今朝はボニー・バック 第24回

LOST 〜川越⇄井荻半同棲物語④〜

ボニー・アイドル
(第11号で「原稿料よりバイト料が多くても、ぼくは断然ライターだ!」執筆)

 
 
 
「異常な状況下で結ばれた二人は長く続かないのよ」
映画「スピード」のラストシーンでサンドラ・ブロックが言った台詞だ。この言葉は的中し、「スピード2」では、主演男優はキアヌ(ス)・リーブスからオッサン顔のジェイソン・パトリックに代わっていた。
異常な状況下というほどではないが、地方の合宿免許で知り合い、東京に戻ってきてから付き合い始めたカップルというのは、男女の出会い方としては珍しい部類に入ると思う。
ぼくが彼女と付き合った期間は2003年7月から2005年1月までの1年半。長いのか短いのか微妙なところだが、少なくとも出会いから10年も経つのにこれだけ覚えているってことは、記録より記憶、ミスターみたいな人なんだろう。
今回は、長々と続けてきたエッセイの最終回。はじめに、みうらじゅんさんのエッセイ本「青春ノイローゼ」に登場する次のフレーズを美香ちゃんに捧げたい。
彼女が東京で、東京が彼女で、オレのすべては彼女だったあの頃――。
 

 
                ★
2004年も押し迫った12月26日。2001年から活動休止に入っていたザ・イエローモンキーが東京ドームで解散イベントを行うことになっていた。ぼくは中学生の頃にはファンクラブに入っていたほどのイエモンファンだったが、ライブには一度も行ったことはなかった。その日はメンバーが登場する。そんな噂が流れていた。
その頃にはすでにぼくと美香ちゃんの間には別れのグルーヴが流れていたが、ぼくは最初で最後のイエモンのイベントに彼女を誘った。
当日。チケットを忘れたことに気づいたのは西部新宿線の電車の中だった。イベント終了時間まで1時間を切っていた。たぶん、チケットは美香ちゃんのアパートにあると思うが、これから戻っても間に合わないだろう。
「諦めよう」そう言うぼくを、「会場に行ったら当日券があるかもしれないじゃん。行くだけ行ってみようよ」と励ます美香ちゃん。果たして、当日券は売れ残っていた。
 
始めての東京ドーム。僕らの席は1塁側2階席。客席は思っていたよりもガラガラで、ひどく音の割れたスピーカーからイエモンのナンバーがかかっていた。
イベント終了まで30分を切った頃だろうか。場内が暗転し、花道からメンバーが現れた。中央のステージまで移動し、それぞれの楽器を手にする4人。何を演るんだろう。
「JAM」のイントロが流れた瞬間、ドームに大歓声が沸き上がった。
だいぶ後になって刊行された吉井和哉の語り下ろし自伝「失われた愛を求めて」によれば、この日、吉井は「JAM」の出来次第では、「イエローモンキーは解散しません!」と宣言する可能性もあったそうだ。しかし、演奏はぼくの目、耳にも感傷以外の印象を与えるものではなく、吉井の口からその発言が出ることはなかった。
イベント終了後、物販売場に並ぶ長蛇の列を見ながら、ぼくは美香ちゃんに「今日は美香ちゃんにイエモンを見せてもらったようなものだな。ありがとう」と礼を言った。しかし、ぼくの口から「ぼくら二人は別れません!」という言葉が出ることはなかった。
 
イベントのチケット。使わなかった前売り券2枚と当日券の半券
 
 
その後、ぼくは以下のような日々を送る。時系列がはっきりしないことも多いし、文章も長くなるので箇条書きで。

ぼくから美香ちゃんに別れ話を切り出す。
        ↓
前回モヒカンにした時と同じ同僚のおばさんに些細なことで注意され、会社を無断欠勤する。
        ↓
無断欠勤を始めてから約1週間後、会社から実家に連絡がいき、兄貴が上京。
        ↓
会社を辞める。田舎に戻ることを決める。

当時使っていた「さいしん」(埼玉県信用金庫)の通帳記録を見ると、最後に会社から給料振込があったのが2005年の1月25日(無断欠勤の末の退社にも関わらず、3万6千円が振り込まれていた)。
美香ちゃんと最後に会ったのもその前後だったはずだ。情けないことに、その晩、ぼくは彼女の部屋に泊まってしまい、明朝、井荻駅のホームで出勤する彼女を見送ったのが最後になった。

