ハルヒマヒネマ 4−7

いながらにして空の上

 
やまだないと(「料理入門」連載中)
 
 
 
 
 
去年のちょうど、今週、ハルヒはじゅんことパリにいた。
今年の今週ハルヒは家にいる。(先週の今日は京都にいたけど。KAFE工船ってカフェがよかった。あれ近くにあるといいな)
旅というのは、その街についてからよりも、出かけるまでの間にある気がしている。
出発の朝、新宿駅から空港行き列車に乗ると、たとえ、忘れ物をしてようが(パスポートは困る)仕事をおわらせてなかろうが、もうハルヒは家にいない。すべてをほったらかしてこれからどこかに行くのである。東京駅を過ぎればもう空港まで止まらない。到着までの1時間ちょっと、ほわっとする。そして眠る。
あれが、そもそも、ハルヒの旅だ。
いつも空港で待っているのは、福岡から来てるハルヒのがっこうのとっからの友達のじゅんこで、そのじゅんこに久しぶりに会うのも、また、ハルヒの旅だ。
飛行機に乗ってしまえば、半日ハルヒは空の上。なにもしようがない。これが旅だ。

飛行機の中で観る座席映画が好きだという話をよくしているが、今更ながら、インターネットの動画配信サービスというやつは、家に、机に、いながらにして、機上映画サービスの気分を味わえることを知った。よく、ブラウザのはしっこに宣伝がでてくるあれだ。「GyaO!」は無料でみれる映画がいっぱいあって、え、ただでみていいの?なんておもってラインナップみてたら、ちょっとTSUTAYAじゃ、見つけらんないような、きいたこともない微妙なタイトルの映画が並んでて、最近の話題作はちゃんと有料になってるから、心置きなくただの映画を机の上でみせてもらった。

ほんとは今週のハルヒ、フィルメックスでジャ・ジャンクーとツァイ・ミンリャンがみたかったのに、とっくにチケットは売り切れ、うちから一番近い映画館でやってるウォーケンとアル・パチーノの『ミッドナイト・ガイズ』みたいのに、上映時間を毎回のがし、(このまま上映終了しそう)あーこういうの、しゃきっと、動きたいのになあ。

 

 

