年末進行がない!
杉江松恋
(第14号で「伊勢街道でしょう!」を執筆)
とんでもないことに気がついた。
てえへんだ、てえへんだ、というやつである。
お読みの方はぜひ固唾を呑んでいただきたい。
なにがたいへんなのかというと。
私は去年、年末進行を迎えなかったのである。
はあ。
それはたいへんですね。
お正月の福茶とかを飲みながら、ぽかんとしている読者の顔が目に浮かぶ。
いやいやいやさ。たいへんなんだから、もう少し驚いてよ。
はあ、じゃあ、まあひとつ。ああ、びっくりしたなもう。
なんじゃそら、三波伸介か。
とにかくたいへんなのである。あのですね、原稿料で収入を得ているライターにとって、年末進行がないというのはたいへんなことなのです。
何がたいへんなのか、他の稼業の方にはピンとこないかもしれないので説明する。年末で仕事が前倒しになって下請け業者が悲鳴を上げることを「年末進行」と呼ぶが、かのウィキペディアにもわざわざ「出版業界における年末進行」という項目が立てられている。引用すると、
「月刊誌・週刊誌等の定期刊行物では、年末年始に印刷所・製本所等の製作部門が休みになるために、原稿・編集作業の締め切り日が繰り上がることを指してこのように呼ぶ。漫画などでは(特に絵柄の固まっていない新人漫画家で)年末最終締め切り日より年始最初の締め切り日の間が通常より長く空くことにより、絵柄が変化したりすることもある」
ということね。
刊行物によって違いはあるが、入稿から印刷・製本、配本という作業には一定の時間を要する。年末年始には印刷所が営業を止めてしまうため、出版社はその期間を計算に入れた上で原稿をかき集めねばならない。というわけで皺寄せが下請け、すなわち出版社に原稿を納めるライターに来るのである。通常よりも早く原稿を入れなければならず、しかもそれは待ったが効かない(いや、いつもダメなのだけど)。そういうわけで平常運転のとき以上に仕事の量が増え、ひーっと悲鳴を上げるのが年末、というわけなのだ。
それがなかった。
なかったのである。
私、12月はいつもよりも仕事していませんわ。
何をしていたかというと、旅行をしていたのである。これは宣伝になるが、10月の末に日経文芸文庫が創刊され、そのラインアップとしてブックガイド『読み出したら止まらない 海外マストリード100』を刊行した。おかげさまで好評をいただき、各地で開かれる読書会などにも遊びに行くことを許された。それでひょいひょいと出かけていたのである。
それから徒歩旅行もしていた。
これまた宣伝になるが、夏に藤田香織さんとの共著で、徒歩で東海道五十三次を踏破する旅行エッセイ『東海道でしょう!』(幻冬舎文庫)を出した。それで味をしめてさらに歩き旅をしたくなり、11月には東海道の脇街道である伊勢街道70kmを踏み荒らしてきた。その模様は「レポ」最新号に「伊勢街道でしょう!」としてレポートしたとおりである。
伊勢とくれば次は出雲じゃん!
ちょうど2013年は60年に1度の伊勢神宮・出雲大社の同時遷宮が行われる節目の年にあたっていた。天照大御神のお宮だけに参拝したのでは武州っ子の名折れである。私は東京都府中市の生まれで、そこには大国主命を祀った大國魂神社があるのである。氏子としては大国主命の本拠地である出雲大社にお参りしないわけにはいかないではないか。
そんなわけで、みなさんが汗水垂らして働いている12月のまん真ん中に島根県まで行ってきたのである(この模様もできれば「レポ」に書かせてもらえたら嬉しいんですが、どうでしょうね)。出雲国を歩いてきましたよ、ええ。
神様の国をてくてく歩くのはずいぶん気持ちのいいものでした。
というか、大丈夫なんだろうか、私。
人が働いているときにのうのうと旅行していられるような身分なんだろうか。
年末進行と縁がないくらい仕事をせずにぶらぶらしていられる。おおいにけっこう。しかしそれって、定期刊行物に原稿を書いてないってことじゃん。連載が無いってことじゃん。ウィキペディアにも「月刊誌・週刊誌等の定期刊行物では」っていちいち断ってあるじゃん。
大丈夫なの? もしかすると雑誌の連載がなくなって仕事が減っているのを、旅行してごまかしていただけなんじゃないの? ライターとしては危機的状況なんじゃないの?
その心の声を聞きつけて、出てきたのは私の内なる経理部である。
「年末ですからそろそろ確定申告の時期です。2013年度にどのくらい稼げたのか、まとめてもらわないと困りますよ。もし前年度割れしていたら、どういうことになるか……」
ううう、言うな言うな。大丈夫だから、きっと。絶対、おそらく、たぶん。
強引にドアを閉めて内なる経理部を追い返した私の耳に響いてきたのは、とあるライターとの会話であった。少し前にその人を交えて飲んだとき、同業者ばかりの集まりということで年収の話になったのである。仮にAさんとしておくが、その人は自分の稼ぎを分析してこう言った。
「そうですね。やはり週刊誌が大きいです。週刊誌の連載だけで○○○くらいはありますから……」
うわっ、そんなにか。そんなにくれるものなのか紙の週刊誌は。
思わず首を絞めて、その連載をくれ、と言いそうになった。いいなあ週刊誌。ずるいなあ、その仕事私も欲しいぞ。どうやったらくれるんだろうか。誰かに土下座とかすればいいのか。とらやの羊羹とか持っていけばいいのか。木の箱に入れて。中に小判とか入れるぞ。小判は持ってないから自分の著書とか入れるぞ。逆効果か。
年末進行がない。
週刊誌に書いていない。
これ表裏一体なのね。
そう。12月に忙しくないというのは、実はとてもまずいことなのである。だって連載が少ないんだもん。紙の定期刊行物に書いてないんだもん。印刷会社の事情で仕事のスケジュールを変えられないから、のんきにしていられるんだよ。紙だよ紙、ぶらぶら遊んでないで、まずは紙の媒体を取りに行け!
心の営業部長がそう怒鳴っています。ネクタイの首のところとか緩めながら。ちょっとネギの口臭がするよ。お昼は駅前の富士そばだったでしょ。
はてさて。
どうしたものか。
今から紙の媒体を取りに行かなくちゃいけないのかな。
しゃかりきになって。
どうだろう。
どうなんだろう。
それ、どうなのかな。
いや、たいへんかどうか、ということじゃなくて。たいへんなのは子供でもわかる。今他の人がやっている誌面を取るってことだからね。たいへんだよ。競争しなくちゃいけないからね。コツコツやるやつぁご苦労さん、とか言ってられないからね。
たいへんかどうかじゃなくて。
それ、おもしろいのかなあ。
楽しく仕事できるのかなあ。
そんなことを思ってしまったのであった。ドアの向こうの心の経理部と、目を三角にしている心の営業部長は、この際ちょっと無視してみよう。
本当に自分がやりたいことは何なのか。落ち着いて考えてみよう。目先の餌に飛びつくのはちょっと止めよう。
そんなことをしている場合か。うん、場合なのです。
もしかするとそれは、回り道なのかもしれないけど。
ほら、カタパルトみたいなものでさ。まっすぐ行くよりもそのほうが結果としては速くなるかもしれないじゃない。回り道で遠心力がついてブーンって飛んでいけるかも。
ブーンとか君ィって営業部長が言ってる。無視、無視。
もう、決めたんだ。
私、回り道する。ぐるんとね。それこそぐるぐるんと回り道する。
うん。
似顔イラスト/日高トモキチ
-ヒビレポ 2014年1月3日号-