バイト・サバイバー 第8回

つぶしが効かない仕事ってあるよね

 
檀原照和(13号で「雑誌販売員として路上に混じる」執筆)
 
 
 
 
 目黒にある脚本専門印刷会社でバイトしていた頃、僕の人生はどん詰まりの状態だった。
 2000年の終わり頃、突然声掛けされた最初の著作の出版が暗礁に乗り上げ、宙ぶらりんの状態にあったからだ。原稿はたしか2002年に上がっていたのだが、出版されたのは4年後の2006年だった。書き上げた当初は「これでライターとしてやっていけるかも」と期待したのだが、本が形にならない以上実績と呼べるものは何もなかったので、そういうわけにもいかなかった。なにしろ全くの門外漢だったから。
 で、舞台方面と出版方面の中間くらいの感じ、ということで選んだのがこの仕事だった。「脚本専門印刷会社」というのは読んで字のごとくで、テレビや映画、舞台の戯曲/台本や進行表だけをスピード印刷する専門の会社だ。仕事の流れをざっと説明すると、
 
 夕方原稿が入稿
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 一太郎で割り付け
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 ゲラを印刷
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 校正
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 同じビル内にある印刷機で印刷
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 製本
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 早朝、テレビ局やスタジオなどに納品
 
 という感じ。夕方入稿、翌未明には納品、というスピード勝負の仕事だった。

 

 

 僕が携わっていたのは校正と納品。夜9時か10時に出社して翌朝7時には配達を終えて帰社する、という流れだった。実際の所かなり小さな会社で、働いていたのは昼夜合わせて10人くらいだったのではないだろうか。「寄生虫博物館」のそばの雑居ビルの2フロアーを借り切ってはいたものの、どうしようもなく時代遅れな感じだった。
 僕が働いていたのは2004年頃だったと思うが、割り付けが「一太郎」というのはいただけない感じだった。校正を任されたと言っても、校正のイロハは教えてもらえず、間違い探し程度のことしか期待されていなかった。僕は通信教育で校正の勉強をしたことがあったのだが、ここでの校正業務は印刷の知識も校閲の知識も不要で、校正記号もまともに使われていなかった。ここで経験を積んでも、よそでは通用しないだろうから、とても実績とかキャリアとは呼べそうになかった。実際退職後、しばらくしてから日本エディタースクールの校正技能検定を受験したが、落ちたしね。つぶしの効かない仕事の典型だった。実際、誤脱字の見落としで注意されたことは一度もなかったし、同じ箇所を複数の人間でチェックすることもなかった。正確さよりも時間が重視されていたのかも知れない。
 一冊の台本にかけられる校正の時間は4時間程度なので、ある程度のボリュームで分割し、数人で手分けしながら引き合わせ校正していた。手書きの原稿のコピーと刷り上がった印刷物とを引き合わせるのだが、癖字が多くて本当に大変だった。ワープロ打ちした原稿もあるにはあるのだが、手書きも結構あったのだ。たとえば「渡る世間は鬼ばかり」の橋田壽賀子さんは手書きだった。この先生は脚本家の中でも別格扱いで、毎回台本が刷り上がると青山一丁目にある自宅マンションまで届けなければならないのだった。
 当時頻繁に入ってきたのは連続ドラマである「ウルトラマンネクサス」とかバラエティ番組の「笑いの金メダル」の台本だった。どちらも一度も放送を見たことはないのだが、校正という仕事上、台本にはかなり目を通していた。「ウルトラマンネクサス」は「ウルトラセブン」みたいなダークな感じで結構好きだった。
 脚本専門の印刷会社、とは言うものの、脚本家を目指すバイト君やテレビ業界が好きな社員がいたという記憶はない。ただ、今ではすっかり有名になった演出家の下西啓正さんが働いていたのは覚えている。
 下西さんが主催していた劇団「乞局(こつぼね)」は今年解散してしまったが、劇作家協会新人戯曲賞優秀賞、佐藤佐吉賞最優秀脚本賞受賞、かながわ戯曲賞最優秀賞受賞などを受賞して平田オリザや岡田利規からも注目される存在だった。中西さんは人間の滑稽さ、愚かさ、あさましさ、を濃縮した後味の悪い作風で知られるが、この仕事で彼が得たのは戯曲のノウハウなどといった高度なことではなく、決まった収入が入ってくることから来る精神の安定だったのではないかと思う。
 一方僕はといえば、本を書き上げたことは誰も知らなかったし、フランスで舞台公演したこともスルーされていたし、ときどき校正中うっつらうっつらすることがあるバイト君、という程度の認識しかされていなかったと思う。
 本当にあの仕事は眠くなる仕事だった。後年進学ガイドブックなどリクルートの仕事で何度か校正業務をやったのだが、あんな風に眠くなることはなかった。夜の仕事だから、という部分を差し引いても、なにか眠気を誘う要素があったのだろう。なにかこう、窮屈な職場だったことも関係していたのかもしれない。
 どちらかというと校正よりも、テレビ局やTBS緑山スタジオ、円谷プロなどへ台本を届けるときの方がプロフェッショナルな仕事をしているという感覚だった。それはただ単に外部の人間と接触するからなのだが、それくらいお粗末な仕事だった(ここまで書いて、営業職の社員のなかに「ハナミズキ」で知られる歌手の一青窈の従兄弟がいたことを思い出した。営業職なら張り合いがあったかも知れない)。
 今思い返すと、このバイトにはあまり良い思い出はない。仕事を辞めさせられたときも、訳が分からなかった。
 毎月、月末にタイムカードに刻印された勤務時間を書き写して請求書を提出していたのだが、会社から渡される用紙には初めから「時給1200円」と印刷されていた。僕は1100円だったのだが、あるときついつい1200円を訂正しないまま提出してしまったところ、上司が声を震わせながら怒り狂い、その場で首を言い渡されたのだった。法的にはバイトといえども、解雇の1 か月前に予告する必要があるのだが、理屈が通じない世界ってあるね。ふう。
 
 *今回は原稿を落とす寸前だったので、分量が短めです。

 
 
 
-ヒビレポ 2013年12月2日号-

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