バイト・サバイバー 第3回

工事現場はほんとうにキツイのか

 
檀原照和(13号で「雑誌販売員として路上に混じる」執筆)
 
 

 
 

●死亡事故係数と大きな現場の悲喜劇

 東日本大震災はアルバイト中に体験した。あの当時の仕事は工事現場の作業員である。「コストコ」座間店の基礎工事の真っ最中だった。
 お昼時だったので、作業員も監督たちも全員詰め所(休憩所)にいた。ちょうど昼ご飯を食べ終わって、馬鹿話に花が咲いているときだった。突然建物がゆさぶられた。ああ、地震か。皆じっと様子を伺っていたのだが、通常の揺れよりも長い。僕が「ちょっと外に出た方がいいんじゃない?」と言ったところ、その場にいた全員が同じ考えだったらしく、いっせいに外に出た。
 別室にいた監督も出てきて、バックホー(パワーショベルの一種)に向かって「はやく降りろ」と怒鳴っている。昼休み中も作業していたらしい。後日、別の現場で作業中のバックホーが横倒しになり、作業員が重傷を負ったという話を聞いた。
 一般に工事現場で大きなけがを負う場面は皆無だが、それでも事故は起きるときには起きる。1996年の後半から1年くらいの間、やはり工事現場で働いていた。その当時の現場は、みなとみらいのクイーンズスクエアである。クイーンズスクエアは A 棟、B 棟、C 棟、D 棟の四つの棟に分かれている。現場は JV(Joint Venture 複数の会社が共同して開発する形態)だったが、A 棟だけ施工主が別で、B〜D と区別されていた。僕が働いていたのは主に D で、現在ここはパンパシフィック横浜ベイホテル東急となっている(余談だが、もともとクイーンズスクエアは五つのタワーからなる計画だった。現存する四つの棟とは別に円柱型のタワーが建設される予定だったのだが、バブル崩壊のあおりを受け、五つ目のタワーは見送られた)。
 世間の常識から逆行するようだが、工事現場業界はいまだに週休一日制が常識だ。年末年始を除いて祝祭日はなく、日曜日だけが休日である(記憶が薄れてきて心許ないが、お盆も休みだったかもしれない。しかし俗に言うゴールデンウイークは一切関係なかったし、他の祭日もすべて出勤日だった)。にもかかわらず、クイーンズスクエア(工事中は「トライ工区」と呼ばれていた)は、週休二日制だった。いろいろな現場を見てきたが、週休二日の現場はここだけだった。就業当初は「ずいぶん先進的だな」と思ったのだが、そうではなかった。週休二日制がとられたのは、死亡事故が二件起きたのが理由だったのだ。そのうち一件は若い現場監督の被災事故で、ダメ穴(工事の能率をあげるため、床に開けた作業用の穴。完成時には埋められる)から墜落したのだという。なぜそうした事故が起きたのか。事故の究明委員会の出した結論は、「過労のため注意力が低下していたからではないか」というもので、その結果、業界では例外的な週休二日制に相成ったのだという。
 

