バイト・サバイバー 第1回

軍事遺跡サルベージ作業

 
檀原照和(13号で「雑誌販売員として路上に混じる」執筆)
 
 

 
 

 思春期を経て大人の階段をのぼるとき、経験すべきことがいくつかある。その多くは甘酸っぱい思い出とセットであるが、どっちかというとしんどい記憶とセットになっている場合もある。自分の場合、後者のそれはアルバイト体験だ。
 いままで随分いろんなバイトをこなしてきた。いったい何職種経験したのか、自分でもよくわからないくらいだ。酒の席やバカ話の場で話すようなことなのかもしれないが、ネタになりそうな経験はたくさんしてきた。
「ちょっと文字にしておくのも悪くないかな」と思ったので、とりあえず思いつくまま書いて見ることにする。

第1回 軍事遺跡サルベージ作業

 いきなり大物を登場させてしまった。
 この仕事を経験したのは2005年の2月。自分が体験した中で、おそらく最も破天荒な仕事だ。ただしあまりにも馴染みがないせいか、人に話しても「へぇ」と形ばかりの反応が返ってくるだけで、話甲斐がいまいちなネタでもある。1回目に持ってこないと出すタイミングを逸してしまうので、懲りずに初回で出してしまおう。
 およそ人間が活動するあらゆる場所に存在する外仕事。それが土木工事や建築工事である。華やかな大都会の摩天楼建設はいうに及ばず、無人の荒野でのテント張りや戦場での兵舎設営まで、ありとあらゆる場所で土木建設系の作業が行われている。そもそも論として、この仕事がないと内勤の仕事は存在し得ない。都市の基礎を築く仕事だ。
 さすがにアルバイトで戦場や砂漠の現場に行ったことはない。しかし東京湾のど真ん中、四方を海に囲まれた場所での作業なら経験がある。今回はその時の話をしよう。
 この仕事との出会いは、ローカル求人媒体の「ペルソナ」。B4二つ折りの手作り感溢れるバイト情報紙で、新宿区の早稲田エリア近辺でしか見かけない。定期的に見ていると、レアなバイト情報が掲載されているおもしろい媒体だった。いまはネットにも進出しているが、途端につまらなくなったので、もう長いこと見ていない。
 その「ペルソナ」で目に飛び込んできたのが、「日給1万2千円。潜水士の作業補助」という案件だった。
 

 
 潜水士の補助? 
 なんだかよく分からないが、面白そうだ。日当も悪くない。
 さっそく小田急沿線の某所へ面接にいったところ。およそ1ヶ月の間、横須賀沖で軍事遺跡の引き揚げ工事があり、人手が足りないのだという。一通り説明を聞いたのだが、縁遠い世界なのでどうもピンと来ない。しかし「軍事遺跡」という途方もない言葉と、毎朝作業現場まで船で移動する、という非日常的な環境だけは理解できた。
 サルベージするのは「第三海堡」という明治〜大正期に30年かけて建造された海上要塞。たとえて言うなら、巨大なお台場が人知れず海の真ん中に浮いているようなものだ。しかし完成からわずか2年後に発生した関東大震災によって、ほとんどすべての部分が海中に没してしまったという幻の軍事遺跡なのだ。東京湾のアトランティスと言ってもいいだろう。沈下した第三海堡は暗礁と化し、東京湾を航行するタンカーなどの座礁を招いてたため、撤去されることになったのだった。
 
第三海堡イメージ図(東京湾口航路整備事務所公式サイト より)
 
 
 海堡は面積34,000m2におよぶ巨大な構造体なので、ひじょうに多くの工区に分けられており、それぞれの工区毎に異なる業者が作業を受け持っていた。
 僕のいた会社の受け持ちは、体育館のような鉄筋コンクリート製構造体(おそらく大型兵舎かなにかだろう)の引き上げ。ダイバーさんがアンカーボルトを打ち込んで釣り上げフックを掛けられる状態にし、最終的に巨大クレーンで撤去できるように段取りする、というのが大まかな流れだ。
 

