今朝はボニー・バック 第15回


LOST 〜合宿免許青春物語 シーズン1〜

ボニー・アイドル
(第11号で「原稿料よりバイト料が多くても、ぼくは断然ライターだ!」執筆)
 
 
 
今年の正月休みに帰省した時、実家中の押し入れをゴソゴソやって、やっと発見した。10年前、合宿免許で使った資料一式だ。教本や問題集、教習生手帳に加え、合宿を選ぶ際に読んだ「ローソン合宿免許パンフレット」や交通費の請求書まで残っていた。
中でも教習生手帳があったのは嬉しかった。自動車の教習所に通った経験がある人ならご存知かと思うが、生徒は1時間の教習が終わる度に教官からこの手帳にハンコを押してもらう。当然、段階をクリアしていないと判断されたらハンコはなし。手帳によると、ぼくが入校したのは6月11日。「卒検」と呼ばれる路上試験を合格し、合宿を後にしたのは7月6日。25日間、合宿で生活をしていたことになる。

 

 

教本が入っている青色のケースをさらってみると、底から一本のヘアピンが出てきた。
(これは・・・)
確証はないが、ほぼ100%の確率で「彼女」が合宿免許の時に付けていたものだろう。いつもらったんだっけ。彼女がぼくより一足先に合宿を卒業した日だろうか。それとも、21年間どうしても越えられなかった「F(ファック)の壁」のクリアしたあの日だろうか。ヘアピンのおかげか、合宿免許で過ごした日々のことをだいぶ思い出してきたが、はじめに、ぼくが合宿免許に入校することになった経緯と当時の状況をざっと説明しておく。

 

 

10年前の6月というと、21歳の時だ。その頃ぼくは一人暮らし先である川越のアパートから秋田の実家に戻っていた。その2ヶ月前までは、その前年に開校したばかりの松竹芸能の東京養成所に通っていた。そう、ぼくは芸人になりたくて上京したのである。
初めての一人暮らし先に川越を選んだのは、隣町の鶴ヶ島に親戚が住んでいたから。東武東上線霞ヶ関駅近くにあるスーパー「サミット」でアルバイトをしながら、毎週木曜日には東銀座の東劇ビルに入っていた養成所に通っていた。

入校して最初の授業のことはよく覚えている。なんせ、30人ほどいた生徒の中で、講師を笑わせたのはぼくだけだったからだ。その時演ったネタは名誉のために秘すが、スタイルは一人しゃべりだった。
おそらく、これがいけなかったのだろう。自分は特別な存在と思い込んでしまったのだ。同期生と友達付き合いをすることもなく、先輩が出演するライブの手伝いも断り、あげくの果てには週1回のレッスンも「家から遠いから」という理由でサボりがちになっていった。
1年間の養成期間はあっという間に過ぎた。最後のレッスンは、1年間の成果が試される講師の前でのネタ見せ。つまり卒業オーディションだ。そのシステムは以下のようなものだった。
A:ネタを見て、将来見込みのある生徒は、そのまま松竹芸能に芸人として所属。
B:現時点では未熟だが、見込みがあるので、授業料免除の生徒として引き続き養成所に通う。
C:見込みがあるとはいえないが、1年間の授業料を前払いで全額納めてくれるなら、生徒として置いてやってもいい。
D:それが払えないのなら、晴れて卒業。さようなら。

ぼくは「A」はおろか「B」にも漏れた。1年前に最初の授業で演ったレベルから芸がほとんど進歩していないのだから当然だ。追加の授業料は20万円ぐらいだったと思う。親に泣きつけば払ってくれたかもしれない。でも、その頃には、本当に芸人になりたいのかもわからなくなっていた。夢を諦めたというよりも、ただ「やめた」だけ。
            ★
養成所を卒業してからは、川越のアパートを残したまま、実家で仕事を探すでもなく何もしない日々を送っていた。無気力相撲の相撲をしていないバージョン。そんな息子を見かねて、母親が「そうやってダラダラしてるんだったら、合宿に行って自動車の免許でも取ったら。会社勤めする時に必要になるんだし」と言ってきた。教習所に通う費用は貸してくれるとのこと。あんまり乗り気ではなかったが、親元にいて小言をいわれるよりはマシな気がしたので行くことにした。コンビニに置いてあった合宿免許のパンフレットにも、「大学生で混みあう夏休み前がお得」と書いてあるし。
教習所は、パンフレットの中で料金が一番安いところにした。費用はオートマより高くつくが、親が「絶対、マニュアル車にしろ」と言うので、教習はマニュアルを選んだ。「やっぱ自分でギア変換しなきゃ運転の醍醐味を味わえないよ」というカーキチの発想ではなく、おそらく農作業に必要な軽トラの運転手を確保したいという魂胆があったのだろう。

そうして6月11日の朝、ぼくは、トートバッグ大の布袋に3日分の下着と洗面用具必要最低限の荷物を詰め込み、横手駅からJR北上線に乗って福島県会津市にある合宿免許所に向かった。
合宿所の最寄り駅に着いたのはお昼近かったと思う。駅前に合宿所の送迎車が待っていて後部シートにはすでに生徒とおぼしき女性が一人乗っていた。ぼくから遅れること数分後、色白でボウズ頭の男子が乗ったところで、車が発車した。
(続く)
 
 
教習生手帳の証明写真
 
 
-ヒビレポ 2013年4月10日号-

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