バイト・サバイバー 第10回

一ヶ月しないうちに、すっかりやる気がなくなってしまった

 
檀原照和(13号で「雑誌販売員として路上に混じる」執筆)
 
 
 
 
●販売職は結構好きだったが

 いままでいろいろなアルバイトを経験してきたが、相性の良くない職種がある。飲食店だ。お客として飲み食いしに行くのは好きなのだが、店員として働くのは苦手だ。「ヒビレポ」で自分の店の話を書いているコエヌマさん、それから日替わり店長という形で自分の店を持っているライターさんも二人知っているが、ちょっと出来ないな、と思う。
 大学生だった頃は授業との兼ね合いから働ける時間帯が限られていた。だから飲食で働いた経験もあるのだが、正直あまり良い思い出はない。
 接客が苦手というわけではない。販売職は結構好きだ。20代のとき渋谷の「フロンティア」というブーツ屋でバイトしたときは、なかなか楽しかった。趣味性の高い商品が中心の店だったので、お客も楽しみながら店内をぶらつき、品定めしていく。商品説明のとき、軽いウンチクを入れてみたり、笑いを取ったりするなど、トークに自分なりに工夫を凝らすのは乙なものだった。
 とはいえ自分で入荷まで手がけていたわけではないし、売るだけというのは物足りなかった。「フロンティア」はスタイリストに靴の貸し出しをすることが多く、一般の靴屋に比べて華やかな職場だったと言える。バンドマンの来店もちょくちょくあった。そういった人たちの接客をしたときは、いつも自分も何か作る側に回りたいと考えたものだった。
 とはいえ、商品価値のあるものをつくるのはなかなか大変である。ものづくりの世界では、多くの場合、下積みから始めなければならない。一方、接客系の場合、何の能力のない販売員でも取りあえずお金が稼げてしまうし、外回り営業などの場合、適当にサボりながら給料をもらえてしまうこともある。
 前回、「楽すぎて仕事中の読書に身が入らない」話をしたが、そんな仕事を他にもしていたことを思いだした。
 

 
 
●誰からも関心を持たれない仕事
 
 この仕事は俗に「ラウンダー」と呼ばれる営業職の一種で、担当する店舗を定期的に巡回し、自社製品がどのように展示されているか、他社との違いはどうか、などを調べ、販売促進に繋げる仕事だった。
 もう15年経つので時効だろう。包み隠さず話してしまうと、半年におよぶ勤務期間、僕はほとんど働いていなかった。というのも、あまりにも管理がずさんで働く意味がなかったからだった。
 勤務先はコンピュータ OS “Linux” の最大手開発会社(ディストリビューター)。同社が手がける商品には企業向けの「エンタープライズ版」と個人ユーザー向けの「無料版」(あるいは「パッケージ版」)があった。量販店やパソコン専門店で店頭販売しているのが「パッケージ版」で、店舗を廻りながら 「目に留まりやすい場所で、目立つように飾ってもらうように働きかける」というのが僕の仕事だ。
 まず最初にやったのが、商品が置かれている店舗を把握すること。商品は工場を経て商社経由で小売店に卸されるのだが、メーカー側は自社の商品がどの店舗で売られているのか、知らないのだ。だから商社の担当者に販売店リストを送ってもらった。
 次にやったのが、商社の営業さんに半日同行すること。いまでも対して変わらないかも知れないが、1990年代後半当時、Linux 系のメーカーはみんな絵に描いたようなベンチャーだった。営業という部門は存在していたものの、ラウンダー業務は行われておらず、僕ともう一人が初めてのラウンダーだった。先輩がいないためノウハウが全く確立されておらず、というかノウハウもなにも教えられる人間自体がいなかった。しかも二人ともラウンダーは初めてという状況だった(もうひとりの方は、営業経験は割と積んでいたらしい)。ベンチャーなのに新設する業務セクションを未経験者で固めるなんて信じられないが、そういう会社なのだった。
 そういうわけで、「商社の営業さんについて行き、仕事のやり方を教えてもらえ」という指令が出たのだった。ところが営業さんにしてみると、ただただめんどくさいわけだ。自分には何のメリットもないのに、自社が扱っている商品のメーカーからの頼みなので、断るわけにも行かない。そこで形だけ同行させ、なにも教えないという戦法を採ったのだった。こちらが手に入れたのは不備だらけの販売店リストと、販売店の担当者に会って最近の売れ具合について質問する、という御用聞きにさえならないような最低限のタスクだけだった。
 直属の上司がまたひどくて、「忙しくて面倒が見られない」という理由で一切構ってくれず、僕らに要求したのは「販売店を廻れ、店頭在庫の数と週毎の販売数を調べてこい」という2点だけだった。誰かが確認するわけではないので、数字はいい加減に書いても誰にも咎められなかった。
 ラウンダーは営業職と違って直接商品を売るわけではない。結果が数字に表れないので、目に見えにくい。たとえ商品が平置きされたとしても、それがラウンダーの営業成果なのか、それともお店の判断なのか、傍目には分からないのだ。まっとうなラウンダーであれば、ルート営業のように、なにがしかの商談をするのだろう。しかし未経験者なのに OJT がまったくなかったので、商談のやり方ひとつ分からなかった。
 とりあえずラウンダー業務というものは、お店と信頼関係が築き、商品の入荷数を上乗せしてもらえるように交渉したり、別の商品の発注につなげるように働きかけたり、というものらしい、ということは朧気ながら理解した。しかしこのメーカーの商品は大手販売店に充分すぎるほど置かれており、営業する必要性をほとんど感じなかった。おまけに求められるタスクは「お店に行って数勘定してこい」だけである。これを毎日繰り返せというのだ。
 一ヶ月しないうちに、すっかりやる気がなくなってしまった。
 それでも初めの頃は、会社の倉庫に眠っていた大量のノベルティーグッズ(展示イベントで配るためにつくったらしい)を持ち出して、店頭プレゼント用に配って歩いたり、販促資料をつくってみたりということも自発的にやってはみた。しかし2ヶ月すぎても3ヶ月すぎても「数勘定」しか求められないし、誰かがチェックを入れるわけでもない。しかも成果は目に見えないのだ。
 秋葉原の専門店に顔を出すとものすごく歓迎されたが、毎回「数を教えてください」というのは、かなり気が引けた。新製品が次から次へと登場するわけでもなく、売り場も十分確保してもらっており、キャンペーンを張れるような権限もない。話すことも思い付かなかった。何をするために雇われているのか、さっぱり分からない。
 というわけで、かなり早い段階から店舗廻りはやめて、毎日さぼっていた。何をしていたかというと、プールに行ったりジムに行ったりしてひたすら体を鍛えたり、舞台関係者がしばしばトレーニングするボディワーク(身体感覚・身体イメージを磨く技術)のトレーニングをしていた。漫画喫茶に行ったり、昼寝をしているときもあった。とくに真夏日は毎日のようにプールサイドで日焼けをしていたので、かなり黒くなった。しかし周囲は熱心に外回りしているせいだと思っていたらしい。
 要するに社内の人間たちはラウンダーに無関心だったわけだ。毎朝きちんと定時に出勤してはいたものの、週2、3回はそのまま家に直帰していたし、それ以外の日も都内のジムに行くかなにかして、まったく店舗廻りはしなかった。しかし一切注意されなかった。
 この仕事には派遣として就業しており、一応営業職なので仕事用電話を渡されていた。初めのうちは店舗訪問に先駆けて電話を入れてから営業していたのだが、あるとき派遣会社の人間から思わぬ注意を受けた。電話を使いすぎるというのである。曰く「あなたの同僚に比べて電話を使いすぎます。一体どういうことですか?」
 やれやれである。前述の通り、僕はかなり早い段階から店舗巡りに疑問を感じ、訪問しなくなっていたのだが、相方は僕以上に手を抜いていたらしいのだ。あれだけ手を抜いていたのに「電話を使いすぎます」だって? 誓って言うが、僕は会社の電話を私用で使ったことは一度もない。この注意は切れる寸前だった仕事へのテンションを、完全に断ち切る結果となった。
 
