杉江松恋の「違う方向に努力する」VOL.9


杉江松恋
(第11号で「10年、20年、30年経っても楽しく遊んでいられるライターでいたい。それだけなんだ」を執筆)

 
 
 
5月21日(火)
インタビュー原稿を1本仕上げて送付し、千代田区図書館へ。千代田区読書振興センター主催の「本と出会う読書サロン」第6期オープニングイベントとして講演の依頼を受けたのである。「白い紙に地図を書くように読書を楽しもう」という演題で、ちょうど全作品を読み終えたばかりのリチャード・パワーズや、最近その魅力にはまっているマックス・ダウンテンダイ、富岡多恵子作品などについて話をした。先入観なく本を読むということと、関心を持った本から読書の幅を拡げていくということの二つを中心に据えて、どちらかというと話題が拡散して引っかかりがたくさんできるように意識して話したのだが、最後の質疑応答でちょっとしたハプニングがあった。
 

 

客席の後方に座っていた老紳士がやおら挙手をして話し始めた。
「最初に話されたデフォー『ロビンソン・クルーソー』については興味深かったですが、あとは正直あまりおもしろくなかったですな」
あちゃー。すいません。そうですよね、あなたのような人生の先達に的を絞って話題を作ってこなかったので、すでによくご存じのことだったかもしれません。どちらかというと、読書の初心者向けのつもりだったもので。
『ロビンソン・クルーソー』について、というのは導入のつもりで振った話題である。私はロビンソン漂流譚の変形バージョンを集めて読むのが好きなので、そのことについて軽く触れた。老紳士はその話題をもっと広げてほしかったようなのである。うむ、期待を裏切ってしまい申し訳ありません。その話はまた機会があれば、と言いかけたのだがまだ紳士はお話になっておられるのであった。
「私の師は吉田健一という作家でして、ご存じかもしれませんが『ロビンソン・クルーソー』を日本で最初に翻訳した人物でもあります」
あ、それは違いますね。ロビンソン・クルーソーの翻訳なら先例がある。たとえば1894(明治27)年に高橋雄峯が『絶海漂流記』(博文館)を著していますし、1911(明治44)年には笹山狂郎訳で『新訳ロビンソン漂流記 絶島奇談』が立川文明堂から出ております。いわゆる立川文庫唯一の翻訳小説だ——というようなことを申し上げる時間の余裕はなく、言わずにおく(なのでここに書いておきます)。
「そもそも貴殿は大衆文学と純文学は同じものだと思っておられるのか、それとも違いがあると思っておられるのか、それについてご意見を伺いたい」
と紳士は言う。うーん。話が大きくなりましたな。
「そうですね。基本的にその二つを分けて考えることにはあまり意味がないと思います。ただし純文学に分類される作品群と大衆文学と呼ばれるものには、類型的なキャラクターを登場させること、既存のプロットを流用して書くことなどについて、明白な違いがあるように思います。そうした要素に着目すれば、違いを云々することにも意味があると思いますが……」
「そうですか」
と老紳士。
「私は純文学と大衆文学には違いはない。二つは同じものだと考えております」
あらら。うーむ、話が噛み合わない。

その日客席にはなぜか本誌編集部のヒラカツさんとえのきどいちろうさんがいらしていた。あまりそっちのほうを見ないようにしながら話をしていたのだが(だってあがっちゃうし)、最後にえのきどさんが挙手をされた。範としている読書人は誰か、というご質問である。これにはたいへんに答えやすい。私が目標としているのは故・丸谷才一であり、丸谷編著の書評集『ロンドンで本を読む』(知恵の森文庫版もあるが、抄録なので元のマガジンハウス版がお薦め)は折に触れて手に取る私の教科書だからである。そうお答えして、講演は幕を閉じた。
ふう、慣れないことをやると疲れますな。
閉会後、くだんの老紳士に話しかけられた。
「私は丸谷才一氏にも大学で教えを受けたことがありまして……」
うはあ、そうですか。それは実に羨ましいです。

近所の中華料理屋で打ち上げ。ライターの倉本さおり氏、若林踏氏も来てくれて、あれこれと話す。
 
 

