どす黒い私  第10回


 
和田靜香
(第8号で「ハッケヨイ、和田翔龍!」を執筆)

 
 
 

 もう、頑張るのは止めることにしよう。最近、そう思う。いや、お金儲けとかじゃないよ。私はいつもお金儲けには全力で頑張りたく、なのに、なかなかうまくいかない。しかし、それは今後も頑張り抜く所存です。
 私が頑張らないと決めたのは、いい人になることというか、きちんと生きることというか、こうすれば生きやすくなると言われているようなことを出来るように努力することをもう頑張らない、ということ。

 例えば、人の悪口を言わないとか。自分をダメだと責めちゃいけないとか。1日に1個良かったことを見つけてノートに書こうとか。自分の命は自分だけのものじゃなくて、周りの人のためにも生かされていると知ろうとか。必要以上に卑屈にならないとか。愚痴は止めましょうとか。誰にでも悩みはあって完璧な満足なんてないんだから、満足を追い求めるのではなく希望を追い求めましょうとか。人と自分を比べてもダメ。自分は自分ですよとか。

 そういう、こうした方がいい、こうすれば人生が生きやすくなる。あなたはみんなに好かれる。あなたはいい人になる。
 そういうことを頑張るのを止めたいと思うんだ。そういうことに私たちは最近、頑張りすぎてやしないか?と感じる。そういう「人生訓」みたいなものにしばられすぎ、身動きできなくなってやしないか?と思う。特に震災後、人生は短い、何が起こるか分からないと自覚してしまってから、みんなものすごく一生懸命に生きようとしてて、なんだか少し窮屈になってるって感じるんだ。
 

 

 だいたいそういう「人生訓」が言われ続けているということは、イコール、人はそれができない、むずかしい、ってことだろう。そもそも「人生訓」っていつから言われてるんだろう?と考えると、孔子か?と、ふと思いつく。そして孔子っていつの時代だ?とググれば、紀元前552年生まれってある。ガッデム!2500年以上も前だ。2500年以上も前から人は「人生訓」を聞かされ、しかしそれが出来ずにいる。だったら、もう、そんなことはあきらめ、好きなように、あるがままに、自由に生きればいいんじゃないか? そう思う。

 私はよく自分のドス黒い想念をノートにメモっておく。最近の最暗黒メモは4月28日に書いた「正しくキレイな花壇の白い花。ぜんぶブチ壊したくなる」だろうか? さすが私。ドス黒い想念をぐるぐる渦巻かせている。でも、そう書いた後にすぐ「自分はただの駄々っ子だよ。わかってる」と反省の言葉も残している。さらに「文句を言ってると不幸になる。気づけ、オレ!」とか、自分を叱咤したりもしてる。そうやってグルグル考えて苦しみ、悩み、この頃は毎日毎日泣いていた。

 時間もったいねええええええええええええええええええええええ!
 何してんだ、自分? そう思う。いいんだ。いい。花壇をブチ壊したいと思う自分。その自分を受け入れたい。キレイに植えられた花壇から幸せそうな家を想像し、自分の境遇と比べ、ひがみ、妬み、花壇をブチ壊したいと思うこと。いいじゃないか。どこが悪い? そりゃ本当にその花壇に乗り込み、花をブチ抜いて、足で花壇をグッチャグチャにしちゃう、となったら問題だ。でも、ちくしょう! ブチ壊してやりたい! そう思ってしまったそのときの自分。いいじゃないか。そう思ったなら、それでいいじゃないか。

 私はそういう人間なんだ。ろくでもない、ちっこい、クソったれだ。いいんだ。それで。いいんだよ。私はもう頑張らない。ノー・モア人生訓。

 だいたい本屋に行くと、けばけばしいほどの装丁で、人生訓を垂れた本がうんざりするほどにあふれてるが、それを書いている顔ぶれを思い出してみて欲しい。あんな人、こんな人……。

 たとえば中谷彰宏先生。著書の巻末にあった既刊リストをザッと数えてみたところ、2011年までで237冊もある。それから2年たってるから、今はもっと増えているであろうことは容易に想像がつく。
 中谷先生は「贅沢なキスをしよう」なるチャラチャラ系から、「健康になる家、病気になる家」なる医者と建築士が合体して書いたようなもの、「リーダーの星」、「リーダーの条件」というビジネス系、「中学時代にしておく50のこと」、ターニング・ポイントに立つ君に」なんて若者向け、「スピード顧客満足」みたいなビジネスコンサルタント系、「面接の達人」という就活/受験向け(これはベストセラーだったはず)、「ツキを呼ぶ53の方法」なんてスピリチュアル系、「なぜあの人は逆境に強いのか」なる生き様系まで実に幅広い。人生訓、及び自己啓発系、ハウツーものの大家、カリスマと呼ぶにふさわしい方だろう。

 が。常々、中谷先生にはどうしても漂うお水感というか、ホスト感、ペラッとした感を見出す。古臭いイケメンなルックスが災いしてるともいえるが、それだけとも限らないお水感がある。どうやらご実家はスナックを経営されていたとかで、お水感は幼い頃から育まれたもので生来のもののようだが、先生はご自身のお水感にお気づきなのか気づいておられないのか、それはそのまま漂わせまくったうえで、人にああしろ、こうしろと、神の目線でご教訓を垂れまくる。237冊も出ているのである。それはそれなりに売れているのだろう。

 お水的な人が人生訓を言ってはいけない、と言いたいのではない。先生はまったく変わられることなく、ずっとそうしてたくさんの本を書き、たくさんの人生訓を発してきた。それだけ発してこられたら、さぞやそれら言葉が自分の胸に響いているであろうに。しかし、先生ご自身、何ら変わらない。変わらずホストちっくな空気でブイブイ言わせてる風。人の内面て、ちょっとは外に出るもんでしょう?

 結局、人はそうそう変わらないのではないですか? 人は色々言われたり、言ったりしたところで、そうそう変われるものではなく、ありのまま生きていくもの。そうなんじゃないですか? 中谷先生はもしや237冊かけて、それを私たちに暗に教えてくださろうとしてらっしゃるのではないでしょうか? おおっ!
 
 そんなわけで。私。中谷先生が身体を張って教えてくださっているように、もう人生訓に従って生きるの、止めます。いや、元々できないんだから、それに向かって努力すること、諦めます。
 
 ちなみに今日、朝一でメモった言葉は「てめぇ、ふざけんなっ。エラソーにっ。自分らが特別だと思ってんじゃねえよっ!」という悪態です。思う存分生きます。私。

 
 
 
 

-ヒビレポ 2013年9月13日号-

Share on Facebook