 
 規模が大きな現場で死亡事故が起きるのは計算のうちで、「なん億円規模の現場あたりの見込み死亡者数」を表す係数まであるらしい。表沙汰にならないだけで死亡事故は結構あるらしく、おなじみなとみらいに建つランドマークタワーの工事でも一人死んでいるそうだ。
「桜の木の下には死体が埋まっている」という坂口安吾の有名な言葉があるが、この語句をもじって言えば、「高層ビルの足下には死体が埋まっている」のである。都市は無数の名もなき死体でなりたっているのだ。さしずめ高層ビルは人柱の墓標であろう。来る東京オリンピック着工事業で、いったいどれだけの名もなき墓標が……(以下、自粛)。
 ずいぶん辛気くさい話をしてしまったが、トライ工区の仕事はあり得ないほど楽ちんだった。しばしば現場仕事は「きつい (Kitsui) 」「汚い (Kitanai) 」「危険 (Kiken) 」の3K 仕事だといわれるが、この現場に関しては当てはまらなかった。もう、ありえないほど楽だったのである。
 工事現場はかならず朝8時からはじまる(夜勤作業は例外)。そのあと10時から30分の休憩、12時から1時間の昼休憩、15時から30分の休憩で定時は17時だ。これは日本全国どこへ行っても共通のしきたりだ。
 トライ工区もやはり8時から始まるのだが、現場がひろく作業員の数もべらぼうに多いため、とにかく効率が悪かった。始業と同時に朝礼がはじまり、つづいて会社毎に行われるミーティングが終わるころには、すでに8時20分頃になっている。それから仮設エレベーターでその日の作業階へ移動するのだが、とにかく人数が多いため順番待ちの列が長いのだ。ひところは現場に着くと8時50分前後になっていた。そうしてようやく作業が始まるのだが、休憩のために地上階へ降りるエレベーターもすごい順番待ちになっている。この渋滞を避けるため、うちの会社の連中は9時半頃から休憩に入っていた。正味40分程度しか働いていない。
 それからしっかり10時半まで休憩して11時頃から働き、11時半には昼休憩に入って……という感じで実労時間が非常に短かったのだ。
 仕事の内容もあり得ないほど楽ちんだった。最初の一ヶ月間はキツイポジションに廻されたのだが、あるときから設備屋の仕事に配置換えになり、とたんに楽になった。「設備屋の仕事」というのは、この場合、ダクトの穴開けである。天井裏の見えない部分の壁に、エアコンの配管用ダクトを通す穴を開けるのだ。僕と親方の二人組で作業するのだが、この作業は「開け忘れた穴をフォローの意味で開けていく」というものだった。壁といっても石膏ボードである。たかが知れている。重たいドリルを持ち歩きはするのだが、作業自体はむずかしくも何ともない。施工箇所はその都度連絡が入るのだが、それまではマンガ雑誌を読みながら、ひたすら待機である。一日に開ける穴の数は少なく、極端なときは一日に一箇所開けただけで作業終了、という日もあった。
 その後工事が終わりに近づくとクリーニング班に廻されたのだが、ここもまた楽ちんだった。とにかく移動で一日の半分がつぶれてしまい、ろくろく作業しないですんだのだ。たまにするっと移動できてしまうと、「早く着きすぎたね」と言って、作業チーム全員が昼寝に入る、という有様だった。職業倫理もへったくれもない。もう「怠け者製造所」といってもいいくらいの現場であった。
 