東京(川越)での生活に見切りを付けたかったから。
会社を辞めたのも、美香ちゃんと別れたのも、ずっとそれが理由だと思っていたが、今考えれば、ぼくに勇気がなかっただけだ。やりたい仕事に就く努力も、彼女と続ける勇気もなかった。
前回、ぼくと付き合っている間、ケータイに意味深なメールを送ってきた男と美香ちゃんが浮気をしていたとは思えない。それに、フラフラしているぼくに愛想を尽かして、精神的に他の男を求めてしまったとしても文句はいえない。無意識的にぼくが彼女にそうするよう仕向けたことなのだ。
いつの日だったか、美香ちゃんの部屋でご飯を食べながら、めったに見ない「水曜どうでしょう」を見たことがある。番組に出てくる構成作家がこれまでの番組の歴史の振り返る様子を見ながら、彼女がつぶやいた。
「東海林君(ぼくの本名)も、どうやったらこんな仕事に就けるだろうねえ」

帰郷したのは、たしか2月になってすぐのこと。大宮駅で秋田新幹線こまちの発車時間を待っていると、ケータイに美香ちゃんから電話がかかってきた。
「見送りに行こうかと思ってるんだけど」
彼女はぼくが上野から新幹線に乗ると思っていたらしい。大宮から乗ることを告げると、残念そうに「あっちでも元気でね」と言って電話を切った。
彼女から手紙が届いたのは、実家に戻って1年目の9月のある日のことだった。今、新しい恋人と同棲をしていること、井荻のアパートを引き払う時、ぼくと一緒に不動産回りをしたことを思い出したことなどを綴っていた。「東海林君もやりたい仕事をして初めていい男になれると思うよ」に続いて、結びは「この手紙は捨ててね」という一文。
東京に戻ってきてやりたい仕事の方はなんとか続けているが、手紙は未だに持ってます。すんません。

10年前の6月に福島の合宿免許で美香ちゃんと出会ってからちょうど10年が経った。今、ヘッドホンからは山崎まさよしの「One more time,One more chance」が流れている。
 
いつでも捜しているよ どっかに君の姿を 明け方の街 桜木町で
こんなとこに来るはずもないのに
願いがもしも叶うなら 今すぐ君のもとへ できないことは もう何もない
すべてかけて抱きしめてあげるよ
          「One more time,One more chance」 詞/山崎将義

 
本音を言えば、7年前の8月にぼくが再度上京した動機の何割かは、美香ちゃんに会いたかったからだ。自分が振ったくせに勝手なのは承知だが、もう一度彼女に会いたい、できることなら寄りを戻したいと。このエッセイを書いている時、何度FacebookやLINEなどのSNSで彼女の名前を検索したことか。結果、彼女を見つけることはできなかった。LINEに至っては、彼女の電話番号が変わっていることまで判明した。

こんな、「男らしいって男らしくないことなんだぜ教」西荻南地区支部長のぼくが一時期、「One more time〜」を心の拠り所にするのもむべなるかなである。なんて自分の気持ちを代弁している歌なのだろうと。
しかし、ぼくも美香ちゃんと別れてから何人かの女性と付き合ったが、その時も同じように感動しただろうか。その時は何の疑いもなく、「今の彼女が一番!」と思っていたはずだ。だから、山崎まさよしもたぶんこの歌を作ったときは彼女いなかったんだよ。
そんなことを考えているところへ「夜もヒッパレ!」のグッチ裕三よろしく、郷ひろみの「逢いたくてしかたない」がカットイン!(わしゃ田中稲さんか!)
 
君に逢いたくてしかたない
もう一度だけできるなら
あの涙をぬぐうから
       「逢いたくてしかたない」詞/松井五郎

「東海林君がハゲたら、私が結婚してあげるよ」
「もし私たちが別れるようなことがあっても、胸毛が生えたら教えてね」
いつか、美香ちゃんが冗談まぎれに言ったことを思い出した。
胸毛が生える様子は今のところないけど、先日、美容師の友達に頭皮を見てもらったところ、将来ぼくはM字ハゲになるらしい。
しかし、彼女に知らせる狼煙を上げる術はもうない――。
(完)

 
 
 
-ヒビレポ 2013年6月12日号-

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