薔薇の木にどんな花咲く?  第10回


竜 超
(第12号で「『薔薇族』継いじゃいました。」執筆)
 
コミック◎猪口コルネ
 
 
 

今年2月、同性愛者であることをカミングアウトしたうえで活躍しているシンガポール人の写真家、レスリー・キー氏が警視庁保安課に逮捕されました。
その罪状は〈猥褻図画陳列罪〉で、無修正の男性器が多数掲載された自主製作写真集を、じぶんの個展で販売したことが法に触れたのだそうです。
レスリー氏の個展は、僕も以前に見たことがあるのですが、たしかに会場に入るやいなや、ポルノ解禁済みの他国にテレポートしたような錯覚におそわれました。
「ここは一体どこの国なんだ??? 現行法下の日本では、たしか〈性器のモロ出し〉は禁止事項であるはずだが……」と、頭がクラクラしてくるのです。

「摘発された男性ヌード写真」といえば、じつはわが『薔薇族』も創刊2号目(1971年9月発売)にして早くも桜田門のお世話になったのでした。
掲載されたモノクログラビアに、当時はまだ出版界のタブーだった〈陰毛〉が映り込んでいたというのです。
ヘアヌードブームの先駆けになった1991年の「樋口可南子写真集」より20年も早く、果敢にも禁忌破りに挑戦!
……な〜んてゴタイソーなもんじゃ全然なくて、まァ、ただ単に「ウッカリしてたら映っちゃった」というだけの話なんですが。
 

 

いま観ると、それは「陰毛だと云われれば陰毛のようにも見えるが、ただの影だと云われればただの影のような気もする」というアイマイなシロモノでした。
90年代に乱発されたヘアヌード写真集の「陰毛以外のナニモノでもないアカラサマな陰毛」と比べればホントにかわいいモンで、その頃の世間が〈性〉に関していかに保守的であったかがうかがえるエピソードです。
昭和期の『薔薇族』には「××号のグラビアで陰毛が見えて大興奮したが、あまり過激なことをして発禁になったら大変なので自粛したほうがいい」なんて編集部をおもんばかる投書が載ったりしていましたが、ホントにノンビリとした時代だったんですねェ……。

創刊から10年目くらいまでの『薔薇族』のグラビアでは、毎号、様々なフォトグラファーたちがしのぎを削っていました。
なかでも〈波賀九郎〉というベテランカメラマンは、縄や六尺フンドシなどを駆使した〈和テイストのSM写真〉を得意とし、多くのファンを獲得していったのです。
波賀氏はもうすでに亡くなられてしまいましたが、90年代後半にはフジテレビの深夜番組に〈男性美フォトの達人〉として出演し、永年鍛え上げたテクニックを披露してくれました。
その回のモデル役はMCの中山秀征が務めたのですが、なかなかの男っぷりに撮れていて「さすが! 名人はモデルを選らばず、だネ」という感じでした。

そう云えば初期の『薔薇族』では、発行元の〈第二書房〉の社屋を兼ねていた伊藤文学編集長の自宅内で撮影したこともあったそうです。
そのときには文学氏はもとより、妊娠中でお腹の大きかった文学夫人までも照明係を担当したといいます。
〈ヌードグラビア撮り〉という扇情的なシチュエーションとは裏腹の牧歌性が、じつにイイ味を出しているエピソードだとは思いませんか?
なんか『ゲゲゲの女房』みたいな感じで、誰かドラマ化でもしてくれないかなァ〜と半ば本気で思っております。

たくさんの作り手たちが情熱をかたむけ、工夫をこらしながら作り上げていった『薔薇族』のグラビアでしたが、その流れも80年代半ばあたりで途絶えてしまったと個人的には思っています。
その最大の要因は「アダルトビデオの台頭」である、というのが僕の認識です。
一般側でブームを呼んでいたAVがゲイの世界でも普及しだすと、広告を出稿してくれているメーカーから編集部へと、リリース作品の〈スチール写真〉が回ってくるようになりました。
それはつまり「わざわざ編集部が高いお金をかけて制作しなくてもグラビアページが埋まるようになった」ということです。
手間ヒマかけずに目玉コンテンツが出来上がってしまうのですから、そこに頼ってしまう気持ちも判らなくもないのですが……結果的には、それが第一期『薔薇族』の滅びの道の第一歩だったのだと僕は思います。

その後、平成になったか、ならないかぐらいの時期に『薔薇族』を含むゲイマガジン数誌が局部のボカシを極端に薄めたことがありました。
ヘアヌードのほうは、それなりに大きな出版社が高名な写真家を起用して「アート作品」というテイでの売り出し方をしたせいか特に当局からのクレームはつかず、その結果として「なし崩し的」に「事実上、解禁されたような状態」になったのです。
けれどもさすがに「性器そのもの」となると話は別なようで、最もキワドイ出し方をしていた雑誌がお叱りを受けたといいます。
同時期に売られていた無修正モノでも、ハーブ・リッツやロバート・メイプルソープなんかの輸入写真集はお目こぼしされていましたが……和製の、それもゲイマガジンとなると、やはり「単なるワイセツ物」としか見られないわけですネ。

それにしてもパッと見には大差ない物件なのに、「アートならOKで、ワイセツだとアウト」というのは何とも釈然としない感じです。
小説や絵画、写真、映画などをめぐっての「ワイセツか? 芸術か?」という論争は、昔から飽きるくらい繰り返されてきましたが、もういい加減その次元からは脱却したらいかが? と云いたくなってきます。
冒頭で取り上げたレスリー・キー氏の一件も、やっぱりここに収れんされてしまいました。
何がワイセツで何が芸術か、なんてのはどこまでいっても各人の主観の問題であって、明確な境界線を引ける人間なんているわけがないのです。

じつは僕は、レスリー・キー事件が起こるちょっと前から「ワイセツなのがどうして悪いのか?」ということを考えているのですが、どうしてもその答えが見つかりません。
かつてはあれほどタブー視されていた陰毛でしたが、世に出回っても結局たいした混乱は起きませんでした。
性器にしたって多分、それと似たり寄ったりだと思うのです。
騒がれるのは最初のうちだけで、じきに飽きられてしまうでしょう。

90年代後半になってインターネットが流行しだしたとき、「あれをやればモロ出し写真が手に入るらしい!」と騒がれて、連日徹夜で画像のダウンロードを続ける人間が続出しました(僕も含めて)。
でも、そのフィーバーだって、しばらくしたら沈静化してしまったじゃないですか。
2005年に『薔薇族』が復刊した際、伊藤文学氏は「じぶんが捕まってもいいから、過激なグラビアを出すべきだ」と主張しましたが、その頃にはすでに世間一般での〈無修正信奉〉なんてのは下火になっていたのです。
たとえ文学氏が留置所に入ったところで、それだけで売上がグンと上がるなんてことは望めなかったろうと僕は思います。

現在の『薔薇族』にエロティックな要素は皆無ですが、それは別に「そうしたネタを嫌悪している」からではありません。
むしろ、「大好きだからこそ中途半端なものは載せたくない」のです。
それこそ、オーバーでなく世間をアッと云わせた『anan』の本木雅弘級のプレミアム素材でもあれば、もう雑誌の99%をグラビアにしてもいいと思っているんですワ、いやホントに!

 
 

 
 
 
 
-ヒビレポ 2013年9月5日号-

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