 
『シタデル』2012 アイルランド/イギリス
D/W: キアラン・フォイ A: アナイリン・バーナード/ジェームズ・コスモ

サムネイルの男の子が目が大きくて、イライジャ・ウッドみたいだったので、みた。サスペンス・ホラーとあったけど、ハルヒ映画館じゃぜったい恐い映画みれないので(一時停止できないから)なんとなく、このジャンルのほうが、家で観るのに向いてる気がして。
監督も俳優も聞いたこともない名前。日本未公開で、まったく話題も耳にしなかった。が、そういう映画だから、はじまった時の、あ、は、わりと信じられる。あ、これ、なんか好き。
地区開発みたいなのに指定されて、もう死にかけた街。光が足り無い感じで、街もくすんでいるけど、登場する幸せそうな若いカップルも、静かでくすんでいる。映画全体が最初から不安だ。
ピーターは、出産間近の妻と古ぼけた団地に住んでいたんだけど、どうやら、その日、新しい街に引っ越すみたいだ。住み慣れた部屋に別れを告げると、ドアの「111」号室の数字プレートの真ん中の「1」がひとつだけ、くるりとひっくり返ってぶら下がってしまう。…なんかこわい。なんか暗示でしょ?これ。
荷物が多いので、ピーターひとり、先に下に待たせた車に荷物を積みにおりていき、戻ろうとするとエレベーターの調子が悪い。扉が閉まらない。手でなんとか扉を閉めるとようやく動き出す。…これ、もう、部屋に戻るとなんかこわいことになってるんでしょ?あ、もういやだな。
11階に上がってくると、エレベーターの扉の覗き窓のむこうに、妻はいて、ピーターに気づき微笑む。いや、わざわざほっとさせて、もうぜったいなんかおこるでしょ?
案の定、ドアが開かない。と、覗き窓から見える妻に向かって、パーカーのフードを被った背の低い、子供のような人影が近付いていく。あれ?あれ?おかしい!!
エレベーターに閉じ込められてどうすることもできないピーターの目の前で、いや、覗き窓の曇ったガラス越しに、妻は少年達に襲われる。助けを求めて叫ぶピーターを乗せたエレベーターは無情にも地下まで降りていってしまう。エレベーターをこじ開け、必死に階段を駆け上るピーター。でも、間に合わなかった。逃げて行く少年達。瀕死の妻。
数ヶ月後、ピーターは、生まれたばかりの娘と暮らしている。風貌はすっかり変わり果て、青白い顔にぐしゃぐしゃの頭、ぎょろぎょろと大きな目で気配に怯え、背中を丸めて乳母車を押している。
少年犯罪と、犯罪被害者の心理サスペンス…かと思えば、謎の盲目の少年がじーっとピーターを見つめ、少年の保護者のような老神父が、早く逃げろ!あいつらがねらっているのは、お前の娘だ、なんて謎の言葉をささやく。あ、やっぱホラーなのか。カルトの、悪魔崇拝的な?なにかだろうか?
パーカーの少年達は、夜中にピーターの家を襲ったり、ピーターを付け回したりしている。
(こないだまでやってた山口義高監督の『アルカナ』の印象がぞわわーっとだぶる。これ読んでる人で『アルカナ』みたひといるかなあ。あーこの感じ、誰とも分かち合えないので、ここでは触れない)
もしかしたら、パーカーの少年達は、ピーターの妄想なのかもしれない。ただの貧民の強盗少年達に、あの日たまたま襲われただけなのかもしれない。
この映画の恐怖はちょっと風変わりで、たとえば、バス。
病院から家に戻ろうとする時、いつものバスは、終点まで行かず、知らない停留所で降ろされてしまう。街灯もまばらな暗い道を乳母車を押して歩いて帰るしかなくなるピーター。この街を出るには長距離バスに乗るしか交通手段がないのだが、そのバスに、ピーターはうまく乗れない。すんでで置いてかれたり、あとちょっとでバス停ってところで、少年達に襲われ、なんとか逃げて必死に乗り込んだバスなのに、次の停留所でゆっくりとまったり。
開発が進まない街は、しょっちゅう停電が起こる。
夜があけてもすぐに日が暮れてしまう。もたもたと暗闇を、抜けられないこの感じは、夢の中で何度も味わったことがある。
だから、この映画で起こっていることがピーターの被害妄想と恐怖が生んだ幻覚だとしても、ハルヒは同情できる。
この映画の暗闇は、わーっと驚かすタイミングを計った暗闇ではない。実際、そんな驚かしはいちどもないかった。ほんとうに、夢の中のようなのだ。「はっきりと見えない」暗く淋しい夢の中を、ひとり歩いているようなのだ。
その暗い夢をどうやって、抜け出すか。光の方へ歩いていくか。
こんなふうにいうと抽象的なはなしのようだけど、これが意外と具体的に、魔物とピーターが戦い、弱さを抱えたまま闇を乗り越える話にもなっている。子供を救い出すヒーローでもある。なので、後味がすごくいい。明るい。
俳優がみんないい顔をしていた。顔でみせる映画、ハルヒ好きだからね。
(しかしクライマックスは、あれ?なんかまんま『ワールド・ウォーZ』なんだけど。あれ?あと少年達の隠された事実は、漫画の『黒執事』のノアの方舟サーカスの話を思い出した。あー、だれかとこの映画の、もんやりしたたまたまの既視感の話をしたいけど、いまんとこだれともできないな。マイナー映画の宿命だ)
 
 

『イン・ハー・スキン』2009 オーストラリア
D/W: シモーヌ・ノース A: ガイ・ピアース/ミランダ・オットー/サム・ニール

これも「GyaO!」でみた未公開映画。ガイ・ピアーズは、整形でもしたのかと思うくらい、あの大口が目立たない普通のお父さんだった。ガイ・ピアーズは、ちゃんと役柄にあわせてあの口を伸縮できるようだ。
彼らの娘が行方不明になる。直前まで一緒だった恋人にだけ、このあと年上の友達に誘われたバイトに言ってくると残して。
両親が警察に言っても、年頃のいわゆる「リア充」の女の子の家出なんてめずらしくもない。ましてや親に内緒で彼氏としっかりセックスしてるような女の子、事件性はないね、ととりあってもらえない。
最初に、これは実話であるとことわりがある。実話だからしょうがないけど、家族構成、人間関係ちょっと不親切だ。家族の親戚やら友人やら、行方不明のレイチェルの妹たちもどうやらいる。
まず、この家族に事件がおこったことを描き、次にすごくわかりにくく、状況は過去に飛ぶ。家族付き合いをしていた隣人一家との関係。そこにいた、強烈にいじけた娘キャロライン。父親に見捨てられた母親に彼女はむきだしの嫌悪をむけている。自分だけは父親に愛されていると思い込みたいが、不細工な容姿が邪魔をする。隣に住むレイチェルは、家族や友人たちの愛に包まれた女の子らしく生きる事に何の障害もない子。そんなキャロラインの今に続く妄執が事件を引き起こしたんだった。
キャロラインの父親はサム・ニール。どうやら、母親と離婚し、今度再婚相手と結婚式を挙げるようだ。父が再婚することよりも、キャロラインにとっては、自分なんかに似合うドレスがないことの方が悲劇だ。恨みつらみをノートに書き付け、パパの前で裸になってヒステリーを起こすキャロラインはほんとうに哀れ。言ってることはまったく理不尽で、ハルヒはとてもこんな子にはつき合いきれないが、でも、いろいろ身につまされるというか、わからない感情ではない。だから、みていてほんとうに苦しい。この女の子の苦しさ、屈折は、オーストラリア映画のちょっとした匂いだと思う。
自分が生きる為には、あのこに死んでもらわなければ。運良く、そんな考えにいたったことがないハルヒだが、動物だったらわからない。動物だったら、誰も彼女を責めないだろう。彼女は正しいんだろう。
でも、彼女が欲しいのは、人間の歓びなんだから。動物だったらぜったい欲しがらないものなんだから。
この映画には、さりげなく、後悔する人々が描かれている。
たとえば、レイチェルの彼は、彼女がバイトに行くと言っていたことを知っていたことを泣きながら電話で彼女の母親に伝える。彼の家族はそれを見守っている。
取り合わなかった警察側の若い刑事は、言い訳もしない。
キャロラインから様子伺いの電話を受けていたことを、まったくきにしてなかったレイチェルの叔父さんも、きっとあとから、ものすごい後悔に責め苛まれるだろう。自分が子供のとき、あの家族と仲良くなっていなければと泣く妹。キャロラインの父、サム・ニールもまた、なんともいえない表情で事態をかみしめている。
 