●仕事に入ったが

 
 毎朝6時半に平成港という工事現場作業員専用の港に集合する。最寄り駅は京急線の県立大学駅(旧・京急安浦駅)。港はショッピングモールの隣接地なのだが、単なる駐車所にしか見えず、一般の人はこんな場所が港になっているなんて夢にも思わないだろう。もうこの時点で、一般社会の感覚とはなにかちがうな、という感じ。
 港と言うだけあって船が接岸するのだが、桟橋もタラップもない。岸壁にタイヤがぶら下がっているだけだ。岸辺に直づけした「通船」とよばれる移動用の小型船に直接乗り移って、さあ出発。
 30分ばかり通船に乗っていると、巨大な鋼鉄のプラットフォームに到着する。これは「台船」とよばれる作業用の浮き船で、エンジンの類はついておらず、クレーンや発電機などが乗っている。大きさはだいたい25メートルプールと同じくらい。夕方まで丸一日、この上で仕事するのだ。周囲は360度海。深度も深い。鉄筋コンクリート技術が導入されたかされないかといった時代に、30年掛けてこんなところに島一つ造ったなんて、ほとんど狂気の沙汰である。その狂気の結晶をこれから引き揚げるのだ。
 毎朝8時からラジオ体操と朝礼をして、一日の作業がはじまる。僕の職種は正式には「送気員」とか「テンダー」とよばれるもので、水上に設置したコンプレッサーを管理し、フーカーホースを通じてダイバーに空気を送ったり、安全管理をする役割だ。ただし、実際には雑用が多い。
 (なぜスキューバではなくホース潜水かと言えば、タンクを背負って作業すると、潜水時間が短すぎて仕事にならないからだという)
 はじめてなので当たり前と言えば当たり前だが、分からないことだらけだ。
 何が分からないって、まず道具の名前が分からない。ジャックハンマー、ルートハンマー、ブレイカー、チッパーなどなど、水中作業では破砕から電気溶接に至るさまざまな工具を使うのだが、その種類が多い。電動工具も圧縮空気を使ったエア工具もある。工具の名前が覚えきれないのだ。
 次に困ったのが言葉。作業中のダイバーとは水中電話で会話する。水中電話というのは電話線でつながったトランシーバーのようなものだが、とにかく音割れが酷い。慣れるまではなにを言われているのか聞き取れず、困惑した。しかも「あれを取ってきてくれ」「これをやっておいてくれ」と言われても、肝心の道具の名前がおぼつかないときている。これは本当に困った。
 数ヶ月後の話になるが、横浜の石油コンビナートの護岸メンテナンス工事に参加した際、東北出身のダイバーさんと組んだときは、叫び出したくなった。「あまちゃん」の世界ではないが、じつは潜水工事の世界は東北出身者が多い。それは水中工事を教える高校が東北にあり、かつ東北は工事現場の絶対数が少ないため、首都圏に移住してくるダイバーさんが多い、という事情があるからなのだが、年季の入ったダイバーさんは訛がきつくて、陸上にいても言葉が聞き取れないのだ。陸上にいても聞き取れないと言うことは、水中電話越しだと絶望的にコミュニケーションが取れないということで、あれはつらかった。もう音節の長さを頼りに勘で判断するしかないという世界。これだったらモールス信号の方がましだよ。
 にも関わらず、馴れたテンダーだとちゃんと聞き取りが出来ているではないか。あのときほど自分の無力さを感じたことはなかった。
 先輩のテンダーが言うのには、「ダイバーさんごとの仕事の内容とその日の作業工程、作業手順、好きな道具を覚えていれば、聞き取れなくても見当つくよ」ということだが、それ、めちゃめちゃ大変じゃないですか。
 さらに「ダイバーさんが浮上するときは、ホースを引いて合図するから、そうしたらダイバーさんが船に戻りやすいようにホースをたぐって巻き取るように」と指示されたのだが、いかんせん三角波が多い東京湾のど真ん中である。始終波にあおられホースが引かれているように感じられてしまい、いつ合図されているのか分からなくて困った。
 しかしこちらの困惑をよそに、現場は着々と進行していく。休憩やトイレのため、ダイバーさんは1時間から1時間半に1回くらい浮上してくる。その間、テンダーの仕事は道具の上げ下ろし、ホースの出しと巻き取りがメインだ。それからダイバーさんが装備をつける手伝いもしなければならない。ほかにエア工具から海中に漏れた油を中和するため中和剤を撒いたり、工具に油を差したり、破砕工具の剣先を付け替えたり、水中溶接の溶接棒が濡れないようにビニールテープを巻いたり、といった雑用もあるが、基本的に作業自体は楽だ。しかし周囲にいるのはほんとうに仕事が出来る人ばかりで、かつ何時用事を言いつけられるか分からないため、ずっと緊張状態を強いられた。
 
 
水面から顔を出す第三海堡と作業台船
 
 

