杉江松恋の「違う方向に努力する」VOL.8


杉江松恋
(第11号で「10年、20年、30年経っても楽しく遊んでいられるライターでいたい。それだけなんだ」を執筆)

 
 
 
5月14日(火)
 翌日アップ用にエキレビ!原稿を1本書く。吾妻ひでお・西原理恵子『実録! あるこーる白書』(徳間書店)。
 エキレビ!は好きなことをやらせてもらえる唯一のメディアなので大事にしたいと思っている。これまでもいろいろ好き勝手を書かせてもらってきたのだが、少し考えていることがあって、しばらく実験期に入る。レギュラー枠の原稿ほど実験を怠ったらしぼむ。実験などしないほうが安定していていいのだが、安定は読者に飽きられる元でもある。そろそろこのメディアでも何か自分を試してみるべきだと思っていた。とりあえず最初は、カーブを投げるときの指の位置を少し変えるぐらいのところから試してみる。3ヶ月後くらいにもっと大きく曲がるようになっていたらいいのだけど。
 

 

5月15日(水)
 朝からどかどかどか、と段ボール箱が届く。全部で17箱ある。本を預けてある業者から出庫してもらったもので、死蔵している中から不要のものを捨てるつもりなのだ。開けては入れ替え、開けては入れ替えを繰り返してほぼ1日仕事。おかげで庭の物置に溜めてある本がだいぶそちらに入れられた。放浪作家森三助『粋筆のぞき日記』(東京スポーツ新聞社)など、結構変な本が箱の中に入っていることを覚えておこう。
 この日から17日のトークイベントに向けての準備態勢を強化する。「ガイブン酒場」というイベントで、毎月の新刊を早読みして書評風に話すというものである。今月から新刊紹介に加え、1人の作家について特集するということを始めている。第1回は、新潮社から『幸福の遺伝子』が出たリチャード・パワーズである。パワーズ作品は本国での刊行順に『舞踏会へ向かう三人の農夫』『囚人のジレンマ』『ガラティア2.2』(以上みすず書房)『われらが歌う時』『エコーメイカー』(以上新潮社)が出ている。わずか5冊とみくびるなかれ、みすずの3冊は2段組400ページ前後、新潮社に移ってからの2冊は1段組だが『われらが歌う時』が上下巻で1000ページ近く、『エコーメイカー』もそれには及ばないもののかなりの大部なのである。1月近く時間があってもこれを読みこなすのは相当骨が折れる。
 しかも文章は相当に歯応えがある。特にみすずで出ている初期作はエンターテインメントの技法からは遠く離れたものなので、考え考え進んでいく必要がある。うんうん唸りながらページをめくる日々を重ねてきて、いよいよ本番というわけである。
 この負荷を自分にかけなければいけない、というのが作家特集を始めた第1の理由だ。本を楽に読みすぎてはいけない。本を読んで考えることの意味をもう一度自分で確かめよう。そういう思いをもちながらうんうんとパワーズを読む。
 ProjectTKDのために本を読みながら思ったことがある。単純なことで、1冊の本を書くことはその何十倍かの本を読まなければ無理だということだ。しかもさらさらとお茶漬けのように流し込める読書ではなくて、すじ肉を噛み締めるようなものが必要となる。
 これはそのための練習でもある。
 そう思いながらうんうんと本を読み続ける。

 夜になって原稿。翌日アップのためのエキレビ!用だ。『ダース・ヴェイダーとプリンセス・レイア』

 
 
5月16日(木)
 昨日に引き続きうんうん読書。歯が立たず憎らしいほどに感じていたパワーズに対し、どこかでふっと情が湧くような瞬間があった。好きになった、というのとは違う。親近感を抱いた、でもない。情が湧いた。よくわからないが、うんうん唸った分だけ、少しだけ自分が自分を離れたのだと思う。自分という殻を離れて、ちょっとだけパワーズ世界の中に入りこんだ。理解した、というようなおこがましいものではなく、少しその中を覗きこんだだけというようなものだろう。黒板塀の節から覗いて、ふーん、立派なお屋敷だなー、とか言っているようなもの。しかしすぐに節は埋められてしまい、また外から覗いているだけの読書に戻る。
 この感覚を忘れないようにしなければ、と頭のどこかで考える。辛いのは自分に理解の力がないからだ。歯が立たないのは自分にとって未知の世界であるからだ。書評家をやっている自分は、あまりにもわかったような気持ちで本を読みすぎる。わかったつもりの読書ほど実は危険なものはない。自分にとってよくわかることだけを、わかったわかった、と言って飲み込んでいるだけなのかもしれないからだ。
 わからないことをわからないままにしておこう、と思う。わからないことが世の中にあるということは大事だ。

