土偶をつくる  第1回

元祖クールジャパン

 

めるし
(第9、10号で「北千住大喜利ハウス」執筆)
 
 
 
 東京五輪、決まったそうで。もう去年のはなしだけれど。
 「クールジャパン」が東京五輪のテーマになるんじゃないかと、巷では囁かれているようで。
 政府が推し進めているらしい、クールジャパン戦略。アニメの美少女キャラクターのフィギュアとか、私けっこう好きですよ。上から下から、いろんな角度から眺めて、「可愛いなぁ」とにまにましちゃう。今日もどこかで新たなフィギュアを造形している人がいて、今日もいたるところで大人と子どもがにまにまにまにましているのかと思うと、そんな国、すごくクールだ。
 
 そのクールの輪に、加えて欲しいフィギュアがあるのです。
 いささか制作年代が古いかもしれませんが。
 いささか五千年程前の物ですが。
 

 
 縄文時代の美少女フィギュア(たぶん)。土偶です。
 

 
 
 プラスチックも塩化ビニルも無かった時代の物ですから、材質は土。
 土偶がどんな人の手によってどのように作られたのか、正確なところは分かっていないそうですが、きっと縄文の村上隆さん的な人がいて、あご髭たくわえながら粘土をこねこね、アートな魂を込めて作ったのではないだろうか。日本の歴史の最古層、未だクニの形もみえていないような頃に、もうすでに。

 そんな土偶は、いうなれば元祖クールジャパン。しかしあまりアートとして認識されていないように思う。岡本太郎さんが縄文の土製品の美を賞しているけれど、周知されているとは言い難い。
 そこで私が今回、私が思う土偶のクールなところを紹介したい。と思うのですが、なんで私が。研究者でも芸術家でもない。ただの土偶好き。だけど愛を持っているのは確かですので、その熱量のうちの0.01カロリーくらいでも、ヒビレポ読者のみなさま、そしてクールジャパン推進機構及びJOCに伝えられたらいいな、と思う次第です。
 
 
■土偶は突き抜けている
 
 小さい子どもが粘土遊びをしていて、こんな物を作っていたら。あなたはどう思うでしょう。
 
(画像:wikipediaより)
 

 まあ、子どもが作り得そうな形ですよね。他愛ないな。素朴な表情が微笑ましい。

 これは、「埴輪」です。
 「土偶」ときいて、実はこちらを思い浮かべた方も多いのでは。
 「土偶」と「埴輪」の違いが何かといわれたら、埴輪が制作されたのは古墳時代で、焼き物としての質や使用目的などが土偶と違ってくるのだけれど、それはひとまず置いといて。
 次にこちらはどうでしょう。
 

 
 こちらが、「土偶」です。
 粘土遊びをしている子どもの手にこれがあったら・・・胸がざわっとする。その子の将来を考えちゃう。
 この、なんだかざわっとさせてしまうものがあるのが「土偶」。と私は思っています。「埴輪」はそれがあまり無い。(あくまで私の感覚ですが。)
 ざわっとさせてしまう、というのはつまり、なんだか突き抜けちゃっているということではないだろうか。
 土偶の形は突き抜けている。その突き抜けっぷりが、クール。
 
 
■突き抜けているのに洗練されている
 
 そんな突き抜けた形をつくってしまうのは、縄文人が未開で未熟な人達だったからじゃないか。そう思う人もいるかもしれない。
 下の写真は、「ハート形土偶」と呼ばれている土偶です。その横に、シルエットが分かりやすいように私が加工した図を並べてみました。
 

 
 見て、このフォルム。ゆるーくなだらかにいくかと思えばきゅっと曲がってみたりもして。カーブの緩急、変幻自在。そんな輪郭線が描ける縄文人、洗練されたセンスの持ち主であったに違いない。私はそう思います。
 突き抜けているのに、それでいて洗練されているなんて。相反するかのように思われるものが、お互いを損なうことなく土偶に共存している。まるで柿の種チョコみたい。あれ、辛いのに甘くて美味しい。土偶、クール。柿の種チョコをしのぐクール。
 
 
■土偶は根源的
 
 土偶が何の為に作られたのか、それは作った縄文人に訊いてみないと分からないのだけれど、おそらくは再生と豊穣の祈りが込められているのではないか、と考えられています。
 縄文時代の世界において、植物が枯れたり獲物がいなくなったりすることは生活の根底に関ってくることだったのでしょう。ましてや人の死は、いうまでもなく影響は生活のみならずです。
 そういった、人の力の及ばないことで何かが無くなったとき、縄文人は再生を祈り、土偶にそれが託されたのだというのです。
 これまでの土偶の写真3つ、またちょっと並べてみます。

 どれもおっぱいが出ていて、安産型の腰つき。腹が膨れていたり線があったりするのは、妊娠していることの表現だといわれています。再生と豊穣が、妊娠で象徴されているのです。
 現在は平成の時代で、縄文時代から比べたら文明も技術もかなり発展したわけで、食料生産のコントロールも随分と出来るようになりました。人々の寿命も延びた。けれども、飢えや死が無くなったかというと、そうではない。
 土偶が内包しているものは、つまり、時代が変わったのにずっと変わらずあり続けているものです。だからこそ1万年後の私も惹かれてしまったのでしょう。土偶、クール。根源的クール。
 これはきっと、人種も文化も超えて伝わるものではないかと思う。あら。世界中から人が集まる祭典のマスコットにふさわしいのでは。

 そんなクール過ぎる土偶を、私は出来ることなら手元に置いて、上から下からいろんな角度から眺めて、たまにはちょっと遠くから眺めてみたりもして、ほうっと嘆息を漏らしたいのです。
 しかし、土偶というのはたいてい国宝か重要文化財。私がどんなにお金持ちになったとしても、どうこう出来そうな代物ではない。愛はお金で買えないらしいですが、その次に買えないものが土偶でしょう。たぶんね。
 そこで考えた。買えないのなら、自分で作ったらいいじゃない。
 そして作った土偶を、東京五輪のマスコットにしてもらうんだ。あわよくば。

 というわけで、次回(1/14)は土偶の作り方を教わるべく、土偶師匠に会いに行きますぐう。
 
 

記事中の土偶の写真は全て、
『文化庁海外展 大英博物館帰国記念「国宝 土偶展」』文化庁、東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション・編  NHK、NHKプロモーション、毎日新聞社・発行
より引用。

参考文献:
『画文集 挑む』岡本太郎  講談社
『文化庁海外展 大英博物館帰国記念「国宝 土偶展」』文化庁、東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション・編 NHK,NHKプロモーション、毎日新聞社・発行
 
 
 
 
-ヒビレポ 2014年1月7日号-

Share on Facebook

タグ: Written by