四十の手習い 第10回


メンタルを鍛える

 
海江田哲朗
(第12号で「劇団カクスコ 11年後のカーテンコール」執筆)
 
 

フローリングの床はピカピカだ。チリひとつ落ちていない。ハーモニカホルダーとクイックルワイパーの組み合わせは相性バツグンで、ひまにあかせて毎日掃除をしていたら部屋はきれいになった。その一方、ブルースハープは全然上手くならない。そりゃそうだ。テキトーに吹いてるだけだから。当然の帰結である。

久しぶりにゴッチンに電話してみようか。高校時代の同級生で、現在は某有名アパレルメーカーで働いている。楽器が得意で、ベースやドラムができるって言ってたっけ。私にとって、ゴッチンはパンクロックの伝道師だ。高3の春、周囲が大学受験の態勢を整えるなか、「これ、聴いてみ」とカセットテープを渡された。福岡を拠点に活動する横道坊主のアルバムで、ゴリゴリのパンクロックだった。それで、天神のビブレホールに連れて行かれ、私は初めてライブというものを体験する。こんな世界があるんだと、びっくり仰天した。場内は殺気に満ち、ヴォーカルの中村義人は水を吹きかけてきた。総立ちのオーディエンスはさらに熱狂する。これが、パンクか。のちに横道坊主は長崎弁で「悪ガキ」を意味すると知り、納得したものである。その後、私はアンジーに代表されるP-ROCK(ポコチンロック)、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、ダムドといったロンドンパンクに傾倒していくのだが、それはまた別の話だ。
 

 

仕事終わりの時間を見計らってゴッチンに電話し、しばらく無駄話をしたあと、いよいよ本題に入った。

「ブルースハープねえ。あれ、むつかしいやろ?」
「むつかしい。どげんすればいいとやろか」
「おれも吹けんもんね。ベースやドラムができるといってもヘタクソやし。ところで、曲はなんばやると?」
「ほら、アレよ。映画とかで有名な。タンタタターン、タタタターン、タタタターン、タタタタタターン」
「いっちょん、わからん」
「わかるやろ。意地悪すんなッ」
「いや、マジでわからん」
「別れの曲たい」
「そんな気色悪いメロディーやったっけ」
「……」

私の場合、こういうことがよくあるのである。ハミングが伝わらない。みっともないうえに、手間がかかって大変めんどくさい。とりあえず、ゴッチンにはパンクロックの見地から意見を聞きたかった。そこに何らかの打開策があるかもしれない。

「ハーモニカといえば、河原か公園やろ。まずはそこから始めようか」
「えーっ、外で練習すんの?」
「外でやるんよ。気分が変わるやろ」
「恥ずかしかぁ」
「それがいかん。メンタルを鍛えな。河原に行け」

私は気乗りしなかったが、メンタルを鍛えるという点には一理あると考えた。これまでしてきたことといえば、家で黙々と練習し、ブルースハープに細工を加え、ヤフー知恵袋をのぞいたり、ハーモニカホルダーのおかげで掃除が異常にはかどるなど、みみっちい行動ばかり。ともすれば、ベクトルが内へ内へと向きがちになる。

よし、ゴッチンのアドバイスに従い、ここは外に活路を求めよう。翌朝、私はリュックを背負い、近所の河原にチャリで出掛けた。

 
多摩川の土手にやってきた。
 

土手に座り、ぼんやり川の流れを眺める。そして、ブルースハープをリュックから取り出し、手始めにドレミファソラシドと吹いてみた。とてつもなく、さみしい。たったの10秒で、早くも帰りたくなってきた。

ここはランニングコースになっており、往来する人々の視線が容赦なく突き刺さる。立ち止まる人は、いない。誰もがチラッと見るだけで、通り過ぎていった。世界中でひとりぼっちになったような孤独感。メンタルの強化とは、この孤独感に打ち克つということなのか。

おハコの「キラキラ星」を吹いた。音の響きが違う。ブルースハープの和やかな音色が、風にのって川に吸い込まれていく。悪くないね。ちょっとだけ上手に吹けたような気がした。

問題は暑さだった。直射日光がもろに照りつけ、汗がだらだら流れる。熱中症を予防するため、水をガブガブ飲んだ。汗が目に入って楽譜がよく見えないし、ブルースハープを持つ手はヌルヌルだ。これは荒行に近いものがある。真夏にやることではなかったか。

30分後、私は腰を上げた。特に何も起こらなかった。ただ、のんびりブルースハープを吹き、川の流れを眺めた時間だった。メンタルを鍛えられたかどうかは定かではない。
 
 
 
-ヒビレポ 2013年9月7日号-

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