 夕方から飯田橋・キイトス茶房にてCS放送のAXNミステリー「BOOK倶楽部」の収録である。ここはブックカフェで、趣味のいい本が書棚に並んでいる。その本を眺めながらお茶を飲むことができるのだが、収録時は机を片付けて一時的にスタジオの形を作る。それはいいのだけど、お店が道に面した二階なので結構外の音が入ってきてしまうのである。
 今回も収録中にがりがりがりと道路工事のような音がし始めた。アシスタント・ディレクターさんがすっ飛んでいったが、トラックの荷降ろしで20分くらいは続くという。ちょうど香山二三郎さんが話し始めたところだったのだが、一向に音が止む気配はない。諦めて、あまりにも大きくなるようだったら中断しよう、ということで収録を再開した。案の定、昇降機を下ろすウィーンという音が断続的に響いて、香山さんは始終落ち着かない様子である。ところが香山さんが話し終えた後は急に音がしなくなり、後に続いた私と大森さんは快適にしゃべることができた。
 収録をご覧になったみなさん、香山さんが何かそわそわしているように見えたとしたら、それは外から聞こえてくるトラックの音が気になっているからです。

 収録を終え、来月の段取りを決めて解散。この番組では毎年7月に野外ロケを敢行している。その慣習が始まってからずっと「いつかはハワイを!」と熱望し続けているのだが、どうも今年も無理そうである。常磐ハワイアンズでもいいけどなー。
 AXNミステリー「BOOK倶楽部」は常時スポンサー募集中です。毎回ではなく、スポットでこの1回だけ、というのでもOK(たぶん)。ハワイに強いスポンサーの方、ご連絡を待ってます!

 19時から池袋コミュニティカレッジで講座のお仕事。受講生のみなさんに、写生文を書いてきてもらった。自分がいつも使っているのではない駅で降り、そこから自宅へ戻るまでを原稿用紙12〜15枚程度で書いてもらう。回想や空想に逃げず、ただ見聞したことに書く内容は絞る。そうすることによって自分が何を得意とし、何を苦手にしているかを浮かび上がらせるのが1つの狙いだ。もう1つの狙いは読者が文章に沈潜する瞬間を体で覚えることである。没頭しながら文章を読んでいると、どこかでふっと沈み込んでその中に入っていくことがある。いや、書き手はそう仕向けなければならないと思うのだが、それはなかなかに難しい。職業として文章を書いている者でも、その瞬間を自在に作り出せる人は少ないはずである。小説家という人種の中にはそれが可能な人がいる。だから凄いのだが。その疑似体験が受講生にはできただろうか。かすることでもできたのならやった意味があった。

 
 
5月17日(金)
 エキレビ!用にマックス・バリー『機械男』(文藝春秋)の原稿を書く。翌週のどこかでアップしてもらうためのストック用。

 夜、新宿BIRIBIRI酒場にて「ガイブン酒場」のトークイベント。今回は紹介する新刊が2冊と少ないので、心置きなくリチャード・パワーズの紹介に力が入れられた。
 それまでは私1人が喋る形式だったのだが、今回から若手評論家の矢野利裕氏にも加わってもらって話すことにした。パワーズについて、矢野氏に聞き役を務めてもらう。矢野氏は大谷能生、速水健朗両氏と『ジャニ研』(原書房)という文化論の好著を出している。
 とりあえずやり方を違えたことでどんな化学変化が起きるのかが見てみたかったので、矢野氏とは事前にどういう展開で話をするのかをあまり細かく打ち合わせなかった。この回に関していえば、それはちょっと失敗だったかもしれない。いや、矢野氏はよく話に食いついてきてくれたと思うし、自分でも気に入ったフレーズを出すことができた。私は書評には「いい冗談」が必要だと思っている。論旨がきっちりと固まっていても、その中で出すちょっとした冗談が決まらないうちは原稿を書き始められなかったりもする。その冗談がいくつか出せた。これは自分の基準としてはいいことだ。いい書評が作品に対して書けたということである。しかし、自分基準ではダメなのである。自分を超えたものがパワーズ世界を通して見えるはずだったのだから。つまり私が力不足だったということだ。
 もっと矢野氏と事前にパワーズについて話し合って、深層まで掘り下げられるかどうか試してみるべきだったのだろうか。いや、それでは肝腎の本番で新鮮味が薄れてしまうのではないか。それではもっと会話をスリリングにするために、ディベート形式を取るべきだったのだろうか。しかし、やりたいのはパワーズの中に入っていくことであって、応酬を見せることではないのである。ここで必要なのは言論じゃない。言論の場ではなくて、作家の世界を片鱗でもいいから現出させることが必要なんだ。そのために何がベストなのかはこの日はまだわからなかった。
 わからないのはダメじゃない。
 わからないのは自分よりも大きな世界があるからなんだ。
 そう思う。
 
