バイト・サバイバー 第7回

女もすなるブルセラというものを、男もしてみんとて

 
檀原照和(13号で「雑誌販売員として路上に混じる」執筆)
 
 
 
 パンツを売ってお金にしたことがある。28歳のときだったと思う。
自分の体に市場価値が見いだされたようで、ほのかに嬉しかった。きっとパンツを売っていた女の子の気持ちもこんな風だったんじゃないかな?
 1990年代後半、まだバブルの余韻がさめやらぬあの頃、「ブルセラ」と「援助交際」は依然としてホットな話題だった。いまの二十歳くらいの人たちは「ブルセラ」という言葉を知っているだろうか。ブルセラとは、女子高生の制服や体操服(当時はブルマ)、ソックス(当時はルーズソックス)などで、実際に女の子が身につけていた中古品を取り扱う店舗がブルセラショップである。
 コギャルが登場してすでに5年ほど経過してはいたものの、女子高生パワーは相変わらず圧倒的で、日本の先端文化と風俗は女子高生が創っているような時代だった。
 そんなこんなで若い女の子の市場価値は最大化されており、そこに群がる大人たちが次から次へとおかしな商売を考えていた。そのひとつがブルセラショップだった。この業種は、つまり若い女の子の下着が好きな男性の嗜好を充たすためのものである。
 まともに考えればパンツを買って喜ぶのは男だけだ。一方男の体に欲情する人たちも一定数存在している。だから男性向けに下着を売る男性たちがいてもおかしくない。今回の話はそういう話題だ。
 

 

 事の発端は新宿にあるサブカルの殿堂「ロフトプラスワン」だった。「レポ」を読むような人は、たぶん「ロフトプラスワン」のことは知っていると思うが、念のために軽く説明すると、「トーク居酒屋」である。連日連夜、音楽、映画、文学、漫画、アニメ、スポーツ、お笑い、エロ、アングラ文化、科学技術、政治、経済などなど、ありとあらゆるテーマでトークイベントが繰り広げられている(とはいえ、知的でありつつも、かなり痴的な側面も持ち合わせている)。
 ネット業界の有名人や出版・言論系の著名人のトークイベントが、都内各所で毎日のように行われている昨今だが、「ロフトプラスワン」がオープンしたのは1995年。トークイベントがこれほどの盛り上がりを見せるなんて、当時は夢にも思わなかった。席亭・平野悠には先見の明があるのだろう。
 平野悠といえば、あまりにも有名なライブハウス「ロフト」グループの代表として知られている。と同時に、若かりし頃は学生運動や反戦運動にのめり込み、ウッドストックに共鳴し、バックパッカーだった時代もあるという、かなり異色の経歴の持ち主だ(料理評論家・平野レミの従兄弟でもある)。
 そんな平野氏が「プラスワンの常連客でつくる勝手連的なフリーペーパーを企画しているらしい」という話を聞いた。勝手連というのは、あくまでも自然発生的かつ自発的なものであるからして、お店側の人間が仕掛けたら勝手連でも何でもないのだが、ともかく平野氏は客にもなんらかのアクションを起こさせたいと考えていたのだった。で、単純に面白そうだな、と思い店に足を運んでみることにした。
 現在は歌舞伎町のど真ん中で営業しているプラスワンだが、当時は繁華街からはずれた富久町にあった。店に行ったのはそのときが初めて。当時は舞台関係の活動で忙しかったはずで、「よくそんな時間があったな、自分」と思うのだが、ともかく時間を作って行ったのだった。……あっ、そういえばこの話の情報源も舞台関係の人だった。「関係者」といっても板に上がる人ではなく、劇場やワークショップに足しげく通う名物男、なのだが、この人の話は又の機会に。
 話を元に戻すと、店内に入ったところ、なんだか自分的には興味のないイベントをやっていたのだが、突然プロデューサーの加藤梅造さんが「ところで今度、お客さんの有志を集めてフリーペーパーを作るという話が持ち上がりまして〜」と言いだし、「やりたい人は手を上げて」とやったので手を上げたところ、挙手したのは僕が一番最初だったらしい。「じゃ、君、編集長ね」と一方的に指名されてしまい、抜けるに抜けられなくなったのだった。
 即席で集められたメンバーは全部で6人だった。メンバー同士面識のない、まったくの初対面。一応農業雑誌の編集者などもいたが、ほぼ烏合の衆である。編集チーム結成と同時に、プラスワンと同じビルの上階にあるロフトの事務所に呼び集められ、平野悠直々にプロジェクトのコンセプト説明が行われた。
 曰く、「資金はバックアップするが、方向性は自由。俺は金は出すけど口は出さない」という話だったが、「でも金を出すんだから、チェックは入れるけどな」という矛盾しているような、いないようなスタンスだった。
 ロフトのフリーペーパーというと既に「ルーフトップ」があったのだが、「お店の公式雑誌とは別に、お客がつくったものも」というのは、店を盛り上げるための平野氏ならではの戦略だったのだろう。
 で、僕らはなんどか夜のファミレスに集まって打ち合わせをし、誌名を「網」に決定。これは 「あみ」ではなく「もう」と読んで下さい。「ネットワーク」を漢字一文字で表現した、の心です。
 ここまで説明してようやく本題に入れる。ふう。この「網」の企画の一つが、「男のブルセラ体験」だったのだ。
 