●少し異質な人たち

 
 手が空いたダイバーさんは、船上にいても手持ちぶさたではいない。端材を集めて溶接し即席で釣り上げ用のケージをつくってしまうなど、活躍の度合いが半端ない。水中での作業はダイバーさんがすべて引き受けなくてはならないため、この人達は何でも出来てしまうのだ。水中の仕事だけでなく、バックホー(パワーショベルの一種)などの重機を運転できる人も多い。したがってどの現場に行っても「潜りさん(ダイバーのことをこう呼ぶ人も少なくない)」は一目置かれている。ただ単に付いて回っているだけなのに、自分までちょっとだけ誇らしい気分になったものだ。
 こういう集団だから、休憩時間に聞く話も面白かった。いわく「現場で余った発破(ダイナマイト)をちょっぴりつかって人気のない場所で爆発させ、浮いた魚を集めて晩のおかずにした」とか。「アラブ沖で一週間潜水艦に閉じこもる作業現場がある。とうぜん、ギャラはべらぼうに高い。いまはダンピング競争のせいでギャラの相場が下がってしまったが、バブルの頃まではアラブ出張から帰ると、みんなキンキラのアクセサリーを『これでもか』とつけて帰ってきたもんだ」とか。
 トラブルの内容も水中ならでは。「ふと大きな影がちかづいて来たのでサメかと思って身構えたら、イルカだった」とか「川底で作業していたら、亀に噛まれた」とか、ユニークなものが多かった。
 一方テンダーを務めるのは、ダイバー志望の新人か手が足りないので駆り出されたダイバーだった。僕のように「ダイバーになる気はないのにアルバイトで」、というのはかなり珍しいケースだった。
 以前ほどではないとはいえ、新人の場合、仕事の覚えが悪いと殴られる、というのはよくある話らしい。ダイバーさんはちょっと漁師みたいな部分があるので、そういうものだろうと思う。ただ僕はそのとき30越えていて、「いまから始めるのはちょっと」という感じだったし、いつまでもつづけてのめり込むつもりはなかった。周りもそれが分かっていたので、殴ってまで仕事を教え込まれることはなかった。
 閑話休題。
 ダイバーの仕事は架橋やダム工事、護岸工事など公共工事がメインであるため、年度末である冬場にピークを迎える。水場の仕事なので、当然冬は寒い。また濡れて当然の環境にいるため、どんなに雨が降っても絶対中止にならない。テンダーは陸上でじっと待っている時間が長い。季節が冬で、しかも氷雨が降っていたりすると、もう最悪である。そういう意味では辛い仕事である。
 仕事が中止になったのは、海上が荒れて船が出航できないときだけだった。そんなときは詰め所(休憩場所。大抵の場合プレハブ小屋)で波浪が治まるまで待機する(1時まで待っても出航できなかったら、作業は中止でも1日分の日当が出る)。ダイバーさんは大抵、ウエットスーツやドライスーツの補修をしながら待つ。スーツは自腹を切って買っているので、みんなこまめにメンテナンスしながら大切につかっているのだ。
 工事現場で工具のメンテナンスをしている人というのは、見たことがない。また大抵の場合、この業界ではパチンコの話と競馬の話がテッパンなのだが、海事工事の現場ではその手の話をする人がまったくいなかった。工事現場で働いた経験がないとピンと来ないかもしれないが、このことだけ取ってみても、この仕事に就く人たちが一般の建設現場作業員と別の人種だということが分かる。
 

●サルベージ

 
 海堡に根付いた構造体を切り離さなければ釣り上げることは出来ない。ルートハンマーで等間隔に穴を開け、岩を割るような感覚で構造体と地盤の縁を切っていく。
 水中だと陸上作業の数倍の手間が掛かる。たとえば海底に堆積した泥が巻き上がると視界が悪くなり、しばらく作業がとまってしまう。分厚いグローブ越しなので細かい作業も難しい。破砕工具は陸上のものをそのまま水中で使用しているのだが、かなり重く、長時間使用していると腕がぱんぱんになるし、機械の振動で疲労も溜まる。ましてやこの現場は海流の流れが速い。そして水深は40メートル近い。馴れているダイバーさんにとっても、ちょっとやりづらいようだった。
 しかしずっと船上にいた僕には作業の進捗状況が見えない。一応傍らで説明は聞いていたのだが、目で見て確認できないため、残りの作業量が分からず仕舞いの状況だった。
 そうこうするうちに、受け持ちの現場は終わってしまった。結局自分たちが段取りした構造体の釣り上げ自体には立ち会えなかったのだが、よその工区の釣り上げを見る機会には恵まれた。
 起重機台船の吊り上げ作業は、スケールが大きすぎて現実味がなかった。体育館サイズの巨大な鉄筋コンクリートの塊をビルのように大きなクレーンが海中から引き揚げるのである。ただ単にものを持ち上げるだけなのに、映画以上のスペクタクルだった。あの感動は、ちょっと言い表せない。
 
第三海堡の引き上げを報じる読売新聞(2005年2月28日付朝刊)
 
 
 引き揚げた第三海堡の一部は横須賀の「うみかぜ公園」と「夏島都市緑地内緑地公園」で野外展示中である。一般公開されている ので、機会があれば観に行くのもいいかもしれない。
 結局、この仕事はその後も一年くらいつづけることになった。東京ゲートブリッジ、豊洲の築地市場移転予定地、奥多摩湖の小河内ダム、東京湾中央防波堤(これも東京湾のど真ん中)などネタになりそうな現場にはいろいろ連れて行ってもらった。その話も機会があれば、したいと思う。
 
 
 
-ヒビレポ 2013年10月7日号-

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