杉江松恋の「違う方向に努力する」VOL.11


杉江松恋
(第11号で「10年、20年、30年経っても楽しく遊んでいられるライターでいたい。それだけなんだ」を執筆)

 
 
 
6月4日(火)
午前中は糖尿病のための定期検診で通院し、それだけで潰れてしまった。というのも突然、「心筋梗塞を起こしている可能性がある」と主治医に言われたからだ。筋組織が破壊されると血液中に成分が溶け出して濃度が高くなる。その数値が(名前は忘れた)、普通は多くても300ぐらいなのに、700以上あるのだという。過激な運動の直後で筋肉が痛んでいるか、心筋梗塞を起こしているのか、二つに一つ。
実は前日、大手町から拙宅まで歩いて帰るというプチ徒歩旅行をしていたので、それが原因ではないか、と自分ではうっすら思っていた。でも、医者が言うのに逆らえるほどの気の強さもなくおとなしく心電図をとる。もちろん結果はなんともなし。
この日はもうひとつ、眼の検査も受けていた。糖尿病だと血管が詰まりやすくなるので、眼底から出血し、失明してしまうことがある。失明せずとも視界が狭くなるので、そういう事態を未然に防ぐだめ、定期検査を受けるのだ。ただしこの検査をやるときは瞳孔を薬で広げるため、効果が収まるまで光が目に入ってきすぎてやたらと眩しくなる。そのためおとなしく家で横になっていた。
そんなわけで時間をとられてしまったが、もちろん通院はしてよかったのである。糖尿病のおかげで定期的に病院に行く習慣ができて、幸運だったともいえる。
目が元に戻ってからレギュラー原稿を2本書いて送る。1本は時事通信社、もう1本はWEB本の雑誌で、田中啓文『シャーロック・ホームズたちの冒険』
 

 

6月5日(水)
某新人賞の下読みが〆切をだいぶ過ぎてしまっていたので、ラストスパートに入る。
夕刻、「ダ・ヴィンチ」編集部を訪ねる。1ページもののインタビューを受けるためである。同誌ではちょくちょくインタビューアを務めているが、される側に回るのはひさしぶり。ご担当のライター氏のおかげで無事に話すことができた。
これは書評家の仕事を話すもので、一緒に極私的ベストテンを挙げることになっている。いろいろ考えたのだが「自分ではうまく書評できなかったと思っているミステリー・ベストテン」にした。内容はお楽しみに。
 
 

6月6日(木)
エキレビ!に原稿送付。施川ユウキ『バーナード嬢曰く。』について。
下読みにラストスパートをかけて終わらせ、評価をメール送付する。原稿も宅急便で戻す。今年に入ってから自分が一次を担当した箱から大賞が2本連続で出ている。別に私が偉いわけでもなんでもなくて応募者の力ではあるが、こういうのは気分がいいものだ。送り返した原稿からまた入賞者が出るように祈る。
商業原稿は他に書いていないが、BIRIBIRI酒場のメルマガ用に一本送る。未定だったタイトルは、ふっと降りてきたアイデアの「君にも見えるガイブンの星」にした。もちろん元ネタはアレである。ウルトラ五つの誓い、今でもそらで言えます。
これは毎月やっている「ガイブン酒場」の告知のためにやっているのだが、ミステリープロパーであった杉江松恋が今なぜ外国文学に向き直っているのか、姿勢を読者に報告するつもりで書いている。今まで読者としての力量に自信がなくて主流文学を敬遠していた。しかし、おそるおそる手を伸ばしてみたら意外にもぴったりくるものが多く、かなりおもしろかったのである。その感動をなんとか言語化してお伝えしていければ、と思っている。
原稿は今のところメルマガでしか読むことができないが、サンプルは私のブログに置いてある。ガイブン酒場の詳細は、こちらから見ることができるので、ぜひお試しを。次回は6月21日(金)の予定です。

夜は池袋コミュニティカレッジにて講義。この日の課題は自分の書きたい作品のプロットを400字程度で書いてくることだったが、内容について口頭で発表してもらった。5分間話した後、他の受講生からの質問を受けるのである。
そして宿題として他の人の作品について、「読みたくなったか」「完成していると思ったか、まだまだ考えを練るべきと思ったか」を評価し、メールで私に送るように伝えた。前者を「マネーの虎」度と名づける。昔のテレビ番組からの頂きである。あの番組の虎になったつもりで、他人に厳しく点をつけるように申し渡す。その分、自作にも厳しい点がつくのでお互いさまである。
後で送られてきたものにひとつ、全員に5段階評価の4をつけたものがあったので差し戻した。優しい行為のように見えるが、実はこれはまったくその人のためにならない。虎に徹して率直な評価をしるからこそ、他人を励ますことが言えるのだ。
 