 新潮社から6月にドン・デリーロの短篇選集が出るという。ということで自動的に6月21日(金)のガイブン酒場はドン・デリーロ特集に決定した。それ以外はこんな本の情報をお届けします(すべて仮題)。

 ドン・デリーロ『天使エスメラルダ』(新潮社)
 コラム・マッキャン『世界を回せ』(河出書房新社)
 ローラン・ビネ『HHhH』(東京創元社)
 ハリー・マシューズ『シガレット』(白水社)

 さあ、どうなることか。
 
 イベント終了後、店主の井田氏と遅くまで話しこむ。BIRIBIRI酒場で自分が空回りをしているという自覚があり、そのことについて率直に意見交換をしたかったからだ。
 なんのためにイベントをやっているのか、惰性でやっているのではないか。
 私は元営業職の人間だから、1つ1つ目標を作り、それを達成していくというやり方を好む。地道な積み上げができなければ、その先に大輪の花を咲かせることなどできない、という考え方なのだ。その積み上げができていないという苛立ちがある。
 この感覚はもしかすると、他の誰とも共有できていないのではないか。そういうことを突如思い、恐怖に駆られた一夜だった。
 大いに悩みつつタクシーで帰宅。

 
 
5月18日(土)
 ここのところ毎日1万歩近く散歩をしている。健康維持のためなのだが、この日は妻に誘われて日比谷公園のオクトーバーフェスタに行ってきた。六本木駅まで電車に乗り、そこから歩く。往復で1万歩ぐらいにはなっただろう。健康維持もそうだが、こうやって妻や家族と一緒に何かをするというのも大切なことだな、と思った。
 深夜、飲み会帰りの小財満氏が訪ねてきた。近くの安居酒屋で2、3時間ほど話し込む。小財氏はBOOKJAPANの初代編集者をやってくれていた。そのころは毎週のように飲んでいたが、最近は彼が忙しくなったこともあって、2人だけで会う機会があまりなかった。いろいろ真面目な話をして別れる。

 
 
5月19日(日)
 5月25日(土)に迫った辻真先さんトークイベントの準備を粛々と進める。このイベントは現在、辻さんの作家業のうち小説ジャンルにおける活躍に焦点をあてている。ようやく1980年代に突入し、25日のイベントでは日本推理作家協会賞受賞作である『アリスの国の殺人』(現・双葉文庫)などについて触れられる予定。

 
 
5月20日(月)
 毎週恒例になってしまってたいへん申し訳ない当日更新用ヒビレポ原稿を1本、そして雑誌「ダ・ヴィンチ」用のインタビュー原稿を1本書いて送付。子供が運動会がらみの代休で家にいたので、誘って映画を1本観てきた。子供がつきあってくれるのもあと何年だろうか。その他の時間はすべて読書に使う。

 企画書作成にあてるつもりの週だったが、思った以上にリチャード・パワーズに時間をとられてしまった。しかし自分に負荷をかけるという意味ではいい1週間だったと思う。自分は万能ではなく、自分よりも大きなものが外に存在するということにずっと意識を向けられていた。今回の努力は「ルーティンワークではありえない負荷をかける」だったのだ。この体験を大事にしなくてはいけない。

 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
-ヒビレポ 2013年5月27日号-

Share on Facebook