どす黒い私  第8回


 
和田靜香
(第8号で「ハッケヨイ、和田翔龍!」を執筆)

 
 
 

 このあいだ、長年お世話になっている人の家を久々に訪ねると、ご家族が出てきて「どうもぉ、おひさしぶりです。暑いですねぇ」なんてのんきに挨拶をしていたら、突然に神妙な顔をして、
「和田さん、実は○○は入院してるの。癌でね。抗がん剤治療をしてるけど、なかなか効かなくて。周りには誰にも言ってないけど、和田さんには電話しようか迷っていて。今日こうして来てくれたからお話するけど……」
 という。言いながら涙をポロポロ流し、私も急に聞かされた驚きの話に涙があふれ、玄関先で2人、おいおい泣いてしまった。
 すぐに病院にお見舞いに行こうとしたものの、涙があふれて止まらない。ショックでショックで泣けてたまらない。そんな泣き顔でお見舞いに行ったらダメだと思って、その翌日、改めて病院に行った。

 病院で会ったその人は思っていたよりもずっと元気で、でも、身体中を色々な管でつながれ、前に比べたら小さくなっていた。「癌になっちゃったよ」と本人もよく知っていて、そして私が持って行った、胸に「無事」と書いたカエルの小さな置物と、「幸せふくろう」と書いたマグカップを「可愛い可愛い」と言ってすごく気に入ってくれた。私に気を使ったのかもしれないけど。
 その人は「癌は治らないんだよ」と言いながら、「でも少しずつ治療していけば、いつか自分の免疫の方が癌に勝つかもしれない」と、生きる希望を失っていない。そりゃ、そうだよな。そうだよ。生きる希望を、今日を生きる希望を持ってるから、病院でこうして管につながれてるんだよな、と思った。
 

 

 でも管はひどい。だってその人はベッドの上に座って話が出来もするのに、管で尿も取られていた。トイレぐらい自分で頑張れば行けそうに見えた。オムツって手だってあるのに、なんでダメなの? 後からそのことを母に言うと「そうなのよね。病院て。面倒だからそうするのよ。間に合わなかったり、オムツからもれたりするとベッドを汚すとかいって、すぐ導尿にしちゃう。筋肉が落ちちゃうのにね」と怒っていた。ひどい。なんてひどいんだろう。そりゃ人手がなくて大変なんだろうけど、でも、筋肉が落ちたら、病気だって治るものも治らなくなるだろうに。筋力が上がったら病気に打ち勝つ力だって増すかもしれないのに。きっと母やそして自分もこれから病院で入院することがあるだろう。そんなときは、なるべく早く病院から出よう。導尿から解放し、たとえおしっこまみれになっても、家で普通に過ごせるようにしよう、そんなことを思った。
 それなのに、その人は「ここはいい病院だよ」と、文句ひとつ言わない。「今日は外、暑いの?」と聞いて、「ここは暑くなくてずっと快適だよ」という。

 そこが快適なはずがない。普通の相部屋で、4人が入院してる。カーテンで完ぺきに囲われてはいるけど、もちろん声も臭いも何もかも筒抜け。その割りに昔と違って入り口には名前の表示もなくて、男の人ばかりの部屋だからもあるだろう、お互い一言も話もせず、誰がいて、どんな具合なのかさっぱり分からないという。
 殺風景で小さな窓から見える外の風景は遠い異世界のように感じる。ずっと前、自分が5日間だけ小さな病院に入院したとき、普段は心配性で病院にばかり通っていたくせ、そのときはイヤでイヤで、一刻も早く退院したくてたまらなかった。だから合間に何度か退院しながらも、もう数週間もその狭い空間にいるその人は、気が滅入るだろう、うんざりするだろう。ああ、トイレぐらい、せめて車椅子に乗せて連れて行ってあげればいいのに。ほんの数メートルでも移動する自由をあげればいいのに。

 病人になるってことは、ものすごく大変だなって改めて思った。最近ずっと自分は「別にいつ死んでもいいと思ってるから」などとホザいていたが、人はそう簡単には死ねない。その前に病人にならなきゃならない。大変だ。うんざりすることばかり。パッパッと3秒で死ねたらいい、とも言ってるけど、それはよほど善行を積んだ人か、宝くじに当るようにラッキーな人にしか与えられない死に方のような気がする。私みたいなろくでなしは苦しんで苦しんで死ぬ気がする。
 それなのに、「いつ死んでもいい」なんて言ってきたなんて、なんて馬鹿者で不遜なのだろうか。自分の人生にも周りの人たちに対しても、あまりに不遜すぎた。反省する。
 
 もし私が癌になったら?
 狭いベッドに閉じ込められるだけで、ギャアアアアア。
 導尿されたら、痛い〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
 大騒ぎするだろう。第一、私は閉所恐怖症でMRIに入れない。以前は大丈夫だったけど、恐怖症が悪化してる最近は7秒ぐらいで「ダメダメダメ、出せ出せ〜〜」と大暴れしてしまい、2度試したが、あきらめた。じゃ、麻酔して、というが、不整脈だから簡単に麻酔もできない。
 
 そして面倒がりで癇癪持ちだから、ああ、もう、いいよ、いいっ! と、入院や検査前に怒って帰ってきてしまうかもしれない。そのくせ気が小さいから泣いて泣いて、「やはり入院する」と大騒ぎしながら主治医んとこに行って、人さまにたくさん面倒をかけながらやっと検査して、入院して、手術して。その後もまた空調からカーテンの薄さ、物音からトイレの汚れ、風呂の時間から食事、布団、そりゃもう、あれこれ山ほど文句を言い、愚痴も数限りなく言いまくり、むろん己の不幸を嘆きまくるだろう。
 
 もう周囲をウンザリさせまくる病人になるんだ、私は。間違いない。
 
 健康は大切だ。今こうして毎日くだらないことをホザき、わがまま勝手に暮らしていられるのは健康だから。いや、実はもう癌かもしれないが、とりあえず健康感に支えられているから暮らしていられる。それが崩れたら一気に生活が豹変する。
 入院してるその人だって、あれこれやろう、こうしよう、ああしようと計画がいっぱいあったはずだ。それが病気ですべてフッ飛び、今は管でつながれて治療に専念している。
 
 それにしても、その治療は正しいのだろうか? ふと考える。もしかしたら別の抗がん剤のがいいとか、色々あるんじゃないのか? そういうこと、病気になったら考えればいいと思っているけど、いざ病気になったらそれどころじゃない。なのに私たちはそういうこともふだんは全然考えてない。もし胃がんになったら? 大腸がんになったら? 肺がんになったら? 子宮がんになったら? 乳がんになったら? 最善の策やら病院やら今から調べておけばいいが、一切そんなことはしない。今は健康で、そういうことも訪れるであろうと思いながらも、それは常に遠くにあると信じてる。実際はもう目の前かもしれないのに。ああ、なんと薄氷を踏むような毎日なのだろうか! 
 
 病人になるということは大変だ。病人本まで書いたことのある私だけど、とても立派な病人になれる見込みはない。健康に生きることは大変。病人になることも大変。そして死ぬことも大変。ふぅ〜。難儀だな。
 
 今はひたすら管でつながれたその人の回復を祈りたい。

 
 
 
 

-ヒビレポ 2013年8月23日号-

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