またしても見事にややこしい状況を作り出しているのだから。ここまでくると壮大なボケだ。誰か突っ込んでくれと思ったが、誰も突っ込んでくれないので自分で突っ込むしかない。

もう認めるしかないだろう。This is who I am. これが自分という人間なのだ。「面倒くせぇ」を作り出す才能は、どこにいても、どこに逃げても変わらないらしい。わかって、なぜかほっとした。それは「諦め」でも「受け入れ」でもない不思議な感情だった。上手く表現できないのだけど、幾重にもボヤけていた輪郭がひとつになっていく感覚。視界はクリアになった。もう揺らがない。

「面倒くせぇ」には、その中でしか出会えない愛おしさや輝きがある。その集大成がここにいる皆なのだ。最高に憎めなくて愛嬌のあるヤツらなのだ。だから多分大丈夫なのだ。

オイがごそごそと紙袋から何かを取り出し、恥ずかしそうに手渡してくれた。透明なガラスのお皿だった。オイの手作り。アヤメに似た紫の花と、私の名前がかいてあった。お世辞にも上手いとは言いがたいが、一筆一筆にとても時間がかかったであろうことが伝わってくる。「コップンカー(ありがとう)」と何度も繰り返し、リュックサックの一番安全な部分にしまった。これは修了証書なのだと勝手に思った。

******

帰国して2日後、エリは本当に日本にやってきた。私は成田空港へエリを迎えに行って、そのまま彼の会社のある横須賀で何日か「居候」した。ごくたまにホテルや飛行機の手配屋を勤める以外は、たいくつな「ヒモ」のような日々。街には白人の水兵がウロウロし、エリと行くレストランには同僚のアメリカ人やらシンガポール人ばかりだった。せっかく母国に帰ってきたというのに相変わらずの「アウェイ」。これには苦笑いを禁じえなかった。

でも、これでいいのだ。私はちゃんと走る自分の車、「面倒くせぇ号」を持っている。一見ポンコツだが、乗ってしまえば意外と居心地がいいもんだ。カーナビは付いていないが、暗くなればライトが足元ぐらいは照らしてくれる。そして、この車でなければ見られない風景があることを、私は知っている。

今はそれで充分だ。行き先は、これから決めればいい。

(完)

 
 
 
-ヒビレポ 2013年3月25日号-

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