5月22日(水)
午後1時よりとある企業のオフィスにお邪魔する。所用があったのだが、その席でまったく別の仕事の話に進展した。うまくいくかどうかはわからないけど、実現したらおもしろそうな話。まさしく瓢箪から駒だ。
夕刻より都内某所にて打ち合わせ。BookJapanの編集Kと編集Cを呼んで相談に乗ってもらう。企画書というよりも、その雛形のようなものを書いた。これから書籍化したい企画案を10本ほど書き出したのだが、それについて2人の意見を聞かせてもらったのである。2人とも20代なのに(編集Cに至っては私の歳の半分くらい)気持ちいいくらい年長者にずけずけとものを言う。いや、そういう意見が欲しくて話を聞いてもらったんだけどね。
「これ、優先順位が高くなってるけど、もっと後にまわすべきなんじゃないですかね」
「いや、でも企画としては通りそうでしょ。そんなに時間がかからずに書けるだろう内容だし……」
「あー、じゃあ、杉江さんが出版社に企画持ち込みしにいく練習用にしましょうよ。最初から没を喰らうとめげるだろうし。通りやすいやつ持ってったらよくないですか」
「はい、わかりました」
「だいたい、杉江さんはあれこれ欲張らないで、自分がどんなライターなのかをもっと浸透させる努力をしないとだめなんじゃないですか。先にもっと主著になりそうなものをやってくださいよ」
「はい……」
鬼軍曹か、君たちは。
しかし、2人に揉んでもらったおかげでだいぶ頭の整理ができた。ありがとう。若い人の意見、大事。
 
 

5月23日(木)
幻冬舎より新著のゲラが到着する。藤田香織さんと1年半かけて東海道五十三次を歩ききった記録を書籍化してもらったのである。タイトルは『東海道でしょう!』(幻冬舎文庫)。単行本ではなく文庫にしてもらったのは、著者の意向でもある。東海道を歩くときの携行本の一つに加えていただければ何よりも嬉しい。
翌週までに初校ゲラを戻さなければいけないので、この日から朱入れの作業に入った。実はこの本で初めて試してみたことがあるのだが、恥ずかしいので本が出た後に書くことにします……って、そのときにはこの連載はもう終わっているか。7月3日(水)発売である。著者2人はなんでもやる所存なので、販促イベントなどはぜひお声がけください。
 
 

 
 
ゲラ直しの合間に「水道橋博士のメルマ旬報」連載の「マツコイ・デラックス」原稿を送る。今回の課題作は若林正恭『社会人大学人見知り学部』(メディアファクトリー)である。
 
 

5月24日(金)
1日ゲラ作業。自分の文章と向き合うのは精神的に堪える。もっと文章家だったら楽しいだろうに。
 
 

5月25日(土)
夕刻から新宿BIRIBIRI酒場にて辻真先さんの恒例トークイベント。この日は辻さんが地元にお戻りになるということで18時半開演であった。1980年代に話題は突入し、日本推理作家協会賞を受賞した『アリスの国の殺人』(現・双葉文庫)の話が半分、もう半分は『小説!? Dr.スランプ』(集英社コバルト文庫)などのノベライズやソノラマ文庫のライトノベル系のお仕事の話になった。次回はおそらく1983年以降の話に突入するため、〈迷犬ルパン〉シリーズなどについて詳しくお話を伺う予定である。7月13日(土)開催。お楽しみに。
 
 

5月26日(日)
荻窪ベルベットサンにおいて「スーパーフラット読書会 杉江松恋の読んでから来い」。ロン・カリー・ジュニア『神は死んだ』(白水社)をお題にして盛り上がった。
次回の課題作を決めるという話になって、3冊案を出した。旧作で富岡多恵子『湖の南』(岩波現代文庫)、岡本かの子『老妓抄』(新潮文庫)、新作で小和田浩子『工場』(新潮社)。読みたいと思った本に挙手をしてもらったところ、なんと富岡多恵子が大差で選ばれたのであった。てっきり『工場』になるだろうな、と思っていたのに。富岡多恵子恐るべし。『湖の南』は読む人によって評価が分かれそうな作品なので読書会向きではあるのだ。どんな反応があるか、楽しみである。
 
 

5月27日(月)
またもやぎりぎりでこの原稿を送る。いつも本当にすいません。その他「幽」に飯沢耕太郎『ザンジバル・ゴースト・ストーリーズ』(祥伝社)、エキレビ用にみつはしちかこ『ひとりぼっちの幸せ』(イースト・プレス)の書評を送り、そのへんで原稿書きは力尽きる。残りの時間はすべて『東海道でしょう!』著者校に使い、疲れ果てて就寝。

この週は7月刊行の本のゲラが出たことがあり、いろいろと進捗があったように思う。若者の意見を聞いて企画書提示の順番を入れ替えたのも収穫ではあったし。夏から秋にかけては『東海道でしょう!』で忙しくなりそうだが、怠らず次の本の企画も進めようと思う。次回からちょっとずつその話をします。

 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
-ヒビレポ 2013年6月3日号-

Share on Facebook