「食い物の恨み」は消えず 最終回

父が焼いてくれた海苔

 
下関マグロ(「池袋の穴」連載中)
 
 
 


 
いよいよ最終回ということなんで、どういうネタにしようかと、
スーパーであれこれ見ていると、金ちゃんラーメンが売られているのを発見。
「バッテラ」の回で、東京にはない金ちゃんラーメンということを書いたのだけれど、
売られていた。ここにお詫びして訂正します。
そうそう、あとお知らせしたいのは、
おじやの回で探したお店のことを別記事で書いたので、
よかったら、あわせてお読みいただけると嬉しい。
裏原宿にある「おじや専門カフェ」を探しながら歩いた [散歩] All About
http://allabout.co.jp/gm/gc/412741/

 
 

そう、最終回なんだけど、まだまだ書き足らないかんじでいっぱい。
たとえば、母親のにぎり寿司。
子供のころ母のつくるにぎり寿司が大好きだった。
卵焼きやハムがのっていたからだ。
今は、回転寿司なんかでいろいろなものがあるけれど、
当時はハムのにぎり寿司なんて、珍しかった。

ただどういうわけか、この料理は父が夜いない日のメニューだった。
父親は、たまに当直の日があって、夜いなかった。
あれは、手抜き料理だったからなのか、あるいは父親がそういうものが嫌いだったからか、よくわからない。

そうだ、最終回ということで、父親の料理について書いておこう。
父親はほとんど料理をしない人だった。
それでも、母親がいない土曜日のお昼などは、
父が料理を作ってくれた。
それはたいてい、インスタントラーメンだった。

僕と弟は、父親が食事をつくってくれるときは、
ちょっと興奮ぎみで、なんだか嬉しかった。珍しいことだったからだ。
といっても、父親が作るインスタントラーメンは特別かわっているわけではない。
僕たち子供は、ラーメンだけだったが、
父親はジャーから丼にご飯を入れ、そこに生卵を割り入れて、
卵かけご飯にしてラーメンといっしょに食べていた。
どういうわけか、ラーメンは食べずに置いている父に僕は
「お父さん、ラーメンがのびるよ」
と言うと、父親は、
「いいんだよ」と笑った。
父親はのびたラーメンが好きだったのだ。

高校生くらいになるとラーメンぐらいは自分でも作れるので、
母親がいない時は、それぞれがインスタントラーメンを作った。
僕も父親のマネをして、卵かけご飯にインスタントラーメンをちょっと麺をのばし気味にしたものを食べた。
あー、なるほど、ふやけた麺にご飯を食べるとお腹いっぱいになる。
ただ、うまいとは思わなかった。

まだ僕たちが小学校低学年までのことだが、
朝食で父親の役割は海苔を焼くことだった。
一枚の海苔をガス台の上で炙った。
時々、火がつくのだけれど、それを手でパンと抑えて消す。
炙ったら、その海苔を手早くちぎり、テーブルの上に置く。
醤油をつけ、ごはんの上にのせて食べた。
炙りたての海苔は香ばしく美味しかった。
一人分の味付け海苔がパックされたものが、朝の食卓に出るようになり、
父親の海苔を炙る役割は終了した。

もうひとつ、父親が活躍したのが、わさびだった。
小さな缶に入った粉わさび。僕たちはそのパッケージを見て
「わきび、わきびぃ」
と興奮気味に叫んだ。「さ」が草書体になっていて「き」に見えたのだ。

 

 
 

粉わさびを味噌汁のお椀に入れ、少量の水を入れると、手早く混ぜる。
そして、そのままテーブルに伏せるのだ。
よく、わさびがテーブルに落ちないものだなと感心しながら、
その作業を見ていた。
お刺身などを食べるとき、いつも父親がわさびを混ぜてくれた。
しかし、これもチューブ入りのわさびが登場することで、
父親の仕事はなくなった、

いま、両親とも健在で、山口県にいる。
帰省して、食事をするとき、
父親の役割は、お茶を入れることとなっている。

 
若い頃の父親と母親と僕。まだ弟は生まれていない。ちなみにシャッタが切れる瞬間、僕は激しく首をふったので、僕の顔がぶれているのだと、母親はこの写真を見るたびに言う。
 
 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2013年3月30日号-

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