ハルヒマヒネマ 4−8

ドッキリ森茉莉チャンネル

 
やまだないと(「料理入門」連載中)
 
 
 
 
 
ツイッタァの「森茉莉チャンネル」というbotアカウントをフォローしてるので、2時間置きくらいに森茉莉せんぱいがなにやら好き勝手言ってらっしゃる。
週刊新潮で連載していたTV評『ドッキリチャンネル』からの引用があって、茉莉先輩の口からジュリーや欽ちゃんのバラエティ番組の事や「ルックルックこんにちは」なんてつぶやかれると、不思議な気持ちがする。そっか、ハルヒが下北沢に住むほんの数年前(87年)まではご存命だったんだものな。
茉莉せんぱいのTVや芸能界をみる目は、意外にもただの庶民の感覚だ。庶民感覚を大事になさっているというよりも、せんぱいがつっ突かれることが、「たいしたこと」じゃないんである。

「欽ちゃんという人物は狭量な人物ではない。どんなに拍手を受けても、欽ちゃんとの共有として受けている分には歓ぶのだ。よし夫、ふつ夫、わる夫、又、三人のビジネス・ガアルの場合はそれである。なんといっても中原理恵の場合は行き過ぎである」

「森光子がCMに出すぎると言っている人が居るらしいが、森光子はたしかに独身だ。現在は若いが先へ行って年を取ったらその、出過ぎると言っている人が面倒を見てくれるとでもいうのかね?ドラマにも、CMにも出て、貯金をしておかなければ不安ではないか。意地悪口を叩くな」

「沢田研二が伊右衛門を演らないらしい。私は腹を立てて、(ひとの支持に応えやがらねえ)と姫ごぜのあられもない言葉で沢田研二に毒づいている。赤と黒の横縞の上に赤の上着と洋袴で沢田が何か番組に出ていると又腹を立て(笑うな、腕をさするな。)と怒るのだ。」

「桃井かおりが[私に会いに]来たら、「前略おふくろ様」の時に彼女が言った科白「おにいさん、えらい」というのを桃井かおりそっくりに言って見せてやろうと思っている。」

「私の死後、森マリ賞というのを設けてその賞を与える役者の中に荒木一郎を加えることを忘れぬよう、誰かに言い遺すだろう。私も既にもう先が短い。」

茉莉せんぱいがみている芸能界は、「あなた方より、ちょいと近くの、ちょいと知った」芸能界じゃなくて、テレビの中のどこかにある芸能界で、その距離感を勘違いしない。夢はみても。

 

 

茉莉せんぱいの部屋の写真を思い出すのが好きだ。
いろんなものがぐしゃぐしゃいっぱいあるけど、なんにもない部屋だった。
ぼそっと貰い物かなにかの花が飾ってあった。紙くずだらけだった。
あそこで茉莉せんぱいは、テレビとくらしてらっしゃったんだ。
きょうみた映画で、クリストファー・ウォーケンも、毎日絵を描いてケーブルテレビをみている、と言っていた。
テレビからは何も返ってこない。ただ、一方的に親しんだりかんがえたり文句言ったり。
でも、そういうのが、そういう世界との距離がいいや。
ハルヒも映像の中に閉じ込められた人々を観てるとほっとするよ。
 
 
『ミッドナイト・ガイズ』 2012 アメリカ
D: フィッシャー・スティーヴンス W: ノア・ヘイドル A: アル・パチーノ/クリストファー・ウォーケン/アラン・アーキン

