薔薇の木にどんな花咲く?  第12回


竜 超
(第12号で「『薔薇族』継いじゃいました。」執筆)
 
コミック◎猪口コルネ
 
 
 

このコラムのタイトルは「薔薇の木に……」なんですが、今回はちょっと趣向を変えて〈百合〉について語りたいと思います。
ここで云うところの百合とは花の名前ではなくて〈百合族〉、つまりレズビアン(=女性同性愛者)のことを意味しています。

いまではレズビアンに一本化された感じですが、かつては〈レスビアン〉という呼称もよく使われていました。
レスビアンの語源はエーゲ海に浮かぶ〈レスボス〉という島で、そこで紀元前に暮していた〈サッフォー〉という女流詩人が若い女性の弟子たちと同性愛にふけっていた故事に由来する……という説が一般的なものとなっています。
『薔薇族』の初代編集長だった伊藤文学氏が最初に手がけた同性愛系の単行本は、じつは「女×女モノ」だったんですが、そのタイトルも『レスビアンテクニック 女と女の性生活』(秋山正美・著)というものでした。
 

 

文学氏は当初「男×男モノ」を出そうとしていたのですが、その当時(1968年)の取次会社に「そんな珍妙な本なんて、この世の中のいったい誰が買うのだ」と突っぱねられてしまったそうです。
そこで文学氏は企画を「女×女モノ」に切り替えて、「おなじ同性愛でもレスビアンならば好事家の男連中が面白がって読むだろうから」というふうに取次側を説得し、どうにか出版にこぎつけたといいます。
すると、これがなかなかの売れ行きをみせたので、その勢いにのって同年、おなじ作者による続編『ホモテクニック 男と男の性生活』も出せたというのです。
この『ホモテクニック』は、3年後に創刊される『薔薇族』のプロトタイプ的な単行本でした。
その出版を後押ししてくれたわけですから、『薔薇族』編集長である僕は『レスビアンテクニック』に足を向けては寝られないというわけですネ。

話が前後しますが、じつは百合族という呼称も「(C)伊藤文学」なんです。
『薔薇族』のマーケットが広がっていく過程で、文学氏と女性同性愛者と間にパイプがつながって、その一環で彼女たちに百合族という愛称をプレゼントしたのだといいます。
でも、どうして〈薔薇〉の対語が〈百合〉だったんでしょうか?
僕のイメージでいくと、百合よりもお耽美チックな〈蘭〉とかのほうがシックリくる感じなんですがねェ……。
百合の花をチョイスした理由を以前、文学氏に訊ねてみたところ、「……う〜〜ん、なんとなく」という極めてシンプルな回答を頂戴してしまいました。
一度でも会ったことのある方ならばお判りかと思いますが、文学氏はロジックではなく徹底した「インスピレーションの人」なので、実際その通りだったんでしょう。

でも昭和期には、文学氏のそうした霊感・ヤマ感・第六感は冴えまくっていて、それに導かれて『薔薇族』および発行元である〈第二書房〉は様々な成功を収めていきました。
その勢いにのって、百合族という新語も社会に広まったのです。
一定の年代以上の方ならば〈にっかつロマンポルノ〉の『セーラー服百合族』(1983年)が話題になったのを覚えているのではないでしょうか。
まァ、あれは「男の身勝手なセックスファンタジーとしてレズビアンを描いた」映画であるため、百合族という呼称ともども嫌悪感を抱いている当事者もいるようですが……。
「男のファンタジー」といえば、女性同性愛者に百合のイメージを重ね合わせた文学氏も、それに動かされていたような気がします。
異性愛者である文学氏にとっての〈女性〉とは、きっと百合の花のように「清廉な存在」なのでしょう。
対して、どこかアヤシゲな雰囲気をたたえた蘭のイメージを重ねた僕は、やっぱり高純度な同性愛者なんでしょうねェ〜。

けれども、コトバというのは時代の流れの中で脱皮と転生を繰り返していくもので、いまでは屈託なく「百合で〜す」と名のる、若いレズビアンの方々が増えつつあります。
そうしたヤング百合族たちは、自分たちの名付け親が『薔薇族』の初代編集長だという事実も、昭和期のスケベ男をニヤニヤさせた『セーラー服百合族』の存在も知りません。
このあたりは、〈宮崎勤事件〉の逆風がおさまった後でギョーカイにデビューした若きオタクたちの気質と似通っている気がしますが……まァ、それはそれでいいんです。
いつまでも過去の因縁にこだわっていたところでイイことなんてありませんから。
百合というのは、オタク方面ではいまやガールズ・ラブ(=美少年×美少年のボーイズ・ラブの女バージョン)をあらわす〈国際的符丁〉となりつつあり、なんとアメリカには「Yuricon(ユリコン)」なる振興団体も存在するんだそうです。
このことを僕は以前、文学氏に教えたことがあるんですが、その反応は「……ふ〜〜ん」という極めてウスいものでした。
後世まで残る大発明とかをする人というのは、概して自分のなしたことの大きさに無頓着なモンなんですネ。

レズビアンというコトバは5文字もあって長すぎるせいか、世間では〈レズ〉と縮めて呼ぶ方が多いようです。
しかし、「それは蔑称だ!」と反発する当事者は少なくなく、そういう方々は自らを〈ビアン〉と呼んだりします。
だから僕も、女性同性愛者のヒトたちと最初に話したときには一応の気を遣って、「……え〜と、どういうふうに呼んだらいいのかな? やっぱり、ビアン?」と訊いてみました。
すると、相手方はゲラゲラと笑いだし、「ビアンなんて気ッ色わりィ〜」「あたしら、レズだもんネ」という答えが返ってきて脱力してしまったのです。
これは男の側における「ホモ→蔑称、ゲイ→尊称」という一部の見解といっしょの理屈で、「おなじコトバでも人によって受け取り方が違う」ということです。
レズやホモと呼ばれるのを好まない人に対し、そのコトバをぶつけることはすべきでないとは僕も思いますが、だからといって「そのコトバを社会から葬り去ってしまえ」というのは絶対に違います。
そんなヒステリックなことを云ってたら、神経過敏な市民団体とかと同類に見られて社会の笑いモンになっちゃいますってば。

余談ですが、僕に最初に〈レズ〉というコトバを教えてくれたのは、『少年チャンピオン』で連載されていた永井豪センセイの漫画『キューティーハニー』でした。
変身システムの故障によって全裸になったハニーの姿にときめいてしまった敵幹部・シスタージルが、「……ハッ! あたしってレズっ気あったのかしら……!?」と動揺するシーンがあったのです。
さすがは豪ちゃんでガスね〜!
僕を含んだ昭和期の悪ガキどもの多くは、永井豪作品によって様々な性キョーイクをなされていったのでありました。
 
 

 
 
 
 

-ヒビレポ 2013年9月12日号-

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