 

『世界侵略:ニューヨーク決戦』 2011 アメリカ
D: アンドリュー・ベルウェア W: ラルフ・ボズウェル A: ティナ・タンザー/ナット・キャシディ

やー「GyaO!」映画、あたり、あたり、ときて、これはある意味「大当たり」!
「邦画かと思った!」
データベース探そうとしたら、そもそも、このタイトル、『世界侵略:ロサンゼルス決戦』をまんまパクっただけのようで、それもDVD販売の時の苦肉の策かと思ったら、原題もまんま『BATTLE: LOS ANGELES』→『BATTLE:NEW YORK DAY 2』とパクリだった。「:」まで、丁寧に。
ハルヒは、元ネタの方はみてないから比較できないんだけど、中身は予算の関係上、たぶんパクれていないんじゃないかと思う。
しかし、ちょっと、外国映画ではみたことないくらいに安っぽい画面で、ほんとに邦画みたい。それもハルヒたちが愛情もっていうところの「クソ映画」ってやつだ。
この映画をみてると「クソ映画」と言われる映画のとくちょうがよくみえる。
「俳優がへたくそ」「その辺ロケ」「お金ないのに構想でかい」「こまったらゾンビ」「アニメ・ゲームのやりすぎ」「スロー多用」「目のアップ多用」「俳優がへたくそ」「主演女優が老けてる」「俳優がへたくそ」
主人公のローラはなんか「聞こえてる」女の子で、電波な会話をしながらドクターと一緒に、その「聞こえてる」ものをさぐってたら、どうやらそれはカウントダウンのようなもので、あと2分というメッセージを受信するや、ニューヨークはまばゆい光に包まれ、人々は消えてしまう。まるで、早朝のように。
巨大な回転するなんか変なもの(これはちゃんとCGがんばってたが、たぶん予算はここで尽きてる)、どうやら宇宙人に占領されてしまったニューヨーク。が、ハルヒ、ニューヨーク1週間しか滞在したことないので、これがどのへんのニューヨークなのかわかんない。宇宙人は、残った人々を次々にゾンビに改造していた。結局ゾンビだ。
ペラッとしたビデオ画面でゾンビをノーメイクでやるところがすごい。死ぬ前に一度はゾンビと戦いたいハルヒとしては、ロンドン系のゾンビ対策は万全だけど『ワールド・ウォーZ』のゾンビにはちょっと勝てないと思っていところだったので、この映画のゾンビならぜったい勝てる。まったくこわくない。たぶん、監督は銃で心置きなく人を撃ちたかったんだと思う。血が飛び散る描写はわりと凝ってる。
まあ、なんか、こういう映画は、世界共通にあるんだなと、ちょっとうれしくなった。
ただでみてるんだし、すぐにやめてもよかったんだけど、ローラを助けたニールというラリッタ髭面の男の子がタイプだったので最後までみた。
冒頭のプロダクションのオープニングロゴが、ちょっとわくわくした。
 
 

 

 
 
むかーし、どっかのビデオのオープニングがすごーく不思議で好きだったんだけど。モノクロで、霧の中からサイドカーに乗ったサングラスの女が現れるってやつ。あれどこのだったかな。

 
 
 

12月8日日曜日まで、京都、出町柳のトランスポップギャラリーで、やまだないとの絵を展示しています。
プリントの販売もしています。トランスポップギャラリーオリジナルのTシャツ、A4カードもあります。
お近くの方是非おたちよりください。
12月1日日曜日は休みになりますのでご注意ください。
http://www.trancepop.jp/
 

 
 
 
 
ハルヒマヒネマ
http://blog.livedoor.jp/nuitlog/
最近のハルヒの頭の中、日々をささげる王子様観劇日記
http://bookman.co.jp/serial-novel/boyslife/boyslife/

 
 
 
-ヒビレポ 2013年11月29日号-

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