アル・パチーノとクリストファー・ウォーケンの初共演は、低予算のB級ハートウォームコメディだった。黒い眼鏡にダークスーツ、銃をかまえた3人の日本版のポスターだけみると、『キング・オブ・ニューヨーク』とか『ギャング・オブ・ニューヨーク』とかなんかそんなかんじなんだけど。
28年ぶりに仮釈放で街に戻って来たアル・パチーノ。役名はヴァレンタイン。ヴァルと呼ばれている。『蛇皮の服を着た男』だ。
彼を刑務所に迎えにきたのは昔の悪仲間ドクだけ。これがクリストファー・ウォーケン。
ドクは昔と違って、もう随分枯れた老人の暮らしをしている。狭いアパートに、必要なだけの家財道具と、あとは毎日描いてる絵が、飾られてるだけ。
日々の楽しみはケーブルテレビをみること。
ウォーケンはまだ70歳。ハルヒのとうさんよりずっと若い。なのに、ほんとうに老いるのが早かった。ほんの95年ごろの『The Prophecy』ではうなされそうに美しい大天使ガブリエルであったのに。99年の『スリーピー・ホロウ』の彼もこの世のものではなくギザギザしてたのに! 2004年の『ラスト・マップ』もまだぴんっとしていた。でもなんか、ここ10年しないくらいで急に老け込んだ。年老いた。病気でもしたんだったっけか? アル・パチーノより、アラン・アーキンより若いのだ。が、皮膚はたるみ、皺は深く、声もしわがれてもごもごとゆっくりだ。あの鳥がくわえてきたような大きなガラスの目玉も曇った小さなビー玉のようになってしまった。
こないだ観た『天国の門』のチャンピオンの姿が、遠い夢のようだ。
クリストファー・ウォーケンのまわりで、ほんの少し早く時間がすすんでいるんじゃないだろうか。SF的な何らかの事情で。
だけど、わるくない。
あいかわらず、笑うと犬のようだ。じーっと、相手を見つめる、あの奇妙な間。あの間が好きだ。
かつてのウォーケンじゃなく、今の、ハルヒと同じ時間を生きているウォーケン、わるくない。
ストーリーは一見渋くいい話っぽいけど、それはウォーケンとアル・パチーノが渋い、いい味ってだけで、どうでもよくペランペランだ。
でも、ウォーケンとアル・パチーノがそこにいると、ペランペランなストーリーにも、なんだか人生が見えてくる。
チンピラ時代のツケとでもいうのか、ボスに恨みをかってるパチーノを、ウォーケンは朝までに殺さなくてはならない。パチーノも、そりゃ理不尽だと思っても、受け入れるしかない。
そんなパチーノが最後の一夜にやりたいことと言えば、セックスで、連れ出したもうひとりの仲間、アラン・アーキンも、すでに死を待つ老人の家で暮らしている身だったのに、やりたいことと言えばセックス。あきれたもんだ。70もとうに過ぎたじいさんたちなのに。ウォーケンは、すっかり無害な市民になったのかと思えば、必要なものは盗むの精神はかわらない。盗んだ高級車で走り回るのもその辺。だって一晩に3回も同じ売春宿に行き、3回も同じダイナーで肉をたべるんだから。一回死にかけ、ひとりはほんとに死に、墓掘りまでやって。あっちへこっちへどたばたやってるけど、結局どこにもいけない。どこにもいかない。ぐるぐると、その辺を回ってるだけ。
だけど、かっこいいのだ。ウォーケンも、アル・パチーノも。要所要所で、コノヤローとばかりに、かっこよさがにじむのだ。ラストシーンなんて、そのかっこよさの為だけのシチュエーションだ。じいさんのアイドル映画だ。
あーそっか、ショーケンとミズタニユタカが、今映画をやるとしたら、こんな映画なのかもしれない。60過ぎた『傷だらけの天使』コンビがやるなら、こんなアイドル映画なのかもね。
 
 
『苦役列車』2012 日本
D:山下敦弘 W: いまおかしんじ A: 森山未來/高良健吾/前田敦子

『もらとりあむタマ子』のマエダアツコが、なんかちょっといいなと予告をみて思ったんで、そういやハルヒは、「もしもなんとかかんとか〜」って映画の予告でも、自転車で疾走する前田敦子いいなって思ったんだったので、「タマ子」の予習みたいなつもりで観た。マエダアツコは、AKBのときはどんな人だったのかよく知らなかったけど、映画の予告編で観ると、まず、美人ではない。表情がどんよりしてる。口をあまり開けて喋らない。笑わないのかと思ったら、破顔する。早口で裏返った声がイモ。ってとこがすごく、好みだ。なんかフランス映画の女優のようだ。エマニュエル・ドゥヴォスに似てる。
ハルヒはエマニュエル・ドゥヴォスを観るたびに、この人めんどくさい顔だよね、ブスだよね?なりたい顔じゃないよね?って思うんだけど、なんか好きなんだ。
たとえば、美しいから女優になった人がいたとして、その人がどんだけ演技派であったって、映画の世界の中でも女優レベルで美しい人であるには変わりない。
そうじゃなくてどっかにいそうな顔、実際どっかにいた顔。そういう人の説得力。で、それを存在感というんじゃないだろうかと思うのだった。
エマニュエル・ドゥヴォスでなければ、埋められない空間、醸し出せない空気。
で、『苦役列車』。主人公を演じるモリヤマミライもまた、存在感がなさそうである顔をしている。顔は常に腫れぼったく、目は小さくて黒目しか見えないし、体も生々しい。友人役のコウラケンゴは、正反対に俳優顔だ。ボーギャルソンだ。そしてそのまま、この映画の世界でも、癖も害もないひとのいい2枚目として存在している。
原作未読。『苦役列車』というわりに、あんまり主人公のモリヤマミライに苦役を感じなかったが、この映画の中の青年なりの苦役ということでも観れる。
というか、この映画だと主人公はそう特別な苦役を背負ってるわけじゃなく、どこにでもいるダメな若者で、それこそ流行の「こじらせた」人として、誰にでも思い当たり、同情できる。でもその同情にも限度があり、この主人公みたいなひとは、その限度をついつい確かめたくなってしまうのかもしれない。
他のひとには限度なんてないのに、自分に対しては限度がある。自分に与えられるものに無償なものなどなく、他のひとには無利子で永久なものが与えられる。なんでオレだけ。なんでオレだけ許されないんだ。
だから、彼にとっては、降りることのできない苦役列車の旅なのかもしれないが、映画をみてるハルヒには、そんなものにさえ乗ってないからって風に見える。だから、どさっと!夢から覚めたような、別の新しい世界に落ちてきたような、あの、突然開けたような終わり方がすごくよかった。
人生で失って恐ろしいものは、夢だろうか、希望だろうか。この映画をみてると友達だなと思う。最初からいないなら。でも、知ってしまった友達といる時間を失ったら、暗く淋しい、長い道のりだろうなあ人生。
マエダアツコは、やっぱりちょっと他にない存在感があった。
こないだまでミニスカート履いて踊ってた人とは思えない、めんどくささがあった。よかった。
 