●上野に男の下着を買ってくれるお店があるんですよ〜
 
 メンバーの中に妙にエロ業界に詳しい人間がいた。誰言うともなく「エロ大将」というあだ名が付いたのだが、その「大将」が「男のブルセラ体験」の発案者だった。
「ダンバラさん。上野に男の下着を買ってくれるお店があるんですよ〜。みんな体験取材しましょうよ」
 それは面白そうだ。一同乗り気になり、僕と大将ともうひとり、割とノーマルなキャラの Y 君という三人で上野に向かった。
 件の店は上野駅を浅草口から出てすぐの雑居ビルの一室で、何食わぬ顔をして商い中であった。残念ながら店内の様子はほとんど覚えていないのだが(なにしろ15年も前の話だ)、一般のアダルトグッズ屋に比べて品揃えは慎ましく、購買意欲を掻き立てるような淫靡さにも欠けていたように思う。壁の一角にはこの店の看板アイテムである男物のパンツがずらっと展示されていた。きちっとビニール袋に入った状態で、なおかつ、どんな若者が身につけていたのか分かるようにポラロイド写真のおまけつきであった。ひととおりチェックしたが、パンツの主はみんなごくフツーのお兄さんたちだった。とくに綺麗な顔をしているとか、ものすごくマッチョだという感じではなかったと記憶している。
 このパンツを買っていくのは、もちろん男が好きな男たちである。
 上野といえば不忍池のそばのかなり目立つ場所にホモ専門映画館があることで有名だし、唐十郎が幼年期を過ごした下谷万年町(現在の台東区北上野一丁目、東上野四丁目)の回想録の中にもオカマさんの話が出てくる(「下谷万年町物語」)。終戦後の混乱期には上野公園を拠点としているオカマさんが当たり前のようにたくさんいて、昭和23年に男娼による警視総監殴打事件なんてのも起きている。男性向けの男物中古下着専門店を開業するには、うってつけの土地なのだろう。
 カウンターにきちんと古物商の資格が提示されていたのはいいのだが、なにかこう、店内があっさりしすぎており、品数の少なさも相まってがらーんとしているように感じた。あんまり繁盛しているようには見えない。「いつ開店したのか」とか「どういう経緯で」といった話はちゃんと聞いておいたはなずなのだが、いかんせん昔の話なので資料が行方不明だ。店のチラシも取っておいた筈なんだけどね。とにかくゆるーい感じで「エロの小宇宙」と言うより、「エロを媒介とした安息所」的な気安い感じで、売り手にも買い手にも変な心理的ハードルを感じさせないように、しかし砕けすぎるとエロさが霧散してしまうのでなんとかぎりぎりのところで踏ん張ろうとしている。そんな感じの店内だった。
 店主はかなり地味目な短髪の男性で、余計な自己主張をしない店員のありようが、しらっとした店舗そのものと相まって時間の静止したような不思議な空間を生み出していた。
 肝心のパンツを売る、という部分だが、その場で脱ぎたてを売る、という生々しさはなく、あらかじめ履き古したものを持参する、というスタイルだった。新品でないか、肌になじんだ感じが出ているかどうか、などといったことをカウンターでチェックされ、「合格」となったらその場でポラロイド写真を撮られ、お金と引き替えにパンツを手渡す。買い取り額ははっきり覚えていないが、3,500円くらいだったという気がする。当時週刊誌を賑わせていたブルセラ女子高生のパンツが一枚数万円で取引されていたのと比べると、著しく市場価値が低い。しかし、通常であれば、衣服は使用することで値を下げるはずだ。それなのに、逆に新品より価値が増しているのである。「その世界で売れば逆に付加価値が付く」という事実。これほど自分の肉体の市場価値を実感するシステムはないと思う。ちょっと感動的な体験だった。
 その後、ひとりでもう一度売りに行ったのだが、2、3回だけ穿いた新品を持ち込んだところ「これじゃあ商品になりませんよ」と断られてしまった。なかなかシビアである。
 
 そんなこんなで取材までしたのだが、結局「網」は一度も発刊されずに頓挫してしまった。それというのも「せっかくだからプラスワンの外部でも置けるようにしたい」と言ったところ、その一言が平野氏の怒りを買い、訳の分からないまま放り出されたからだ。 なにが気に入らなかったのか今でもさっぱり分からないが、ああいうアクの強い人だからなにか余人には分からない基準があるのだろう。
 メンバーの中にすごく可愛い子がいたので、半分冗談半分本気といったノリで「あの娘を脱がせてインディーズ・アダルトビデオを作ってみよう」などというかなり最低な企画も上がっていただけに、もし発刊していたらどんなキメラ雑誌になったのか。正直な話、挫折したお陰で舞台の世界に戻れたのでほっとしたのも事実である。
「網」の面子とはしばらく付き合いがあったのだが、いまは音信不通である。
 
 

 
 
 
-ヒビレポ 2013年11月25日号-

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