四十の手習い 第5回

ブルースハープを知る

 
海江田哲朗
(第12号で「劇団カクスコ 11年後のカーテンコール」執筆)
 
 

よく晴れた日曜日だった。散歩がてら近所の中学校で参院選の投票を済ませ、家に帰ってブルースハープの練習だ。毎日、30分でもいいから練習を欠かさないように決めていたが、なかなかどうしてこれが簡単ではない。明日まとめてやればいっか、と自分に対する甘さがつい出てしまう。

世間は参院選の結果をめぐり、ざわついている。かたや私はブルースハープを吹いている。圧勝が確実視される自民はにんまり、民主は青ざめ、私はのんきにプープーやっている。なんだ、この隔絶感は。世捨て人になった気分だ。もっとも、市井の人間の楽しみは政治の世界と遠く離れているものだけど、ブルースハープのなごやかな音色はそれをよりいっそう際立たせた。

参院選の情勢を伝えるテレビを見ていて、かつて仕事で会ったことのある人を思い出した。山本太郎さん(無所属)とアントニオ猪木さん(日本維新の会)だ。ともに企業のPR誌のインタビューだったと記憶する。
 

 

山本さんはシャレのわかる人だった。あまり触れられたくないだろうトンデモ映画『代打教師 秋葉、真剣です!』(1991年)の出演について訊ねても、「えらいもん観てまんな」と朗らかに笑い、ざっくばらんな語り口が魅力的な人物だった。

どういう話の流れでそうなったのか忘れたが、私の父に宛てたサインを書いてもらうことになった。

「リストラに負けるな、って書いていただけますか?」
「お父さん、リストラされはったんですか?」
「いえ。ひとつの気構えとして」
「大丈夫? 傷つかへんかな」
「そのへんは心配ないです。たぶん笑ってくれます」
「いいでしょう。書きまっせ」

後日、そのサイン色紙は父の日のプレゼントと一緒に贈ったはずだ。

猪木さんは、アガリクス(健康に良いとされる乾燥きのこ)をバリバリ食べた。通常はダシをとったり、細かく刻んでスープの具として使うのに、そんなのお構いなしだ。自分に期待される役どころを心得、カメラの前で過剰なほどのPRを実行した。あとで少しかじってみたら、激マズだった。とても食えたものではない。さすが、イノキ。顔色ひとつ変えず、ここまでやるんだと感心した。

そんなふたりの参院選をよそに、私はブルースハープを吹いている。結局のところ、それぞれ自分の選んだ道を進み、そこでやりたいこと、やれることをやるしかないのだ。吹けば吹くほどに、そんな思いが私の身体にゆっくり沁みわたっていった。

さて、習得を試みるブルースハープのほうは、初歩の初歩でつまずいている。最初、もしかしたら案外すんなりできるのではないかと思ったのだ。ブルースハープ、すなわち10ホールズ・ハーモニカは、10コの穴を吹いたり吸ったりして、音を出す。高度なテクニックはさておき、これさえ間違えずにできれば、一応メロディーを奏でられる。

楽譜をまったく読めない私であったが、今回は『初心者に絶対!! ブルースハープ初歩の初歩入門』(田中光栄著・ドレミ楽譜出版)という心強い味方がいる。本書によると、「別れの曲」の出だしはこうなっていた。

【3 4 ③ 4 ④】 ※丸印は「吸う」

左から3番目の穴を吹き、次に4番を吹き、3番を吸い、4番を吹き、4番を吸う。なんだ、カンタンじゃんと思った。ところが、実際にやってみるとこれができないのである。まるっきり見当外れの情けないメロディーになってしまう。

「基礎がなっていないのに、曲に挑戦するなど百年早い!」。そんな光栄師匠の叱咤を聞いた気がした。軽はずみなことをしてしまい、すみませんでした。イチからやらせていただきます。

あらためて開き直した1ページ目の「はじめに」。そこには光栄師匠のアツい思いがほとばしっていた。ポケットに収まるほど小さなブルースハープが、3オクターブもの音域を誇る楽器であること。あらゆる音楽のジャンルで無限の可能性を秘めていること。そして、次のように高らかな宣言があった。

〈ブルースハープは サックスやトランペットなどにも負けない 立派なメロディー楽器だ!!!〉

よほど強調したかったのか、そこだけ太字である。師匠、僭越ながら申し上げますが、楽器に勝ち負けはないのではないでしょうか。そうツッコミを入れた私だったが、すぐに考えをあらためた。これは魂の叫びである。わざわざ特筆大書すべき事柄でないのは承知の上。きっと、こう書かざるをえない事情があるのだ。ブルースハープを愛し、普及に取り組めばこそ、どうしても伝えたかったに違いない。

私は想像する。これまで、師匠は数え切れないほどの辛酸をなめてきたのかもしれない。

「あなたはミュージシャンだそうですが、どんな楽器を?」
「主にブルースハープです」

そこで、ほとんどの相手はフッと笑うのだ。なんだ、ハーモニカですかと。師匠は軽んじられたことを敏感に察する。「主に」と言い訳のような言葉を付けてしまった自分の弱さも、ちょっぴり腹立たしい。会話はそれきり打ち切られる。いつしか師匠は沈黙を受け止めることに、すっかり慣れてしまった――。

わかります、わかりますよ、師匠! ブルースハープのとば口に立ったばかりの私でさえ、その雰囲気を感じることがあります。以上、勝手な想像なのだが、私はこの楽器を自分のものとする心構えを強くした。

そういった気持ちの面はともかく、まずは10コの穴を正確に吹いたり吸ったりできなければ話にならない。道のりが、はてしなく遠く感じられる夏の日であった。

 
 
 
-ヒビレポ 2013年8月3日号-

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