 
『ケンとメリー 雨あがりの夜空に』 2013 日本
D: 深作健太 W: 楠野一郎 A: 竹中直人/フー・ビン/北乃きい

ずーーーーっと、ひっでぇひっでぇ言いながら観てた。(家で。もちろん)
タケナカナオトを演出できる人はいないんだろうか。ハルヒはこの人の事好きだったんだけどね、前は。なんか最近は映画クラッシャーと言うか、もう、タケナカナオトは映画に恨みでもあるんだろうかとイライラしてしまう。
というか、タケナカナオトを演出できない、タケナカナオト芝居を、いいね!サイコーとか言ってしまう監督に絶対問題があると思う。
監督の要求なんだろうか。
だとしたら、たとえば、『ミート・ザ・ペアレンツ』を、ダスティン・ホフマンとロバート・デ・ニーロが、こんな演出でやってたら、と思うとぞっとする。
『ミート・ザ・ペアレンツ』の監督が深作健太じゃなくてよかった。
話もひどい。笑いどころも泣きどころも、すべてが脚本ではなくタケナカナオト頼り。そりゃあ、タケナカナオトも、必死でおどけたり目を剥いたり、なんとか観客を揺り動かそうとするしかない。気の毒に。
考える。もし、『ミッドナイト・ガイズ』をタケナカナオトがやったら…。あ〜、うん、なくはない。きっとある。
いや、違う。この『ケンとメリー』をアル・パチーノがクリストファー・ウォーケンがやったらと考えたほうが健康だ。やる義理はないけれど。
でもタケナカナオトを差し引けば、筋だけ追うと、アメリカのお気楽コメディみたいなんだから、ちゃんと演出すれば、楽しい映画になったんじゃないだろうか。こういう映画こそ、タカクラケンがやればいいんだ。『あなたへ』みたいな映画で気まずく笑わせるくらいなら、こんなアホみたいな映画を大真面目にやった邦画、絶対かっこいい健さんがみれる。

ラストのライブシーンは殺意が湧く。
 
 
『懲戒免職』2006 日本
D/W:渡辺あや A:オダギリジョー/

けっこう前の渡辺あやさんが監督した短編。オダギリジョーにインスパイアされて書いたのらしい。『メゾン・ド・ヒミコ』の時かな。と思ったら、これ、『メゾン・ド・ヒミコ』のDVD特典なのだった。
まあ、内容は、いろんなひとがかきつくした様な、ルーズで危険な美術教師の若い男の人と、女生徒達の恋未満みたいな話なんだけれど、あ〜、ハルヒやっぱし、渡辺さんの「言わないこと」がすごく好きだなと思った。
主人公は、他人事を語ることで先生への恋を甘くなぞり、母親にケンカを吹っかけながらどさくさに失恋の涙を流す。
オダギリ先生は、ずっとだれかの視線で描かれる。下の廊下を歩く、先生のつむじだったり、斜め後ろのうなじだったり、ビーチサンダルの寒そうな指先だったり、汚れたシャツの袖やのびてちぎれた襟ぐりだったり。
少女マンガの目持ってる人の目線だ。今までみたオダギリジョーの中でいちばんいい。
 
 
 
 
ハルヒマヒネマ
http://blog.livedoor.jp/nuitlog/
最近のハルヒの頭の中、日々をささげる王子様観劇日記
http://bookman.co.jp/serial-novel/boyslife/boyslife/

 
 
 
-ヒビレポ 2013年12月13日号-

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