●工事現場は話題にならない世界

 
 出版の世界は勿論、ネット上を見渡しても、現場作業員の生の声が話題になったためしはない。大企業やチェーン店、個人商店、はては工場労働者や農家までありとあらゆる職業人の発言がブログや twitter などで取り上げられ話題になるが、工事現場の一作業員の声が拡散され、話題になった例は知らない。つまり一般社会において工事現場のリアルな姿というのは謎なのだ。鎌田慧の名作「自動車絶望工場」や横田増生による近年の著作「潜入ルポ アマゾン・ドット・コム」のように、工場や倉庫を扱った作品は結構あるのだが、工事現場は見落とされがちな世界らしい。だから誤解も多いようだ。
 先日四国在住のあるフリー編集者と話したときのこと。曰く「僕は力がないので、工事現場は無理です」とのことだったが、現場には女性も一定数いるし、65歳以上の老人を見かけることもちょくちょくある。力作業だけがすべてではないし、力が要る作業はそういう職種の人が請け負っている。力がないとダメ、というのは偏見にすぎない。
 それよりも現場には「半休」という概念がない、とか祝日という観念がない、ということを伝える方が重要だろう。工場などと異なり、長時間残業に悩まされることこそないが、半休や公休がない、というのは地味にキツイ。役所に行かなければいけない、などというときは、人に頼むか欠勤するかしなければいけないのだ。どうしてこういうことが問題にならないのだろう。
 半休がない理由として考えられるのは、「13時まで働けば一日分の日当がもらえる」という建設業界のしきたりと関係があるのでは、ということ。これはなにかの都合で13時で仕事を切り上げなければならなかったときに給料を保証する制度なのだが、半休を認めてしまうと、この「13時でも1人工(にんく)分」の決まりが存続できなくなってしまう。だから半休という概念は歓迎されていないのではないか、という気がする。ただ職種にもよるのだろうが、13時で上がれることは滅多にないので半休を導入しないのはナンセンスだと思う。
 とまぁ、不満を垂れてみたが、舞台をやっていた30過ぎまで現場仕事は定番だった。生活していけるだけの金額が稼げて、稽古が始まるまでに終わる仕事となると、ほとんど選択の余地がなかったからだ(おまけに、公演直前と公演中はまとめて休みを取らないといけないしね)。
 とくにそれまでフリーで活動していたダンスから転向して「ク・ナウカ」という劇団に入ったときは、ほんとうに悲しかった。
 ク・ナウカはザ・ガジラの役者がオーディションに落ちたほどで、そこそこの難易度を誇っていた。主催者で演出家の宮城聰は「演劇界でもっとも頭の良い人物」といわれ、現在は静岡県舞台芸術センター(SPAC)の芸術総監督に収まっている。
 そんな団体だったので、その一員になれたのは嬉しかった。しかし、それまでしていたスーツを着る仕事を辞めなければいけないのはつらかった。ク・ナウカに入ったのは春先だったが、食い扶持を稼ぐため、夏には立派な現場作業員になっていた。毎朝5時半に起きて疲れ切った体を引きずるようにして会社に行き、移動の車の中でおにぎりを食べ、現場で弁当を食べ、終業後移動の電車の中でおにぎりを食べ、ぎりぎりの時間で稽古場に滑り込み……という日々を延々と繰り返すうちに気持ちの余裕が失われていく。なにやってるんだろう、と思う。文字通り持久戦だった。あの頃は食卓について食事をする機会がまったく持てなかった。現場作業の記憶は、そんな時代の記憶とセットになっている。
 東大安田講堂の取り壊し現場とか、羽田空港拡張工事だとか、世間で話題になる現場にもいくつか参加したが、印象に残っているのは仕事云々よりも、環境が過酷だった現場だ。
 アクアラインのトンネル工事なんて、ほんとに最悪な環境だった。川崎側のトンネルからその日の作業場所まで歩いて行かなければならない。片道30分。往復1時間。トロッコが敷かれていたのだが、トロッコは荷物の運搬専用なので乗ることが出来なかった。だからひたすら歩くしかない。しかもその移動時間は拘束時間としてカウントされない。集合時間は朝6時なのに勤務時間は8時からのカウントで、手当の類は一切なし、という理不尽さだった。一度作業場所まで行くと、就業までトンネルから出ることが出来ず、一日穴の中だった。トンネルを進むほど気温が上がり、酸素が薄くなる。作業現場は気温が40度以上あり、ずっと扇風機が回っていたがちっとも涼しくなかった。で、作業はというと、なんだかよく分からないプラスチックのパーツをコンクリートで固めたトンネルの内壁のへこみに延々と入れていくだけ、という単純作業だった。休憩は本道の脇にある、恐らく緊急避難用の為と思われる隠し部屋のような小さなトンネルでとった。そこだけは冷房が効いていて涼しかったのだが、あの小さなトンネルは現在どうなっているのだろう。
 地下ピットの清掃なんて最悪だった。一般人が出入りする機会はまずないのだが、大抵のコンクリート建築の地下には巨大な空洞が設けられている。それが地下ピット(通称ピット)だ。1階床下、場合によっては地下1〜2階の床に取り付けられた鉄扉の鍵を開けてもぐり込むと、かがめばなんとか進める程度の低い空間が拡がっている。ピットは配管や湿気対策、湧水対策用の空間なのだが、まっ暗で例外なく湿度が高く、洞窟とそっくりである。ここで取り残した桟木(さんぎ)をこじったり、なぜか堆積している泥をすくって捨てたりするのは罰ゲーム以外の何物でもなかった。
 しかしそうした世界よりももっと悲しいのは出版業界だ。請け負った仕事の賃金を計算してみると、日当が工事現場の半額以下、という仕事は珍しくない。「現場仕事とどっちがいいのだろう?」と本気で悩むことがある。
 ライター仕事で営業するのが楽になったのは、雑誌「男の隠れ家」に寄稿してからだが、それまでは単行本を出しても実績として考えてもらえなかった。代々木公園の近くに事務所を構える某編プロに売り込みに行ったときなどは「本を2冊出した程度で、まともな文章を書けるわけがないだろう」などと言われた。賞をとるかベストセラーになるかしない限り、単行本はキャリアとして認めてもらえないらしい。それより名前の通った雑誌で仕事してみろ、ということなんだろう。
 現場仕事が話題にさえならない職種だということは知っているが、すくなくともここまで酷い扱いを受けることはない。最近は現場も経験者でないと働けないらしいが、「2現場勤め上げた程度では、働いた経験があるとは言えない」なんて言われないしね。
 そういうわけで現場仕事は必ずしも悪い世界ではないと思う。なにか仕事を任されるとやりがい感じるしね。とはいえ、「ずっとやれ」と言われるのもなぁ。「地図に残る仕事」もいいが、「批評家に筆を執らせる仕事」をしたくて今みたいなことしてるわけだしね。

 
 
 
-ヒビレポ 2013年10月21日号-

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