旧宅探訪  第1回

プロローグ・安藤荘

 
下関マグロ(第14号で「僕の八〇年代エロ本仕事」を執筆)
 
 
 
 
 
 ども、下関マグロです。さて、新連載でおます。いやぁ今回はね、変な感じで連載が始まったですよ。つうか、ホントは「食い物の恨みは消えず」の続編をやろうと思っていたんだけど、急に、北尾トロからLINEで「今度のヒビレポだけど、これまでまっさんが住んでたところをめぐるっていうのはどう?」と投げかけられた。ちょっと疑問だったのは、それって前どこかに書かなかったかなってこと。そうそう、あれは2004年頃、って、ちょうど10年前か。今はもうないけど、「Studiovoice」って雑誌があって、そこで「東京あるきんぐ」という連載を北尾トロとともにやっていた。もともと、この雑誌で僕は、一ヵ月間、同じものを食べ続けるという連載をやってて、たとえば、とんかつを毎日食べて、1ヶ月のカレンダーに30個とか31個のとんかつの画像を並べるというもの。まあ、これをね、毎月1年やってたからかどうかは、わからんが糖尿病になっちゃったのね。で、次は健康のために歩こうというわけで、「東京あるキング」という連載を始めた。第一回は忘れもしない、かつて大井競馬賞で電車賃もなくなった北尾トロが、西荻窪まで歩いて帰ったという話をもとにその道をもう一度、一緒に歩いた。その連載の何回目かで、お互いが住んでいた場所をめぐるというようなことをした記憶がある。
 

 

 あ、いま、昔の画像を見てたら、そのときの取材の様子が出てきたので掲載しておこう。場所は大井競馬場。編集者とかカメラマンが来て写真を撮ってくれるわけではなく、自分たちで写真を撮っていたんだよね。なので、これセルフタイマー。いきなり人が入ってきて、NG。

で、もう一度、カメラをセットしようとしたら、セルフタイマーが早すぎた。

で、今度こそと思ったら、北尾トロの携帯に電話。

結果、この3枚しか撮っていない。どれもNG。4枚目を撮る気力がなかったのか。撮影は2004年1月21日のことだ。この日、西荻窪まで歩いたんだけど、寒くて辛かった。

 昔の画像を見ていると、北尾トロから再びLINEでメッセージがきた。「動画撮るから」。えっ、誰が誰を? 「オレがまっさん撮るよ、練習を兼ねて」とのこと。なんの練習かは聞かなかったけど、それ以上になぜそんなに入れ込んでいるのかわからなかった。で、打ち合わせをしようということで、新宿の「DUG」。懐かしいね。今、1階はイタリアントマトになっているけど、昔はここのビル全部が「DUG」で待ち合わせするときに、「DUGの2階で」というように階数を言っておかないと、地下一階から三階まで探すことになった。
 僕は「前も同じようなことを書いたし」と難色を示したのだけど、「それぞれについては書いてないでしょ」と言われた。まあ、ざっくりとしか書いてないな。1ページもので、地図のイラストをあきやまみみこさんにお願いしたりして、スペースもなく文字数が少なかったしなぁ。そこで、北尾トロは「荻窪が最初だっけ、それから東中野、次に荻窪に移って」と指を折り始めた。で、「ほら、12回だから連載できるよ」と言うのだ。僕が住んでいたところを全部覚えていてくれているんだ、自分でさえ忘れてたのに。その瞬間、「わかった、やるよ」と答えた。北尾トロは「じゃ、12月に入ったら撮影に行こう」ということになった。それが11月の終わり頃。

 そして12月9日午後3時。東中野で僕と北尾トロは落ち合った。一回目の撮影だ。途中の電車でメールをチェックしたらヒビレポの編集作業をやっている平野さんから、時期ヒビレポの執筆者を募集する旨のメールがきていた。そのことを北尾トロに話すと、「そりゃ、すぐに応募しといて、早いもん勝ちだから」と言うではないか。僕はてっきり、平野さんにも連載のことを話しているのだとばかり思っていた。あわてて、平野さんにメールする自分。そして、今回も連載させてもらうこととなった。

 というわけで、順不同ながら撮影が始まった。
 そして、締切はやってくる。北尾トロは第一回目の動画をアップしてくれた。

 ここに連載タイトルも書かれているではないか。 「旧宅訪問」と。

 というわけで、1983年3月。僕は大阪の大学を卒業後、上京して、中学、高校と同級生だった岡本くんの下宿に泊めてもらい、東京での住まいと仕事を探すことにした。1週間くらい泊めてもらっていたかな。荻窪駅前の不動産屋で住まいを探したので、必然的に荻窪で暮らすことになったのだ。というわけで、次回も荻窪。

 
 
 
 
動画撮影/北尾トロ  似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2014年1月5日号-

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