四十の手習い 第1回

新しいことをやるのだ

 
海江田哲朗
(第12号で「劇団カクスコ 11年後のカーテンコール」執筆)
 
 
 
何でもいいから新しいことをやりたい。現在の軌道から外れた、突拍子もないことを。昨年、40代に突入したのを境に、たまにそう思うようになった。

こういうとき、何かにつけ経済を中心に発想する習慣がうっとうしい。要はカネになるのか、ならないのか。どうしても頭がそっち方面に行く。生活者だからそのへんはちゃんと意識しなければいけないのだけど、そればっかりではね。いったん、あれもこれも捨ててみよう。まっさらな状態から、新しい何かを獲得するのだ。律義に「六十の手習い」まで待つこたない。早く始めるぶんにはいいに決まっている。

ぱっと浮かんだのは、楽器だ。ミュージシャンって、いったいどんな気分なんだろう。この際、商業的に成功しているかどうかは問題ではない。私は楽器が演奏できる人を無条件に尊敬する。なぜなら、自分がからっきしダメだからだ。まず、音楽のセンスがまるでない。音感はゼロに等しい。絶対音感なんて、意味がわからない。一方、音楽を聴くのはそこそこ好きだ。聴かせてもらう側で満足しているが、楽器ができたらどんなにいいだろうと思う。
 

 

これまでの来し方を振り返ると、楽器が不得手という決定打はかなり早くに打たれている。およそ30年前、小学生だった頃の話だ。音楽の授業で使う楽器は、リコーダー(縦笛)だった。5、6人のグループに分かれ、クラス内の発表会のようなものがあったと記憶する。

それなりに練習したはずだが、一向に技術が上達しなかった。上手に吹こうとすればするほど、おっかなびっくりの演奏になってしまう。音楽の女性教諭は常々言っていた。「ミスを怖がったらいかんよ。ヘタでもいいから思い切ってやりんしゃい」。私が育ったのは、九州の福岡だ。小5の春、千葉から転校した。

発表会当日、土壇場に追い込まれた私は、先生の言葉を真に受けた。最低限の技術すらないくせに、音楽はハートだよ、という言葉を知っていた気がする。そこへ、福岡に越してから気に入っていた「せからしかッ」の精神(大意としては、細かいことを言うな)がミックスされた。

思いのままにリコーダーを吹いた。吹きまくった。誰よりも大きい音で。先生はパンパンと手を叩き、私たちの演奏をストップした。

「えっとね、海江田くんは笛くわえとくだけでいいから。はい、もう一度」

なんだよ、先生。思い切ってやれって言ったやんか。痛烈な大人の手のひら返しに、私は呆然となった。年度末の通信簿、音楽の欄は5段階評価の「2」だった。実技の不足をカバーするためにがんばったペーパーテストは80点以上だったはずなのに。実質「1」ってことだ。

家に帰り、母親から音楽「2」の理由を問われた私は、発表会であった出来事を話した。「どうせまた、あんたがふざけたっちゃろ」と母は決めつけている。ふざけたつもりはないが、そのように見えたかもしれない。私は特に傷ついていなかった。よくよく考えれば、先生はグループ全員の演奏を聴き分け、それぞれ評価を下さなければいけないわけで、あまりに大きい異物が混在していると支障をきたす。ただ、考えが定まっただけだ。私はそっち側の人間ではない。人の奏でる音楽を聴かせてもらう側だ。自分にできることはほかにあるだろうし、別段それで困らない。

当コラムは、そんな私が齢四十にして、ほんの軽い気持ちで一念発起。ヒビレポ連載期間の3ヵ月で、楽器を習得しようというウルトラ個人的プロジェクトである。ひと口に楽器といっても、いろいろあるしなあ。どれにしよう。人から趣味を訊ねられ、「ペットを少々。あ、トランペットのことね」とか言ってみたい。あと、曲はどうするのだ。素人以下なんだから、むつかしいのはムリ。スローテンポで、かつ自分の好きな曲がいい。最後には何らかの方法で成果を明らかにしたいと思っている。

 
 
 
-ヒビレポ 2013年7月6日号-

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