薔薇の木にどんな花咲く?  第3回


竜 超
(第12号で「『薔薇族』継いじゃいました。」執筆)
 
コミック◎猪口コルネ
 
 
 

「同性愛の人って怖いんですよねェ。こっちはいったい何がNGワードなんだか判らないから、ついうっかり“地雷”を踏んじゃいかねなくて……」
知人のライターさん(異性愛者の男性)から以前、こんなふうに云われたことがありました。しかし、それはその方だけに限った話じゃなくて、たぶん多くのマスコミ関係者が感じておられることだろうと思います。

メディアの方々が最初にとまどう部分というのは、たぶん「同性愛者のことをどう呼んだらいいのか?」でしょう。じつはこれについては当事者サイドでも定まっておらず、さまざまな呼称が混在しているのです。
現時点で一番ポピュラーなのが「ゲイ」で、テレビ関係では各局ともそれで統一していますが、じつはこれだって当事者のみんながみんな承諾しているわけじゃない。というか僕自身、そう呼ばれることが好きじゃないのです。

50代以上の同性愛者に「ゲイ」というと、「ゲイ・ボーイ」つまり“薄化粧や半女装の男ホステス”を連想されて、あまりイイ顔をされない場合があります。そうした方々にとっては「ホモ」のほうが、男らしいイメージが強くて響きが良いようなんです。
ホモというのは同性愛を意味する医学用語の「ホモ・セクシュアル」を略したものですが、ジャパニーズを“ジャップ”と縮めるような侮蔑的なニュアンスをそこから感じ取った当事者の誰かがが「これは蔑称だ!」と云いだして以降、急速にすたれていきました。
 

 

それと入れ替わりで、新しい意味あいを帯びた「ゲイ」の株がグングン上昇していきました。90年代に入ってからのそれは「同性愛者がみずから選び、自主的に用いている肯定的呼称」という触れ込みで、“同性愛者の権利獲得運動”が活性化していくなかで「ゲイ・プライド」なんてフレーズも使われるようになったんです。
ホモというのが特にネガティヴな呼称ではなかった80年代には、同性愛者用の呑み屋を「ホモ・スナック」や「ホモ・バア」と呼んだりすることもあったんですけど、いまでは「ゲイ・バア」で統一されてしまった感じです。

いっぽう、あらゆる世代にわたって嫌われる場面の多い呼称が「オカマ」というやつです。
『薔薇族』創刊の立役者であるカリスマ編集者・藤田竜氏が無邪気にそれを口にしたスタッフを怒鳴りつけたとか、好んでそれを連呼するおすぎとピーコに美輪明宏氏が激怒して絶縁宣言をしたとか、オカマがらみのトラブル・エピソードは数え上げれば枚挙にいとまがありません。とにかく一定以上の年代の方々にとって、オカマというのは「このうえなく屈辱的なコトバ」であるようなのです。

その世代の中で例外的だったのは、昨年4月に亡くなった東郷健氏でした。
ゲイ雑誌を出版したり、バアを経営したりするかたわら、“雑民党”をひきいて社会運動家・政治活動家としても活躍した氏は、昭和7年生れでありながら、選挙に出馬した際には「オカマの東郷健」を連呼しながらの運動を展開しました(参院選、衆院選、都知事選、すべて落選でしたが……)。
その理由を、生前の東郷氏は「コトバのインパクトによって観衆の耳目を集めるため」と述懐されていましたが、あまりにもインパクトがありすぎてトラウマになってしまった同性愛者も少なくなかったようであります。

コトバというのは生き物ですから、時代が移り変わるなかで、その意味あいにも変化が生じてきます。たとえば現在は“不安定な立場の非正規労働者”というネガティヴなイメージの強い「フリーター」にしたって、誕生した当時は“組織に隷属せず自分らしさを活かせる働き方を選んだ自由人”を意味する肯定的な造語だったのです。
「オカマ」についても似たようなことが云えて、1970年代以降に生まれた世代を中心に“肯定的な意味あい”で用いる人間も増えてきています。“露悪的な遊び心の産物”なのかも知れませんが、オカマと名のるのが好きな方は、比較的「高学歴系おねェ」に多いような気が、個人的にはしています。

——さて、えんえんと同性愛者の呼称の解説をしてきましたが、まァ初対面の相手にたいして使うなら「ゲイ」というのが無難でしょうネ。ゲイと呼ばれて激昂する同性愛者というのは、いまの時代ではまずいないはずですから。
ただし、それが“絶対的な正解”というわけでは決してありません。あくまで“個々人の好みの問題”に過ぎないのです。そこのところをはき違えて「ゲイ=尊称」「ホモ=蔑称」とかたくなに思い込み……いえ、ただ思い込むだけならいいンですが、それを他人にも強制する人間というのが中にはいて、「アタタタタタ……」なってしまうことがしばしばあったりする。
僕がゲイと呼ばれるのを好まないのは、その呼称を絶対視・神聖視する人間たちの視野の狭さにヘキエキとしているからです。「アイツらと同類にされるのはタマランわい!」という意味あいで、「おいおい、ワシを“ゲイ”と呼んでくれるなヨ」と周囲に云っているわけですネ(まァ、呼ばれても怒りはしませんが)。

コトバを商売道具にしてオアシを頂戴している身だからこそ、僕は「コトバなんてしょせんはコトバにすぎないじゃん!」という感が強いのです。
たとえば明石家さんま氏はよく「カマ」という云い方をしますが、“邪気”がない方なのでなんら不快には感じられない(だから美輪明宏氏からも愛されているんでしょう)。
ぎゃくに「ゲイの皆さんは……」とか丁寧に云ってるけど、腹の底のドス黒さが露骨に浮き出ているマスコミ人とかもいたりします(まァ、あからさまに怒りはしませんが)。
要するに、コトバなんてものは訓練次第でいくらでも取り繕えるわけですから、「そんなところにこだわったところで意味なんてホトンドない」のです。

僕は基本的に、呼称がどーとかこーとかの問題ではないと思っています。大切なのはあくまで“ハート”であって、呼び方ウンヌンとかいうのはしょせんは枝葉末節レヴェルの話。
だから、ソコに拘泥しているあいだは同性愛のコミュ二ティもまだまだ成熟できていない気がしますネ(なんてエラソーなこと云ってますが、僕にしたって昔はソコにとらわれて世間を狭くしていた時期があったんですけどネ。まァ、その気にさえなれば、歳を経るなかで変わっていくことはできるんですヨ)。

冒頭で紹介した知人のライターさんと同じような不安感を抱いているマスコミの方々へ。僕に限って云えば特に“NGワード”はありませんし、どういう呼び方をされようとべつに悪意がなければ怒ることはありませんので、取材の申し込みはどうぞ心配せずに!
……ただし、明確なる悪意が感じられる場合にはソレナリの対応はさせていただきますけどネ。
 
 

 
 
 
 
-ヒビレポ 2013年7月18日号-

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