 

6月7日(金)
少し体調を崩してしまい、鬱々として一日を無駄に過ごす。
体調が優れなかったのはひとつ理由があり、その日の朝に振りこまれているはずの支払いがなかったからだ。6月は毎月のかかりと別に、厚生年金基金の引き落としがある。加えて地方税や固定資産税の第1回目の支払いがあり、翌月には子供の通っている塾の夏期講習分を入れねばならず……とこの先要り費が嵩むのは目に見えているのである。銀行の残高が気になって、一瞬目の前が暗くなった。

普段は将来の不安のことなど考えないようにしているが、こういう日には心がぐらぐらと揺らいでしまう。黒いもので満たされてしまい、わけもなく人が憎くなる。そういう気分にならないように、ならないようにいつもは自分を誘導しているのだが、この日は失敗してしまった。とても良い仕事ができる状態ではなくなり、不貞寝した。フリーランスは怖い。フリーランスは危ない。フリーランスは孤独である。しかし、それでもこういう職業を選んだのだから、誰にも愚痴をこぼさず自分の生きるべき道を歩いていかなければいけない。

夕刻、『東海道でしょう!』の再校ゲラが届いてようやく立ち直る。落ち込んでいても何も始まらないし、目の前にあるゲラは戻さなくちゃいけないし、子供にはおやつが必要だし、おなかが空くからご飯も食べないと。起き上がる。むっくり。
 
 

6月8日(土)
ゲラ作業に熱中して1日が終わる。途中、新宿BIRIBIRI酒場で若林踏・酒井貞道の2人が行っている翻訳ミステリー早読みイベント「ミステリー・スニークプレビュー」の会場に、来日中の『二流小説家』(ハヤカワ・ミステリ文庫)作者デイヴィッド・ゴードンが現れたとの情報があり、応援のために駆けつけなければいけないか、と浮き足立ったが、作家はすぐに引き揚げたとのことなので安堵して作業に戻った。やれやれ。
 
 

6月9日(日)
またもぎりぎりで「水道橋博士のメルマ旬報」連載の「マツコイ・デラックス」原稿を送る。今回とりあげたのは東野コージ(幸治)の『この道。』(ワニマガジン)である。水道橋博士の『藝人春秋』(文藝春秋)に似た観察記だが、水道橋博士が定点観測者にあえてとどまっているのに対し、東野は伴走者の感覚に近い。その違いがおもしろかった。
夕方、子供と一緒に近所の銭湯に行く(妻は風邪気味だったので留守番である)。嫌なこと、辛いことのいくつかは、銭湯で足を伸ばして湯に浸かれば消えてしまう。銭湯は本当にいいものだ。
銭湯効果か、なんとか1日前に「ヒビレポ」の原稿は入れることができた。
 
 

6月10日(月)
自分の足で届けに行くつもりだったが時間がなく、バイク便を出してもらって『東海道でしょう!』(幻冬舎文庫)の再校を戻す。これで手は離れた。あとは何か非常事態が出来しないことを祈るのみ。無事にいけば7月3日(水)、店頭に本は並びます。みなさん、どうか可愛がってやってください。
 

 

ネットで銀行口座を確認してみたが、大きな振込みはなく、いよいよきつくなってきた。しかし、なんとかなるさ、と無理矢理自分を納得させる。前日の銭湯効果もあってか、そんなに気分は悪くない。曇り空だけど雨はまだ降っていないし、庭には野良猫がきて昼寝をしている。こういうときは最悪の事態だけは免れるものだ。きっと。たぶん。いや、絶対。

なんとなく気分が回復しているうちに原稿を2本書いた。1本は週刊現代に頼まれたもの。もう1本はWEB本の雑誌でデイヴィッド・ゴードン『ミステリガール』(ハヤカワ・ミステリ)だ。前作の『二流小説家』を上回る出来で、これは大傑作であった。

次回でこの連載も終わりだというのに、なんとなく鬱々として前に進むことができなかった週だった。でもそういうこともある。そういうときにどうやって一歩でも足を前に出すか、後ろに下がってしまわないようにするか。それが大事だ。うん、我ながらよくやったという気がします。きっと大丈夫。

 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
-ヒビレポ 2013年6月17日号-

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