●毎日が日曜日 
 
 そんなわけであの年の春から秋にかけては、毎日が日曜日だった。それなのに引っ越し屋や工事現場作業よりも給料が良いのだ。世の中狂っているとしか思えない。「このバカらしい仕組みはなんなんだろう」といつも思っていた。
 サボり中にしたことのなかで、もっとも意義深かったのは夏木マリさんのワークショップに参加したことだった。現在もつづいているのか分からないが、マリさんは毎年夏になると、一週間連続で公募のワークショップを行っていた。単なるワークショップにすぎないのに書類審査があり、「随分大げさだな」と感じた覚えがある。倍率は分からないが、参加者は30人近くいたはずだ。
 僕がいたのは前衛系の世界だったので、所謂芸能界とは接点がなかった。しかしこのワークショップは有名女優の自主企画ということもあり、プロダクションに所属している若い子も何人か参加していた。
 参加者はみんな20代で、多くはバイトを休んで参加していたり、ワークショップ後にバイトに直行したり、という境遇での参加である。30人近くいた参加者の中で僕だけ仕事を抜けて参加しており、しかも誰も咎めるものはなく、お金もきっちりもらえてしまうという身分だった。普段はあまりのやりがいのなさにすっかり仕事への感謝の気持ちを忘れていたが、あのときは自分の環境に感謝したくなった。
 ワークショップは午後1時から8時か9時までだったと思う。1日8時間か9時間の稽古を一週間、夏木マリが直接つけてくれるのだ。こんなにも長時間芸能人と接したのは、後にも先にもこの時だけだ。
 マリさんの第一印象は、芸能人っぽくないということだった。鍛え上げた舞台人の体をしていて、はじめは夏木マリだと分からなかったほどだった。声を聞いて初めて夏木マリ本人だと実感したのを覚えている。
 最終日に参加者全員がマリさんとツーショットで写真を撮ったので、探せばどこかにあるはずなのだがちょっと見あたらなかった。
 
 この手の「サボり武勇伝」とか「若き日の牧歌的な仕事話」を、昔は本や雑誌でちょくちょく目にした気がする。とくにバブルの末期は、この手の話があちこちで紹介されていたという記憶がある。学校や家庭では「仕事は厳しいもの。労働は尊いもの」と教え込まれてきたので、青年期に聞きかじったこの手の話は目新しかった。
 現在の「意識の高い若手ビジネスパーソン」を自己研鑽や自己啓発に駆り立てる風潮とはかなり違う。その昔、世界はかならずしも世知辛いばかりではなかったし、労働の場は厳しさとかやりがいとかミッション一辺倒ではなかった。自分が実際に、お粗末な社会の仕組みに接する度に、労働戦士養成所としての学校の欺瞞と世界のいい加減さの一端をのぞき見たような感じがして「なんだかなぁ」と思ったものだった。
 さて、無駄口叩いてないで過酷な現実に戻りますか。
 

 
 
 
-ヒビレポ 2013年12月23日号-

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